第17章 継承-1①
水面の上を通り抜ける、湿気を含んだ少し冷たい風が頬を通り過ぎて行った。
7月。暑さで火照った体にそれはひんやりと、心地よく冷やして行った。
――まるで別世界のようだ。
「ここだ」
門亜はある墓石の前で立ち止まった。門亜の伯父の持つ、もう一つの墓所だった。
「桜花、来るのが遅くなってごめんね……」
そう言うと、門亜は静かに花立を引き抜いた。そして、たまっていた雨水を墓所の隅に捨てると、手桶に入れていた水を柄杓で掬い少しだけ入れて軽く揺らした。再び、捨てて柄杓で水を入れて揺らす。それを2つ。
3回くらい繰り返して、中がきれいになったところで水を入れ、花立を戻すと傍らから淡いピンクの花でまとめられた花束を取り出した。
「ごめん。何の花が好きか聞くの忘れちゃったから……あなたのイメージに合う花を持ってきたよ」
門亜はそう言うと、2つに分けて挿していった。トルコギキョウ、竜胆……グラジオラス。凛とした立ち姿が、桜花の……かりんの姿を髣髴とさせた。
「玲央」
門亜は玲央を呼んだ。そして、ここに、桜花ママが眠っているんだよ、と伝えた。
「あなたが守った玲央……大きくなっただろう。そうそう、弟もできたんだよ」
そう言うと、門亜は翔大のほうを向いた。翔大は玲央の隣に立った。
「あなたが、玲央を呼んで、そしてみんなを呼んでくれたんだ……」
ありがとう……そう言って門亜は手を合わせた。続いて玲央が手を合わせた。そして、翔大も、音環もそっと手を合わせた。
久しぶりに男言葉で話す門亜を見た。と、音環は思った。門亜にとって桜花さんはやっぱり特別なんだな。いつか返さなくちゃな……。
手を合わせ、門亜の横顔を見ながら思った。大分先になるけど……。
しばらく祈ったのち、音環たちは墓所を後にした。
――次は岡山だ。
音環はカーナビに住所を打ち込んでいた。約1250キロの数字に音環は気持ちが引き締まった。1日で移動するのは負担にだから、と、今日は新潟で一泊する予定だ。
新潟……日本酒がおいしいんだよな……門亜、飲みたいだろうなぁ。
桜花を三戸まで送った日の夜。すべっタローのリンゴ畑での飲み会を思い出していた。あの日は飲んだな……とにかく飲んだ。帰りは俺が背負ってうちに連れてくるほど、門亜は飲んだ。
「門亜さんと玲央兄ぃ、遅いね」
トイレに行った2人を待っていた翔大が、足をぷらつかせながら言った。
音環は運転席から振り向くと、翔大の目をじっと見た。
「うん……。翔大、ここからは男と男の約束だ。玲央兄ぃが泣いたように見えても、見ないふりするんだぞ」
翔大は一瞬、何を言っているのか分からなかった。男と男の約束……その言葉だけが重い約束だ、と言うのだけわかった。
「泣いていたの?なんて聞いちゃだめだぞ。玲央はお兄ちゃんだから、泣かないでいつも我慢しているんだ。だから今日だけは泣きたい時に泣かせてあげないと……病気になってしまう」
今日は泣かないと病気になる。だから泣いていたの、と聞いてはいけない。……玲央兄ぃのために、僕は黙っていればいいのかな?
「大丈夫だ。きっと誰かが話し出せばいつもの通りだ。ちょっとだけ静かにしていれば……大丈夫だ」
ぽん。音環の大きな手が翔大の頭に乗っかった。少しごつごつした温かい手に翔大は安らぎを感じた。
少しして、玲央が門亜に連れられて戻ってきた。玲央の目の周りが少し、赤くはれて見えた。玲央の姿を見た翔大は窓の外を見た。
ドアが閉まると、翔大はさっきまで玲央が座っていた席に門亜がいるのに驚いた。二つあるジュニアシートの片方が外され、助手席に移動していた。
僕も前に座ってみたいけど……今日は玲央兄ぃが先に座る番だ。きっと。
翔大は門亜が渡す紙パックのジュースを飲みながら、も少ししたら僕にも乗せてね。玲央の背中に向かって心の中でつぶやいた。
――4人を乗せた車は、日本海側に向かい、秋田県に入るとそのまま南下した。
翔大は音環の肩越しに迫ってくる山を見た。少し身震いしたが、それも、すぐに躱して後ろに去っていく光景にほっとした。後部座席の車窓から見る景色は、左から右へと流れるように去って行った。
緑と……青い空の世界。時折、山の途中に見える小さな建物は、童話の世界を思い出させて翔大の心をドキドキさせた。
空の大半を覆っていた山がだんだん低くなり、道の両脇に田んぼが現れだしてきた。すらっと背を伸ばす緑色の稲が、風に吹かれ、波のように揺れていた。
「ごめん。俺、行きたいところあるんだ。ちょっとだけお昼待ってくれないか」
ハンドルを握りながら音環は言った。時間は11時を示していた。
「まだお昼には早いからいいけど……どこに行きたいの?」
門亜は言った。
「ごめん。実はさ、さっき調べていたら海が見えてそばが食べられるところがあるってあったんだよ。そこに行きたくて……いいかな?」
もし、早いほうがいいんだったらここで探すけど……、と音環は続けた。
「どれくらいかかりそう?」
「多分、到着が13時くらいになるかな……」
音環の返答に、門亜は助手席の玲央と隣の翔大に「大丈夫?」と聞いていた。玲央は、
「お腹空いているけど、海は見たいかも……」
と言った。
「音環、トイレ休憩を兼ねてコンビニに寄ってもらっていいかな?スーパーでもいいよ。ついでに軽くおせんべいとか、バナナとか買っちゃう」
門亜の返事に音環はOK、と車を走らせた。
うっそうとした木々の隙間から、ちらり、ちらりと海が見えてきた。
青森で見ていた海は、道路からすぐ見えていたのに……翔大にとって、どこまでも続く、木々の隙間からちらちら見える海は気になってしょうがなかった。
――どこまでもまっすぐな道を進むと、やがて車は大きな駐車場に滑り込んだ。
「待たせちゃってごめんなー」
音環の声が聞こえた。翔大は車を降りると、音環が伸びをするのをまねして空を見てみた。
晴れているのに、春のように薄く白いものがかかっている。
「空が青くない……」
翔大はつぶやいた。と同時に玲央の声が聞こえた。
「岡山の空に似ている……」
翔大はもう一度空を見た。青森の吸い込まれそうな、濃い青ではない空。でも玲央兄ぃは岡山の空と同じだと言う。
読んでくださりありがとうございます。
第17章 継承-1です。この章は4つに分かれます。
玲央の故郷へ、お墓参りに行く旅に出ました。
家族が家族らしくなるものの一つに旅があるのかな、と思っています。




