四
[前回までのあらすじ]
同僚に誘ってもらい、カラオケに行った僕。
それがきっかけで徐々に会社に慣れ始めていた。
[登場人物紹介]
沢田 主人公。内気な男性。恋愛話は苦手
岩谷 管理職の男性。みんなを仕切るのがうまい
塚田 次期部長候補の男性。仕事熱心
坂下 同僚の男性。僕によく話しかけてくれる
白川 同僚の女性。カラオケがうまい
遠藤 外周りチームの男性。恋愛話が好き
谷津 遠藤と同じ課に所属。がっしりした体格
北村 沢田と同い年の男性。我が道を行くタイプ
東 沢田の中学時代の同級生の女子。洋楽が好き
この会社の業務は、主に飲料水や工場排水などの検査であった。ただ、梅雨の時期のように大雨になると、水量の増えた河川の水質調査業務も突発的に依頼されることがあった。したがって、六月から八月くらいの期間が、一年で最も忙しい時期であった。
五月も終わりになる頃、部長の岩谷は、繁忙期を前に社員の懇親を深めるのも兼ねて、景気づけに飲み会を開いた。
「御馳走様でした」
「お料理、美味しかったですね」
「この値段であの料理って、お得ですよね。今度また私も来てみようかな」
午後九時過ぎ、飲み会を終えて社員がぞろぞろと店を出てきた。
家に帰る人は挨拶をして去って行った。数人のメンツで別の店へ向かう人もいた。そして、残ったメンバーは店の前で声が掛かるのを待っていた。
「沢田さん、一緒に二次会行きません?」
白川が僕を誘ってきた。
「ええ」
僕はほろ酔い気分で答えた。
「よし。俺の行きつけのスナックに行くか」
岩谷が音頭を取った。岩谷を先頭に流れができ、僕も白川らと一緒に話をしながら、数人で後をついて行った。
カラーン、コローン。
店のドアに取り付けられた飾りが音を立てた。
「ママさん、空いてる?」
「いらっしゃい。最近不景気だから、いつも空いてるよ」
「何を寂しいこと言っとんがいね。おい、みんな。入れ」
岩谷は僕達を店内へ招き入れた。
僕達は店の奥の方からソファーに座っていった。
「今日は若い子ばっかりだね」
スナックのママは、冗談ぽく岩谷に言った。
「俺もたまには若い子と話したいからな」
「あら、私じゃダメみたいね」
ママは慣れた喋り口で言い、僕達ににっこりしながらテーブルにおつまみを置いた。僕や同僚は、あまり慣れないスナックの雰囲気に多少戸惑いながら、店内を見渡した。
カウンター席には、男性客が数人来ていた。岩谷とも面識があるようで、何やら岩谷と言葉を交わしている。
「飲み物選べよ。カラオケもあるからな」
カウンター席から、岩谷が言った。
各々が、ビールや焼酎、カクテルを注文した。
おしぼりで顔を拭いた塚田が言った。
「来週から忙しくなるね」
「そんなに忙しくなるんですか」
僕と同じで繁忙期を初めて経験する坂下が、ピーナッツをつまみながら聞いた。
「雨が相手だからいつ降るかもわからんし、一度調査が始まると徹夜になる時もあるからね」
「そうなんですか」
飲み物が運ばれてきて、一同は乾杯をした。
「それで、沢田さんは付き合ってる人、いないんですか?」
隣の遠藤が僕に聞いてきた。遠藤は谷津と同じく外の仕事がメインの、僕より年下の男性だ。職場でも今時の若者の雰囲気をしていたが、今日の飲み会には耳にピアスをつけて来ていた。
「はい。いないですね」
僕は正直に答えた。
「綺麗系の人がいいんですよね」
白川が言った。
「まあ、そうですね」
僕は、いつものように煮え切らない返事をした。
「女優みたいな人なんて、まず出会わんから、手短なところで済ませたらどうですか?」
遠藤は笑いながら言った。
「たとえば、そこにいる姉ちゃんとか」
遠藤は、視線で白川の方を示した。
「沢田さんは私みたいなのは入りませんよね」
それに気付いた白川が話に合わせて言った。
「いえ、そんなことは……」
僕は白川に気を使い、やんわりと答えた。むしろ、僕は白川のような気がきく女性は好きだった。
「ね。沢田さん、何か歌って欲しい曲ありますか?」
白川が僕に聞いた。
「あ、じゃあ」
僕は流行っていた女性ボーカルの曲をお願いした。
曲が流れだすと、カウンター席に座っていた岩谷が振り向いた。
「お。白川さんのカラオケ、初めて聞くなあ」
白川の歌は上手かった。僕は高い声が出る人は素直に尊敬してしまう。
僕が歌を聴いていると、隣の遠藤がわざと僕に聞こえるように坂下と話をしだした。
