第3章 黒いカーテン①
――まるで薄い黒のカーテンにさえぎられているようだ、と玲央は思った。
耳のあたりもぼうっとしている。
眠ると同じ夢を見る。桜花ママが「病院に行ってくるね」と言ってフラフラになりながら家を出たところだ。そして、そのまま入院してしまった。
最初はラインで「すぐ帰るよ」と言っていたのに、桜花ママが入院して1週間ぐらいたったころ、知らないおじさんが来た。
知らない人が来たらドアを開けちゃダメ。とママにも桜花ママにも言われたからドア越しに「誰ですか?」と聞いた。
おじさんは「桜花ママの知り合いだ」と言った。そして、おじさんは「ママが亡くなった。病院に一緒に行こう」と言った。
一緒に、と誰に言われてもついて行ってはいけない。ママから言われたことだ。桜花ママにも言われた。
本当は走り出して桜花ママのいる病院に行きたかった。でも、場所が分からない。だから、僕はおじさんに聞いた。
「ママがいる病院はどこですか?」
おじさんはパトカーで一緒に、と言ったけどそのパトカーだってウソかも知れない。とは言っても病院に行ってどこに行けばいいか分からない。
「知らない人について行ってはいけないとママに言われました。……病院に行ったらどうすればいいですか?」
おじさんは、ああ……と言いながら少し黙った。そして、
「じゃあ、病院の正面玄関で待ち合わせをしよう。それならいいかな?」
と言った。それなら僕も行ける。病院の中なら……悪い人に連れていかれない。知らない人について行ったことにならない。
先に行ってるね、とおじさんは言うと、階段を降りて行った。金属を蹴る音が聞こえなくなると、僕は病院までの道のりをグーグルマップで調べて、財布の中に1000円札が2枚入っているのを確認した。これだけ入っていれば行って帰ってこれる。
その後、帽子をかぶって家の鍵を閉めると、駆け出した。桜花ママが死んだって……嘘だ!何度も心の中で僕は叫んだ。
――正面玄関ではパトカーの脇でおじさんが待っていた。回転灯だけが乗っかっている、覆面パト、と言うやつだ。受付でおじさんが何かを伝えると、僕には椅子に座って待つように言った。
僕が座ると続いておじさんが座った。その時、僕の椅子まで揺らして何となく居心地が悪かったのを覚えている。
そして、病院なのにとても静かだった。待合ではだれもがマスクをしていた。表情が見えない人ばかり。大きな病院なのに待合はガランとしていた。いつもなら、注射を受けて泣く子どもの声がするのに、それがなかった。
時折救急車が入ってくる音がする。その時だけ、慌ただしい音がした。
徐々に聞こえていた音も、まるで壁の向こうにあるように鈍く聞こえだしてきた。まるで耳に綿を少しずつ入れられている。そんな感覚がした。
てのひらにジワリ。汗がにじんだ。空気がまるでゼリーのようで僕は苦しくなった。
――ああ、今僕は一人ぼっちなんだ。涙が出そうになったけど、どうにかこらえた。
どれだけ待ったのか……白衣を着た医者がやってきた。「こちらです」そう言うと、先生は早足で先へと進んだ。
廊下は走ってはいけません――ママの声が聞こえた気がしたけど、僕は走ってしまった。やがて、小さな部屋に案内された。
薄暗い、小さな部屋に入ると、ママは袋に包まれていた。
僕はママの名前を何度も呼んだ。でも目を覚まさなかった。それでも、何度も僕は呼び続けた……。
そして、いつも夢はそこで終わる。目が覚めても、黒いカーテンが閉まった部屋の中にいるんだ。
玲央は目を覚ますと、そのまま、その後のことを思い出していた。
納体袋に入った桜花は、百合の花が描かれた袋に包まれていた。いつもと違う桜花の姿に慌てて近寄ろうとしたが、医師に止められた。
「桜花ママ……?」
玲央は届くように少し大きな声で呼びかけた。
ところが、返事はなかった。閉じた唇が開くことはなかった。
いつもなら、呼べば笑顔で「なぁに?」と返事するのに……。玲央はひんやりとしたものに心が覆われていくのを感じた。
玲央はだんだん、頭がぼやっとしてきた。そして、桜花の姿をぼんやりと見つめた。
桜花の、いつも玲央を見つめる瞳は閉じてピクリとも動かなかった。そして、胸の上では固く手を合わせていた。
最初のママの時と同じだ。玲央は思った。
もう、僕のことを呼ぶことも頭をなでることもないんだ。それだけがうっすらと分かった。
にじむ涙を握りこぶしで拭いては泣き出さないよう、ただただ歯を食いしばった。
光の差さない部屋の薄暗さが、玲央の気持ちを押し込めるかのようだった。静けさだけが胸に響いた。
読んでくださりありがとうございます。
第3章 黒いカーテンです。
この章は3つのエピソードに分かれます。
玲央の記憶を通じて、どうやって青森まで来たかを書きました。
全体的にしんみりした章になっています。
ゆっくりと読んでいただければ嬉しいです。




