第15章 薫風④
すべっタローが歌えない時の代役で歌うカズヤは「逢瀬・2」だけは歌いこなすことができない。
いつだったか大河を怒らせた時、「逢瀬・2」を歌うよう仕向けられた。俺もちょっと調子に乗ったが……終わった後、完膚なきまでに叩き潰されたカズヤはしばらく立ち直れなかった。
――琥太郎の歌は、もう、ところどころ音に飲み込まれていた。
……いや、大河が挑発しているんだ。歌を消しにかかっている。そして琥太郎も、挑発に引っ張られ始めている。声の芯が揺れ始めている。
助けに行きたいが……俺が琥太郎をサポートしに行けば俺のギターに合わせるように大河がかぶせに来る。そして混沌が始まる。
デスボイスは、次々と襲い掛かる音を抑えつける唯一の手段だ。とはいえ、すぐに変調をするこの曲の中では、タイミングを間違えると入れた瞬間足元をすくわれる。出来れば使わないほうがいい。
……だが、使いたくなるよう、仕向けられているこの状況では難しいだろう。使ったら最後、責め立てられて、声が裏返るぞ。
そもそも、ボーカル潰しの異名を持つ「逢瀬・2」は、演奏側だって、気を緩めればほかの楽器に焼き尽くされる。俺も何度、大河に壊されそうになったか。
とにかく禍々しい……そんなショッピングセンターに何をしに行くんだ。隣の奥さんと。
ふいに、琥太郎の声が裏返った。やばい。音環はひやりとした。
……早く立て直せ。しめたとばかりに付け込まれる。さらにデスボイスを出させられる。のどを痛めるぞ!
その時、空河のリズムがゆっくりになった。大河のギターもやんでいた。今、楽器を奏でているのは音環と門亜だけになった……。音環はやってきた静寂にまるで、杖で心臓を刺されたような気持になった。
やばい。罠が仕掛けられた……。俺と門亜2人がかりで引き寄せる……歌と一緒になったところで大河と空河がお前を引き裂きにかかる。
言うなれば、俺と門亜は堕天使だ。甘美に罠にかかる迷い子を引き寄せる。トランスにかかったところで大悪魔がいけにえにするんだ。
……俺も罠にかかった。救うつもりが、悪魔の手先になっていた。
琥太郎、ここはお前のペースで歌って行け。俺のギターに寄りかかるな。
空河のドラムの音が……聞こえるだろ……お前を捕まえに来る、ドラムの足音が……。お前の歌じゃないと、逃げ切れないんだ!
数回、声が裏返った後、琥太郎は咳き込んだ。……それでも歌い続けていた。
まるで、風に翻弄された小鳥が、なおも飛び続け、自分の存在をアピールするように。そんな琥太郎を大河は竜巻を起こすように音で蹂躙した。空河も容赦なかった。
音環は門亜と目を合わせると、琥太郎を挟むようにしてギターを奏でた。せめて、地に墜ちる時だけでも優しく受け止めよう……。
♪あなたの街の……♪
……いらんわ!うちの街に!音環は心の中で叫んだ。
――大河のギターが止んだ。空河のドラムで幕が下りる……。
琥太郎。お疲れ……。
静まったスタジオで、琥太郎の咳き込む声だけが響いていた。
「……この歌……すべっタローさん……歌えるの……すごい……」
やりすぎたか。そう言うように大河はそっぽを向いていた。
「はい。ハチれも。おいしくない方」
門亜が琥太郎にはちみつレモンのペットボトルを渡していた。
「おいしくない方がのどのケアにいいんだ」
門亜さん、よくわからない……琥太郎はかすれた声でつぶやいた。
それでも……歌いきれたボーカルだけが許される、笑顔をした。
ざわつきが戻り、音環はようやく周りを見る余裕が出てきた。音環はちらと玲央たちを見た。……怖くなかっただろうか。
それは杞憂だった。いつものポーっとした表情は消えて、息をのんだように音環と門亜を見ていた。揺るがない目だった。
……やれやれ。今日帰ったら、この曲を教えろ、と言い出すぞ。
そうだ!大河!
音環が大河のところに寄ろうとした時、空河がスティックで音環を遮った。
「大河兄ぃ。やっぱりすべっタローはバケモンだよね。アレンジ自分とはいえ、歌えちゃうんだもんね」
空河はスティックを拭きながら言った。
「でもさ、琥太郎の言うこともわかるような気がするな。すべっタローを大事にしすぎて、追悼みたいだった。今セッションして、楽しいと思ったのは久しぶり」
空河の言葉を聞きながら、音環は自分の中で感じた気持ちを反芻した。
確かに……歌はボロボロだし、気が気じゃなかったけど、全力で音を出したのは久しぶりだ。
「ある程度……音域とかはさ、合わせなくちゃいけないけど、あとは音源を僕たちに合わせてもらってもいいんじゃない?」
空河の言葉に、大河は考えこんだ。スタジオの皆の目線が大河に集中した。少しして、大河は琥太郎のほうを向くと呼びかけるように言った。
「琥太郎。防音室は使って構わない。……ギターは用意しておく。しばらくのどは休めておけ」
大河の言葉に琥太郎は目を丸くした。
「父さん……いいの?」
「音環の奏法が家に入るのは癪だが、いいだろう」
くそ、全部音環に持っていかれた……最後のほうは小さくつぶやいた。
「いや、そうでもないよ」
空河が大河の足元を指した。颯が大河の足元に来ていた。
「大河先生。ボクも先生みたいにギターを弾いてみたい」
颯が目をキラキラさせながら言った。
「ね。大河兄ぃ。僕からもお願い。やっとお招き側から外に歩き出したんだもの」
ああ……。大河はうなずきながら、固くなっていた心がほぐれてくるの感じた。歩き出す若い翼と、飛び込んでくる幼い翼と。時間は待ってくれないんだな。
少しずつ外の世界に出ていく若い翼を見ながら大河は思った。
心の中に、ほんの少しだけ風が通り過ぎた気がした。
読んでくださりありがとうございます。
第15章はこのエピソードで終わりになります。
琥太郎は飛び出していきましたが、その代わりに颯が大河のもとに飛び込んできました。
大河の家庭も、ひとまずは1件落着のようです。
次の章は、閑話休題で会話が中心の話になります。
まだまだお付き合いいただけると嬉しいです。




