五
[前回までのあらすじ]
カラオケや飲み会を経て、社内にも馴染んできた僕。
僕は、将来への漠然とした不安を抱えていた。
[登場人物紹介]
沢田 主人公。会社にも慣れ、今はチームのリーダー的な存在
岩谷 部長。ベテランで話好き。イベント事も好き
木本 沢田と同じチームの女性
佐渡 沢田と同じチームの女性
北村 話好きの男性。以前、病気で入院していた
瀬名 海外旅行好きの男性。北村と仲がいい
南 沢田の上司
繁忙期のピークも過ぎて季節は秋になり、僕が転職してから半年が過ぎようとしていた。社内に、来年初頭の社員旅行の案内が回覧されてきた。加賀にある温泉旅館での一泊二日の行程だった。僕がチームメンバーと作業をしていると、仕事部屋に岩谷が入ってきた。
「おい、来年の旅行、みんな行くんだろ。楽しみだな」
岩谷は、五十歳代のベテランの男性社員だ。話好きのようで、自分の仕事の合い間には各部屋へ行き、同僚と話をしていた。
「温泉でしたよね」
同僚の木本が話を合わせた。
「おお。夜は宴会だぞ。蟹もでるぞ、蟹」
「わあ。蟹なんて、一人暮らしじゃ、なかなか食べられないです」
佐渡が話に加わった。彼女は会社の近くにアパートを借りていた。
「コンパニオンも呼んでいいと社長からお許しが出たからな、沢田。楽しみだな」
「え。はあ」
話を振られた僕は、気のない返事をした。
「お前、もっと喜べよ。まあ、コンパニオンって言っても、どんな人が来るかはわからんけどな」
岩谷は、ガハハと笑いながら、話を続けた。僕達は、彼の話のペースに完全に乗せられていた。
「沢田、お前のカラオケ、もっと聞いてみたいな」
「あ、私も」
「だから、そんなに上手くないですよ」
僕はチームの作業効率のことを考えていて、雑談で時間を取られることに、内心いらついていた。僕は愛想笑いをしながら仕事の手を止めずに返した。
ある日、談笑部屋に行くと、瀬名と北村が話をしていた。
「北村さん。太りすぎですよ」
いつものように、瀬名と北村はふざけ合っていた。瀬名は先日実施された健康診断の結果表を眺めながら、北村に言った。
僕も瀬名の後ろから、その用紙を覗き込んだ。北村の診断表だった。
「ほっといてちょ」
北村はパソコンを操作しながら笑っていた。背丈が僕とそれほど変わらない北村だったが、数字を見ると体重は僕よりもだいぶ多かった。僕は視線を診断表から彼の体に移すと、たしかに、彼が退院した頃に比べると、ひと回り太ったように見える。入院のために痩せていた反動なのだろうか。毎日、甘そうなジュースを飲んでいるから、その影響だろうか。
「要検査になっていますけど」
僕は、総合判定結果を読み上げた。
「大丈夫ですよ」
彼は僕に顔を向けて、ニコッとした。彼の眼は、少し充血していた。彼は、よく海外ドラマのDVDを早朝まで見ているらしい。僕には、彼があまり規則正しい生活をしていないように見えた。
「こんなにブヨブヨになって」
瀬名は北村の右腰を、むにゅっと片手で摘まんだ。
「やめてー」
北村は、腰を引っ込めた。瀬名と僕は、それを見て笑った。
大抵、昼休みには、北村はパソコンでインターネットをしていた。今日は他のメンバーはいなかった。仕事が忙しい日は、塚田や瀬名、坂下は外へ出る仕事の日もあり、そういう時は、部屋には僕と北村の二人だけになる日があった。僕もゲームや音楽は好きだったので、そういう時は北村と趣味の話をよくしていた。
彼は冗談を交えながら人懐っこく喋り、身振りや手振りも大きく、顔の表情も面白かった。二人になった時もほとんど彼が話をしているのだが、僕はその話を聞いているだけで楽しかった。
話を聞くところによると、北村は腰の具合が悪くなり、手術をするために入院していたそうで、腰を傷める前は外回りの仕事をしていたようだ。ただ、上司と相談し、復職してからは負担の少ない内勤のチームに転属させてもらい、分析業務の他にデータの入力も行っていた。
たしかに、年配の社員はパソコンにはあまり詳しくはない。しかし、それをいいことに、彼は業務時間中もパソコンでインターネットをして仕事をさぼっている時があった。
