第16章 閑話休題 再会④デジャヴ
「そうだ、大河に相談があったんだよ」
ひとしきり笑った後、音環は真面目な顔になった。
「俺……不安でさ……。不謹慎だけど、幸せなんだよ。でもさ……」
音環はうつむくと、コーヒーソーサーの上のスプーンをつついた。
「高校、大学と女子に付き合え、と言われては付き合ったら最後、ひっぱたかれて終わりだったんだよ。門亜にそうやって去られたらと思うと……怖くてさ……」
大真面目に言う音環に、大河は口の端が緩んだ。
「多分、大丈夫だと思うが……」
えっ、と疑わしそうに大河を見る音環に、大河ははた、と考えた。そうだ。この男は『根拠』がないと納得しないんだったな。かと言って、素直に教える気にはなれないな。
「源氏物語」
ぽつり、と大河の口からついて出た。音環は再び大河を見た。
「漫画でいいから読んでみろ。夕顔の章。あと葵の上の章かな……六条御息所が出るところだ。あとは、ちょっと曲解すぎるが……女三宮が降嫁した時の紫の上の様子を見れば……国語が悲惨だった音環でも分かるだろう」
狐につままれたような顔を音環はした。とりあえず、帰りに古本屋に行って漫画版でも買ってくるかな……。
「まあ、分からなかったらまた連絡しろ。講義してやるから」
にやり、と大河は意地の悪い顔をした。
もうそろそろ帰ろうか、と言った時、大河は思い出したように言った。
「そう言えば、今、カズヤに頼んで『逢瀬・3』を作ってもらってるんだ」
大河の言葉に音環は耳を疑った。何だって?逢瀬・3だって?
「2、はボーカルがいないと成り立たないだろう。だから、ボーカルの部分をキーボードにして、それを主軸に俺たちが競うんだ」
音環はそれまで感じていた、日常の空気がさっとはがされたような気がした。あの陰鬱な曲を今度は楽器同士が競うだって……?大河、なんてことしてくれるんだ……。
「琥太郎も、大分上達して音環の癖とかもコピーしてきているぞ。琥太郎と練習するの、楽しみになってきたな」
音環の背中に、冷たいものが流れた。なんて意地の悪い!
「子どもの巣立ちを見守る親の八つ当たりだ。まあ、ちょっとあたりが強いかもしれないけどな」
大河はそう言うと、席を立ちあがった。
じゃあ、また。店の前で別れると、音環は古本屋へと向かった。なぞかけと言い、逢瀬・3といい。世紀末覇者め!音環は軽くため息をついた。
音環が古本を片手に憂鬱な気持ちで玄関に入ると、いくつもの靴が並んでいた。そうだ。今日は門亜にお客が来ていたんだっけ。大河の話で忘れていた。
――でも、靴がやけに大きい。それに静かだ。
音環は家に入るとまっすぐにリビングに向かった。挨拶をしよう、と扉を開くと……。
デジャヴ。
顔にシートマスクを乗せて上を向いている、4,5人ほどのお父さん方がソファーに座っていた。そして……玲央と翔大も、同じように顔にシートマスクを乗せて上を向いている。
音環は思わず持っていた本を床に落とした。
「あ、おかえり。音環」
シートマスクで保湿中の門亜が声をかけてきた。続いて
「お邪魔しています」
シートマスクの下で口をもごもごさせながらお父さん方が挨拶をしてきた。
「……何が一体始まってるんです?」
音環は平静を装って、聞いてみた。すると。
「いや、門亜さんがプチプラで美肌を保っているので、妻に、聞いて来いと……」
「そうなんです。しかも、聞くだけじゃ忘れるから実演を受けて来いと……」
「うちも……」
音環は小さくため息をついた。まあ、こうやってほかの父兄と仲良くなれるんだったらいいか。……そうだ!
「スキンケアも大事ですけど、門亜、よく豚足食べているんですよ。コラーゲンぷりぷりらしくて……」
そう言えば、知り合いの豚足屋、夏は売り上げが下がるってぼやいていたな。まあ、これで少し売り上げが上がったら、貸し付けの回収も楽になるかな。
それよりも、玲央と翔大……。何でも門亜の真似をするのはいいけど、ちょっとこれはお父さん心配。
まるで仮面をかぶったような2人の姿に音環はうつろな目線を送った。
夜。音環は防音室で漫画版「源氏物語」を読んでいた。
朝、早起きした門亜は早々に玲央と翔大と3人で、いつもの1階の和室で寝てしまった。ちょっと寂しさを感じていたが、源氏物語を読んでいる理由は聞かれたくなかった。
それにしても、だった。なんだ?この六条御息所……怖いんですけど。いや、生きたまま呪うって?いやいや、2人も命を落としてるぞ?愛だの嫉妬だのって……こんなにドロドロしているものなのか???
いや……この六条御息所の目つき……どこかで見たことあるぞ。ひっぱたく前の女子に似ている。そこまで思い至った時、音環の喉が六条御息所に両手で絞められていくような感覚に襲われた。
最初の一巻で音環は気分が悪くなってきた。大河の言っている、女三宮の場面はまだまだ先だ。俺、耐えられるかな。逢瀬・3のほうがマシに思えて来た……。
うええ、と顔をゆがめながら読んでいると、防音室の扉が開いた。振り返ると、門亜が立っていた。
「何読んでるの?」
音環は顔をしかめながら本のタイトルを見せた。
「へえー。珍しいね」
音環は無言でうなずいた。もう、説明する気力もない……。
「ごめん。門亜。俺気持ち悪いわ。これのせいで……。寝るね……」
音環は防音室を出て行った。
ふーん。門亜は足元に散らばる漫画版・源氏物語を拾い上げた。そしてソファーに座ると読み始めた。そんなに気持ち悪いかな?これ。
まあ、この光源氏、ヘタレだよね。うじうじ悩んでないで働けって話。門亜の脳裏に藤壺をひたすら追い求める光源氏の姿が浮かんできた。まあ、生産性のないことをうだうだと。
そして読み進めるうち、六条御息所にたどり着いた。あれ?この顔どこか見たことがある……。
ふと、門亜は誰だったかな、といろいろな顔を思い浮かべてみた。そして高校の時期までさかのぼった時、幾人かの女子を思い出した。
……そうだ。音環の後ろに立っていたボクをにらんできた女子たちに似ているんだ。
ふふん。門亜は心の中で、今はもう会うこともない高校時代の同級に向かって言った。
音環は渡さないよ。そんな顔をしても。残念でした。
「ん-。すっきりしたかも」
門亜は散らばった本をきちんと重ねあげると、部屋の電気を消して防音室を出た。
そして玲央たちの脇で、ちょっとうなされたような顔をして寝ている音環のおでこを、門亜はそっと指でつついた。
④デジャヴ です。
このエピソードは私自身が大好きな話で、門亜の隣でちょこんと並んで座ってシートマスクをしている玲央と翔大を想像してニヤニヤしながら書いていました。
きっとこの2人は、気持ちよさそうに・楽しそうにしているものは真似したくなるのかな、と思います。
おしぼりの時もそうでしたし……。
読んでくださりありがとうございます。




