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姉の命令で芝居見物に付き合わされました2


「まったくあんたったらほんとにとろいんだから」


 馬車で国立劇場に向かう途中、モーリオンは散々文句を言った。アーサーの支度に時間がかかったことに腹を立てているのだ。


「ジュリアスさまはもっとスマートにエスコートしてくださるのに!」


 モーリオンはおかんむりだった。

 馬車に揺られながら、拷問のような説教をアーサーは聞いていた。聞きながら、姉の婚約者はモーリオンのどこがよくてプロポーズしたんだと考えていた。しかし、すぐに思い出す。アーサーの姉妹たちは猫を被るのがとても上手だったことに。素の自分をさらけ出すのは、家族の前だけだ。


「ちょっと聞いてるの?」

「え、あ、はい」


 ここでちょうど劇場についたので、これ以上、説教を聞かされずにすんだ。馬車を下りて劇場の受付で、今朝買ったばかりの券を提示すると、係員が顔色を曇らせた。


「お客様、申し訳ございません。このお席は三等客席のものになります」

「え、三等?」

「ご入場していただく場合は、一度劇場を出て、左に回ってもらう必要がありますが……」


 驚いた。それは主に庶民が使う入口だったからだ。


「貴賓席の空きはないんですか?」

「あいにく、本日は満席でして……。それに、お客様がお持ちの当日券はもともと三等客席のみの販売となっております」


 係員に申し訳なさそうに言われ、アーサーとモーリオンは渋々、後ろに並んでいた客に道を譲った。建物の端まで来るとモーリオンの目つきが鋭くなる。


「ちょっとアーサー、なんでちゃんと確かめて買わなかったの! 恥かいちゃったじゃない!」

「……すみません」


 謝りながらもこう思っていた。もともと早朝に券を買いに行けと言ったのはモーリオンなのに、自分の失態は棚上げか、と。しかし、そんなことを言える勇気があれば、劇場に付き添うことを断れたのだが。


「まあ、アーサー様?」


 突然、声をかけられて、アーサーは驚いて顔を上げた。


「エステル」


 目の前で花束を抱えたエステルが、花のような笑みを浮かべている。


「奇遇ですね。アーサー様も観劇にいらしたのですか?」

「はい。姉と一緒に……」


 アーサーが手で示すと、先ほどまで怒り心頭だったモーリオンが、ドレスをつまみ、笑顔で丁寧に頭を下げる。


「ごきげんよう、エステル様。いつも弟がお世話になっています」

「アーサー様のお姉さまにお会いできて光栄です」


 エステルも完璧な挨拶を返した。


「お困りのようですが、どうかなさったのですか?」


 アーサーは言葉を濁しながら言った。


「実は、手違いがあって、席が取れなかったんです」


 エステルはアーサーの手にした券を見て事情を察したようだった。


「それは災難でしたね。もしよろしかったら、わたくしと一緒に関係者席でご覧になりませんか? 母のコネなんですが、席は空いていますのよ」

「え、いいんですか?」


 ちらりとモーリオンを見ると、姉は小さく頷いた。了承しろという合図だ。


「ありがとうございます」


 アーサーは助かったと心底思った。

 エステルに案内されたアーサーとモーリオンは関係者の入口から劇場に入って、席まで来る。そこは舞台の正面にある二階の席で、どの席よりも見晴らしがよかった。


「まあ、こんな素晴らしいところで話題のお芝居が見れるなんて!」


 モーリオンはすっかり浮かれている。

 それからすぐにモーリオンが化粧室に立ったので、アーサーとエステルは関係者席に二人きりになった。

 ふとアーサーは気になっていたことを聞いた。


「あれからザクセン公は何か言ってきましたか?」

「いいえ、今のところ大丈夫です。プライドの高い方なので、恥をかかされて、部屋に引きこもっていると聞いています」


 エステルはおかしそうに言った。


「……翌日の新聞の社交欄にはこの間の晩のことがにぎにぎしく書かれていましたが、まさか貴女が……」

「まあ、アーサー様もご覧になられたのですか? わたくしも、あの記事は本当にびっくりでしたわ。けれど、あれだけの目撃者がいるのですから隠すことなど到底できないでしょう」


 途中で会話を遮られたアーサーは、この様子を見て記事を新聞社にリークしたのは彼女だと確信できた。エステルは「ザクセン公がお気の毒」と言いながらも終始ご機嫌だったからだ。


 ――この人は敵に回してはいけない人だ。


 アーサーはそう思った。そこで話題を変えた。


「その花束はどなたかへの贈り物ですか?」


 エステルは隣に座るアーサーとは反対側の席に花束を置いていた。

 アーサーの問いにエステルは可憐な花束を眺めながら幸せそうに笑った。


「実は今日の舞台には母が主演で出演するんです」

「お母君が?」

「はい。母の舞台を見に行くときは、必ず花を持って行くんです」


 エステルは嬉しそうにしている。モーリオンが戻ってきたので、会話はそこで途切れた。

 やがて舞台の開幕を告げるベルが鳴り、幕が開いた。

 物語は、貧しい男爵家に生まれたビオレッタが、父の取り決めで、裕福な侯爵家の後妻に入るところから始まった。家のために愛のない結婚を強いられたビオレッタは、侯爵の死後、相続した遺産を使って遊びまわるむなしい毎日を過ごす。ある日、気まぐれでとある若手俳優・ジュリアーノのパトロンとなるが、やがて二人は本気で愛し合うようになる。初めて愛し愛されることを知ったビオレッタだが、女ざかりを過ぎようとする自分の容姿の衰えに悩むようになる。そんなとき、ジュリアーノのことを慕う女優の卵の存在を知ったビオレッタは、ジュリアーノを自分だけのものにするために、彼に毒入りのワインを飲ませようとする。だが、愛しい恋人を殺すことなどできず、寸でのところで思いとどまる。自分の醜い思いに絶望したビオレッタは、ジュリアーノと別れ、修道院に入り、ようやく心の安らぎを得る。


 ……正直、物語の出来としてはいまいちだとアーサーは思った。けれど、ビオレッタ役の女優の演技が匠で気が付くと引き込まれていた。ビオレッタが背負う悲哀に隣の席でモーリオンも瞳に涙を浮かべている。

 舞台が終わると、会場を大歓声が包んだ。

 アーサーも心からの拍手を送った。

 一度、奥に引っ込んだ役者たちが次々にカーテンコールのために現れる。最後にビオレッタ役の女優が現れると、人々が興奮した声を上げた。劇場のざわめきが収まるころ、エステルは言った。


「わたくし、これから母の楽屋にお邪魔するのですが、アーサー様とモーリオン様もご一緒にどうですか?」

「ええ! いいんですか⁉」


 モーリオンはすっかり興奮している。さすがあの母の娘なだけあって、モーリオンも観劇が好きなのだ。モーリオンが行きたいのなら、アーサーは付き添うしか道はないが、否やはなかった。

 エステルに先導され、アーサーとモーリオンは関係者以外立ち入りできない区画に入った。案内された部屋の扉をエステルがノックすると「どうぞ」と声が返ってきた。室内に入ると、見事な金髪が視界に入った。先ほどビオレッタを演じていた女性に間違いなかった。


「お母様、参りましたわ」

「あら、エステル、来てくれたの?」


 エステルの母、アマーリエが振り返ると、見事な金の瞳が大きく見開かれる。エステルはアマーリエに大きな花束を渡した。「ありがとう」と言いながらも、アマーリエの視線はアーサーに釘付けだった。


「珍しいわね、あなたが人を連れてくるなんて。友達?」

「こちら、ジーニアス侯爵家のアーサー様とその姉のモーリオン様です」


 アマーリエが興味深そうにアーサーを見つめる。


「ああ、新聞に載ってたあなたの婚約者ってもしかして……!」

「はい。こちらのアーサー様がわたくしの婚約者です」

「へえ、なかなかいい男じゃない。あなたは見る目があってよかったわ」

「お母様、そんなことを言ったらお父様が泣きますわ。今でもお母様が女優を引退して公爵家に入ってくれるのを待っているのですよ?」

「公爵夫人なんて柄じゃないわよ、あたしは。いい加減諦めるようにあの人に言っておいて」

「そういうことは自分の口でおっしゃってください」

「嫌よ。会ったら結婚してくれって泣きつかれるだけだから。鬱陶しくてしかたないわ」


 ……なんというか、外見もさることながら言葉に遠慮のないところがエステルに似ているとアーサーは思った。けれど、言葉は悪くても不思議と品のある女性だった。


「早くいい人見つけて再婚しろって言っておいて」

「……もうお母様ったら……」


 振り返ってエステルが頭を下げる。


「見苦しい姿をお見せして申し訳ありません」


 アーサーは苦笑した。


「お二人は仲がいいんですね」


 するとアーサーの背後でモーリオンが緊張しているのに気が付いた。モーリオンが何かを言いかけたときだった。


「アマーリエ、今日の舞台も素晴らしかったわ!」


 ノックもなく誰かが入室してきたので、ずいぶん無作法なと思っていたら、なんと母のメリッサだった。驚きのあまりアーサーが声をなくしていると、メリッサがアーサーの姿を見つけて、視線を鋭くした。


「アーサー、どうしてお前がここにいるのですか!」

「……ええと、その、姉上と一緒に芝居を観に来たらたまたまエステルに会ったので、そのまま関係者席で一緒に芝居を観たんです」

「わたくしが是非ご一緒したいとお誘いしたんです。母にアーサー様と会っていただきたかったんです」


 アーサーは訊いた。


「母上は彼女の母君と知り合いなのですか?」


 てっきりただのファンの一人だと思っていたのに。


「知り合いなんてものじゃありません! いったい何年彼女を応援していると思っているのですか! それなのにあなたときたら、ちょっとコネができたからって、あっさりアマーリエと会えるなんて……!」


 何が言いたいのかよくわからなかったが、メリッサが嫉妬しているのだけは伝わった。

 アマーリエは椅子から立ち上がると、メリッサに礼をした。


「いつも応援していただいてありがとうございます。その上、うちの娘とメリッサ様のご子息が婚約するなんて、こんなに喜ばしいことはありません。どうかこれからも娘をよろしくお願いします」


 エステルもメリッサにきれいに礼をした。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。よろしくお願いいたします」


 メリッサは感極まった様子でエステルの手を取った。


「こんな頼りない息子で申し訳ないですが、本当によろしいのかしら?」

「いいえ、アーサー様はいつでもわたくしを守ってくれる心強い方です。こちらこそ、どうぞ、よろしくお願いします」

「まあ、本当に、本当にありがとう」


 メリッサは涙ぐみながら礼を言った。

 そのまま、メリッサとモーリオンがエステルと話し込んでいる間に、アマーリエがアーサーに近寄ってきた。そして、にっと笑うとこう言った。


「あの子に、手紙を送ってくれてありがとう」

「は?」

「ほら、あなた、あの子に送ったでしょう。恋文」


 たちまちアーサーの顔が真っ赤になった。その手紙も今となっては呪わしい存在だったが、アマーリエは言った。


「あれでもあの子、とても喜んでたのよ。初めて、男から私利私欲の絡まない純粋な手紙をもらったって」

「え……」


 信じられない話にアーサーは目を丸くした。


「これからも、あの子のことよろしくね」


 茶目っけたっぷりに言われたが、アーサーはどう答えてよいかわからず、曖昧に笑った。

 こうして、とんでもないドタバタ騒ぎの一日は終わった。



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