僕はそれを見かけると、仕事上は僕が後輩にも関わらず、
「こら」
と注意して彼の頭をポンと叩いた。だが、彼は先生に叱られた悪戯好きの小学生のようにそれを悪びれもせず、おどけていた。そして、そんな態度の彼を、僕はなぜか憎めなかった。だらしのない身なりも、僕にとっては母性本能をくすぐるような、放っておけない雰囲気を醸し出していた。
その日、北村の話を聞いていると、上司の南がドアを開けて入ってきた。
「ねえ、ちょっとあんた達、外の仕事へ行ってくれる?」
「えー。今からですか?」
北村が面倒臭そうに言った。
「そうよ。今日は人がいなくて。北村さん、沢田さんにもやり方を教えてあげて」
「はーい」
突発の依頼が入った為、僕は白衣から作業着に着替えて外へ出た。社用車の運転席には既に北村が座ってエンジンをかけていた。僕はドアを開けて助手席に乗った。
「行きますよ」
「うん」
北村はアクセルを踏み、大きなバンを運転し始めた。僕が運転したこともない大きさの車を、ミラーを確認しながら慣れたハンドル操作でてきぱきと運転する彼。それは、僕が今まで彼に抱いていたイメージとは違っていた。いつもダラダラしてやる気も見せず、さぼり癖があってだらしのない彼が、こんな姿で車を運転するとは意外だった。
小雨の中、雨粒がウインドウガラスを叩いていた、彼はワイパーのスイッチを操作した。普段とは違い真面目な表情で、口数の少ない彼。車内に、雨の音とキュッキュッというワイパーの音が響いた。僕はその彼の横顔と、スイッチを操作する手つきを見ているだけで、なぜかキュンとした。
年末が近くなると、社員は慌ただしい日々を送っていた。年内に終える必要のある仕事に目途をつけ、一年の最後の勤務日には、社員総出で大掃除をすることになっていた。
年内の勤務最終日、既に休暇を取っている人も何人かいた。瀬名も休みを取り、今日から海外へ旅行に行くと言っていた。出勤した僕は、同僚と一緒に朝から窓ガラス拭きやエアコン掃除、床の水拭き等を行っていた。社内はいつもの雰囲気とは異なっていて、一年の仕事を終えた解放感や、正月休み前の高揚感が漂っていた。
「初詣とかは行かれるんですか?」
「お正月は実家に帰るの?」
そんな会話が聞こえてきた。
僕は隣の部屋の窓ガラスを拭きに行くと、北村は床に膝をついて、床の汚れを取っていた。太ったために、はち切れそうな作業着を着た北村。
僕は、あっと思った。夢中で床を擦っている北村の上着は上にずれ、彼の腰のあたりが少し露出していた。腰の部分には手術の跡と思われる、長さ二十センチメートル程度の大きな傷跡が、ちらっと見えた。僕は窓ガラス越しにそれを見て一瞬ドキッとしたが、彼のむっちりとした背中と腰、ズボンの隙間の影から見える彼の下着に目を奪われた。その視線をずらすと、彼の大きな丸いお尻が小さく揺れていた。僕の手はしばらく止まってしまった。
カラオケに行った次の日から、僕はほとんど毎日のように彼と雑談をするようになっていたし、仕事の合間にも冗談を言えるようになった。おどけた彼と話をするのが楽しかった。イケメンでもないし身なりもだらしないが、気取らない性格でユーモラスな、どこか頼りがいのある彼と一緒にいると、僕は余計な気を使う必要もなく、なぜか安心できた。いつの間にか、僕は彼の性格や体格に惹かれていたのだった。
「良いお年を」
大掃除を終え、すれ違う同僚に挨拶してから、僕は家へ帰った。
机の上には、まだ書き残していた年賀状が置いたままになっていた。最後の一枚、北村へ送る年賀状に、ひとこと何を書こうか迷っていたのだ。彼の丸い顔とつぶらな瞳、小さい鼻、ニコッと笑った彼の姿が思い浮かんでいた。
「北村さん、好きです」
僕の想いが心の中で形になった。
しかし、僕の頭の中には、瞬時に様々な思いが湧いてきた。彼は実家暮らしだから、もし彼のご両親がこれを見たら、まずいことになるな。そもそも、僕の気持ちを本人に伝えられるわけがない。机に向かっていた僕は、ペンを持ったままで書き出せなかった。しばらく葛藤した挙げ句、僕は次のように書いた。
「北村さんのキャラ、好きです」
これが、そのときの僕の精一杯の表現だった。