「沢田さん、気付いてるんかな。これで気付いてなかったら、鈍感過ぎますよ」
遠藤は、白川が僕に気があるということを、坂下と話していた。僕は、それが聞こえたようなふりもせずに、歌を終えた白川に小さく拍手して言った。
「ありがとうございます。上手でしたよ」
当然、僕は気付いていた。白川が僕に気があるのではないかと。それは嬉しかった。
遠藤は僕の肩に手を掛け、ひそひそと僕だけに聞こえるように言った。
「白川さんをどこかへ誘って口説いたら、絶対落ちますよ」
「うーん」
「沢田さんが誘わないんだったら、僕が誘っちゃいますよ。いいんですか?」
僕は気のない返事をした。遠藤はバツイチではあったが、恋愛に積極的なようだった。
僕は白川を嫌っているわけではなかった。ただ、ガツガツいくのも僕の性分ではありえなかった。いや、そもそも女性と結婚するというイメージが湧いていなかったのだ。
しかし、そういう僕も、小さい頃から全く女性に興味が無かったというほどでもない。
中学生の頃、僕は洋楽にはまっており、兄とよく洋楽番組のラジオをカセットテープに録音しながら聞いていた。
そして、給食の時間に校内放送で洋楽が流れる時があり、僕は嬉しかった。だが、その年代で洋楽を聴いている友人はおらず、唯一、同じクラスの女子、東さんが話の通じる人だった。
彼女はややふくよかな体型で、女子は体の発達も男子より速いためか、よく男子からからかわれていた。でも、それを笑ってやり過ごす、大らかな性格の女子だった。
「ねえ。今の曲、知ってる?」
「うん。知ってるよ」
僕達はニコッとほほ笑んだ。僕は、そんなふうにして給食の途中に東さんに駆け寄って会話をした。
ただし、高校時代には、女子とはほとんど会話することもなかった。進学校だったということもあるかもしれないが、修学旅行の記憶もないくらい、勉強の思い出しかない。
その頃は、以前話したように同じクラスの大沢君に興味はあったが、女子と付き合いたいとか会話したいとも思っていなかった。また、女性の陰部などについての興味も、それどころか知識もなかった。当時はインターネットも普及していなかったので、男子の友人のネットワークで知っていくのだろうが、僕はそのネットワークも避けていたのだった。
そのような性的指向というものは、年齢とともに変化するのだろうか。大学に進学した頃の僕は、男性ではなく、ゼミの一年後輩の女性に好意を持っていた。小柄で飾り気のない、素朴な女性だった。笑顔が素敵で、
「もし結婚するなら、こういう女性がいいな。」
と思える存在だったし、彼女も僕を好いてくれていたと思う。土の匂いがするというか、農作業が似合うというか、肝っ玉母さんになりそうな女性だった。
ただ、当時の僕は女性と付き合うとか結婚するとかも考えたことが無く、その後は卒業し、お互いに別々の道に進むのであった。
「何、ひそひそと話してるんですか。沢田さんが嫌がってますよ」
白川が遠藤に言った。
「いいんですね?」
遠藤は僕の肩に掛けた手をどかし、そのセリフだけ大きな声で念を押すように言った。僕はそんなことを言われて、白川と目を合わせるのも気まずくなった。いいも何も、僕は自分から女性を誘うつもりはなかった。そして、強引に話を進める遠藤に、僕は少し嫌悪感を抱いた。
すっかり醒めてしまった僕は、いつものように周囲を見回した。谷津と塚田は、同僚の女性と楽しそうに話をしている。北村は、なぜか携帯ゲーム機でゲームをしており、坂下にいじられていた。白川と遠藤は、僕を飛び越えて話をしている。
僕は周囲の様子から一人ぽっかりと浮かんだように、心の中で漠然と思った。
「僕は結婚するのかなあ。将来一緒に暮らしているのは、女性だろうか、男性だろうか。やっぱり一人なのかな」
僕は、カシスオレンジに入った氷をクルクルと回しながら思った。
「せめて、セクシャルマイノリティーに対する偏見や差別がなくなっていけばいいんだけどな。日本では、まだ同性婚は認められていないし、年代にもよるだろうが、同性が好きといえば、必ず嫌悪感を持つ人はいる。同性が好きといっても、誰かれ構わず好きになるのではない。異性を好きになることと同じなのだから」
「おい、沢田。何をボーっとしとるんだ。お前も歌えよ」
「あ、はい」
岩谷に声を掛けられ、僕はカラオケのマイクを握った。
二次会が終わり、一人家まで歩いて帰る道でも、僕の将来のモヤモヤとした霧は晴れなかった。




