姉の命令で芝居見物に付き合わされました
「アーサー、お前はなんて情けない子なのでしょう!」
シェーンベルグ家の夜会から戻ってきたアーサーを待っていたのは母の怒声だった。
「婚約者に指輪を贈る、そんな簡単なこともお前はできないのですか!」
帰宅してすぐにアーサーはメリッサに指輪のことを聞かれた。拒絶されたと正直に話すと、大声での説教が始まったのだ。
「やだ、アーサーったらもう振られたの? だっさーい」
「アーサーとエステル様じゃそもそも不釣り合いだもの。しかたないわ」
「わたしもう恥ずかしくて社交界に出られないわ~」
無理やり夜会に連れ出され、ザクセン公に戦いを挑まれ、疲れ切って帰ってきたのにこの仕打ち。アーサーは反論する気力もわかないままメリッサの説教を聞いていた。しかし、アーサーはまったく別のことを考
えていた。
――お腹、空いたな……。
結局、昼から何も食べていなかった。おかげで身体に力が入らない。メリッサに怒鳴られ、姉たちにはけなされ、夜半にようやくありつけた食事は使用人の残り物というさんざんな夜となった。
***
それから一週間ほど、平穏な日々が続いた。
新聞にはあれこれ面白おかしくアーサーとエステルのことが書かれていることは知っていたが、精神衛生上よくないので、見ないことにしていた。フェントンにも、主について余計なことが書かれている日は新聞は持ってくるなと言っておいた。すると、ここ一週間、ずっと新聞に目を通さない日が続いたが、あえて考えないようにしていた。
そんなある日の夜のことだった。
晩餐のあとに、部屋で一人本を読んでいると、次女のモーリオンがアーサーの部屋を訪れた。
「アーサー、この間のこと、どうなっているの?」
「この間?」
意味がわからなくて首を傾げていると、モーリオンがきっとアーサーを睨んだ。
「お芝居を見に行きたいって言ったでしょう?」
そういえば、アーサーが留学から帰ってきたとき、彼女はたしかにそんなことを言っていた。慌ただしくてすっかり忘れていた。
「忘れていたのね?」
「うっ!」
とっさにごまかそうとしたが、アーサーが嘘をつくと姉たちはすぐに見抜くので、しかたなく謝った。
「……すみません」
「まったく、使えないわね。……でもいいわ。明日、国立劇場で上演される劇のチケットを用意できたら許してあげる」
「ちょっと待ってください。明日はさすがに無理ですよ!」
芝居のチケットというのは、事前に予約して買うのが普通だ。
「——当日に窓口で買う人もいるそうよ。以前、お母様がそうおっしゃっていたわ。早朝から並べば手に入るはずよ。わかったわね?」
アーサーの唇が引きつった。
「……まさか、ぼくに行けと……?」
「他に誰がいるの?」
「それなら邸の使用人の誰かに頼めば……」
「は? 朝の一番忙しい時間帯に使用人に負担をかけるつもり? そんな人間が次期侯爵だなんて呆れるわ」
「………………」
アーサーは言い返すことができなかった。
「どうせ暇でしょう? あんたが行ってきなさい。わかった?」
暇ではない。父と執務室で毎日仕事をしている。それに早起きは得意ではない。だが姉の命令は不本意だったが、ここで逆らうと後が怖いとわかっていた。
「…………はい」
アーサーはしかたなく頷いた。
***
翌日、アーサーは早めに起きると、朝食を取る暇もなく、馬車に乗って出かけた。国立劇場へ向かう途中の広場で朝市が開催されている。アーサーはかなり早起きしたつもりだったが、すでに市場は人でごった返している。それからしばらく馬車を走らせていると、ようやく国立劇場が見えてきた。馬車を降りたアーサーはしかし、受付に並ぶ長蛇の列を見てぎょっとした。
「なんだ、これ?」
もしかして朝から何かの公演でもあるのだろうかといぶかった。しかし、列の最後尾で劇場関係者と思しき男が叫んでいた。
「『ビオレッタ』の当日券をご購入希望のお客様、こちらが最後尾です!」
アーサーは呆然となった。モーリオンが見たがっていた芝居のタイトルが『ビオレッタ』だった。まさかこれほどの行列に並んでまで芝居を見たがっている人がいるとは思いもよらなかった。アーサーが立ち止まっている間に、次々に人が列に並んでいく。焦ったアーサーは急いで行列の最後尾に立った。すると周りの客たちがじろじろとアーサーを無遠慮に見つめてくる。当たり前だった。並んでいる者のほとんどが女性で庶民とわかる服装をしていたからだ。普段着とはいえひと目で貴族とわかる恰好をしているアーサーはあからさまに浮いていた。恥ずかしさを押し殺しながら待っていると、ようやくアーサーの順番が回ってきた。
「当日券を二枚ください」
「はい。かしこまりました」
受付で素早く支払いを済ませると、アーサーはほっとした。
「よかった。買えた……」
これでモーリオンに怒られないですむ。再び馬車に乗って帰宅したアーサーは、起きたばかりのモーリオンの部屋を訪ね、券を渡した。
「よくやったわ、アーサー」
モーリオンは小躍りしそうなほどの喜びようだった。
「……それでぼくは何時ごろに姉さんを迎えに来ればいいんですか?」
付き添いを命じられていたのでそう聞くと、モーリオンは目をぱちくりさせた。
「券さえあればもうあんたに用はないわ」
「は?」
「これはジュリアスさま……わたしの婚約者と観に行くのよ。あんたなんかお呼びじゃないわ」
「……そうですか」
正直、心底ほっとした。
アーサーは一度部屋に戻ると、着替えを済ませた。そして、お昼を過ぎるころに食事を済ませると、いつものように執務室で父の仕事を手伝った。
その日の夕方、ようやく仕事から解放されたころ、モーリオンがアーサーの部屋へとやってきた。
「アーサー、早く支度しなさい」
「は?」
意味がわからなくて聞き返すと、腰に手を当て、モーリオンが言った。
「決まってるでしょう? 二人でお芝居を観に行くのよ」
「……婚約者と観に行くんじゃなかったんですか?」
「ジュリアスさまが急用で来られなくなったの。だからあんたが付き添いなさい」
「ですが……」
反論しようとするとモーリオンがギラリと睨んでくるので、反射的にうっと言葉に詰まり嫌とは言えなくなる。物心ついたときから姉たちには逆らえなかったが、今でもその習慣が身体にしみついていた。
「……わかりました」
「三分以内に支度するのよ。わかった?」
「……はい」
アーサーは深々とため息をつくと、気持ちを切り替えて支度を始めた。




