第15章 薫風③
琥太郎が音環にギターを教えてほしい、と言った翌日。琥太郎は、弁当代と書かれた封筒を持ってきた。
中には1万円札1枚と「これ以上は出せない」と大河の字で書かれたメモが入っていた。食事代はこの前もらったばかりだから……これは、ギターのレッスン料と言うことなのだろう。
この2週間、音環は練習の傍ら琥太郎にもギターを教えていたが、夕食から大河が迎えに来るまでの1時間ちょっとしか練習が出来ない、と琥太郎がぼやいていた。
それなら、大河のマンションの防音室を使って練習をすれば、と音環は言ったが、琥太郎用のギターはないらしい。
大河のギターを借りる、と言う方法もあるが、ハードルが高い、と琥太郎は言っていた。
スタジオの中ではすでに門亜と空河が機材をセットしていた。玲央と翔大はおとなしく隅の方でそれぞれの楽器を大切そうに抱えながら、組みあがっていくアンプ類を見ていた。
琥太郎は、玲央たちに気づくと、すたすたとスタジオの隅へ向かった。
――空河の双子たちは琥太郎に近寄って遊びに誘おうとしたようだ。一直線に玲央たちの所に向かう琥太郎に、誘うタイミングを逃したのか、ぷっと膨れていた。
「ギターケースの、それ、買ってもらったやつ?」
琥太郎は音環から子供用のギターを買った、と言う話を聴いていた。調整と練習の時だけ防音室に持ってきて、後は自分の部屋に置いているらしい。
琥太郎が練習をする時は防音室になかったので、彼らの楽器を見るのは初めてだった。
「見たいなー。見せて?」
琥太郎がそう言うと、玲央と翔大はニッと笑ってギターケースからそれぞれの楽器を取り出した。玲央を表す“R”と翔大を表す“S”の金のステッカーが、スタジオのライトに照らされてキラキラしていた。
遠くから颯が琥太郎を見ていたが、やがて玲央とギターを見出した。隣の駆が遊ぼう、とつついていたが、しばらく気付かないでいた。
「合わせよう」
空河の声で音出しが始まった。音環と門亜はこの2週間、自宅の防音室で何度も練習したので、どちらかと言うと大河と音環たち、の音合わせに近かった。
すべっタローの復元音源に合わせてそれぞれが練習をしてきたが、リズム、ギター同士の駆け引きなど、細かなところで調整が必要だった。
それでも……すぐに相手の音に自分の音がなじんでいくのを音環は感じた。大河のギターは相変わらず疾走感があり挑発的だ。
しばらく音を合わせていたが、MV用に通しで一回流そう、と言うことになった。
曲は「2026デジタルとの邂逅」だった。
空河のドラムで曲が始まった。音環はギターを弾きながら、真剣な顔をして言ったすべっタローの顔を思い出していた。
不思議なコンテンツを作るクリエイターに恋をする歌だが……恋なんて生易しいもんじゃない。
画面の向こうにいるクリエイターは年齢も男女もわからない。ただ、生み出されるコンテンツからその姿を想像するだけ。存在するのに存在しない。
そして……すべっタローは、もし、自分が同じ立場だったらそのクリエイターの心の深淵に触れたいと言っていた曲だ。
音源のすべっタローは相変わらず、怨嗟をまき散らしていた。周りには執着であって怨嗟ではないと言うかのように歌っていた。音環はその歌を壊さないように慎重にコード進行をした。大河も、門亜も同じようであった。
そして無事に終わった時、音環はなぜか涙が出ていた。
大河は琥太郎に向かって「どうだ」というポーズを取っていた。玲央と翔大は歌に聞きほれたのかポーっとしていた。
音楽が、スタジオのみんなの心を一つにした……そう、音環が思った、その時だった。
「……が……てない」
琥太郎の声がした。続いて大河の怒鳴る声がした。
「もう一回言ってみろ!」
「音が生きていないと言ったんだ!」
初めて聞く、琥太郎の大きな声だった。
琥太郎は、振り絞って言ったのか、次の言葉が続けられなかった。その代わりに、大河をにらむように見ていた。
「だったら……歌ってみろ」
そう言うと、大河はギターを鳴らし始めた。前奏を聞いた音環は一瞬にして心が冷えた。
……まずい。これは「逢瀬・2」だ。
音環は大河を止めようとしたが、空河がドラムを鳴らし始めた。……始まってしまった。空河が入ったら、もう、止めることなど……出来ない。音環は短くため息をついた。
――「逢瀬」には2つある。どちらも同じショッピングセンターのCMのメタル版だが「逢瀬・1」をより挑発的にしたのが「逢瀬・2」だ。
もともと「逢瀬・1」も歌が始まるまで元歌が分からないほど、ダウンペースと変調でイメージを変えていた。すでに、禍々しい歌になっている。
それが「逢瀬・2」になり、各パートの特徴を最大限に生かした編曲をした。
大河はギターストロークを生かし、空河はその時の気分で軽快なリズムを刻む時もあれば重低音を鳴り響かす時もある。
門亜のベースは本来調整役だが、合わせる楽器によって、甘美にいざなうこともあれば、すべて踏み潰す重戦車にもなる。
音環はギターを鳴らしながら「逢瀬・2」の陰鬱な4分間をなぞっていた。俺のギターはアルペジオだ……単独であれば切なく歌い、大河が加わると混沌の海に叩き落す。いうなればセイレーンの役割に近い。
なによりこわいのが、演奏者の気分次第で、フレーズに参加したりしなかったりして音楽の印象が急に変わることだ。
翻弄されずに、自分の歌を歌い続けるのはかなりの至難の業。4つの楽器が、誘い、いざない、巻き込み、叩き落し、あるいは引きずり込む。その中を歌い上げようなんて……マゾヒストでない限り無理だ。
……琥太郎の歌が始まったな。ねっとりと歌い上げるんだ。音の波に惑わされるな。しっかりと立ってろ。
そして大河のギターに気をつけろ。さらおうと、ちょっかいを出してくるから。そう……そうだ……呪文を唱えるように……ギターの攻撃には躱すように歌うんだ……。
――そもそも、俺が空河の挑発に乗った時の強烈なセッションで、思いついたらしい。すべっタローがカズヤに、散々あおって編曲してもらったと聞いている。
元がCMだけあって一つの歌が短い。その中で曲調が際限なく変化していく。それに合わせてねっとりを緩めて、わざと音を外したり、クリアボイスで逃れたりしてすべっタローは歌っているが……それでも、逃げきれない時がある。
気が緩めば容赦なく俺たちが歌を引き裂きにかかる。声を立て直す間もなく次の音が入ってあおられる。
読んでくださりありがとうございます。
逢瀬……門亜が音環にアコースティックギターで弾いてほしい、と言ったことのある曲です。
その時は1人で弾いていたので想いを込めることが出来ましたが、本来はハードな曲でした。
ちなみに、1作目のSAKIOTTEでも逢瀬が出てきますが、その時は「逢瀬・1」でもう少しコミカルな曲です。




