第15章 薫風①
門亜が音環に助けを求めたほんの少し前。
音環が琥太郎と玲央たちを連れて店を出た後、門亜は勝手口のカギを閉めた。そして、いつも通り大河に『今日も琥太郎くんうちに来ているからね』とラインメッセージを送った。
しばらくして、勝手口の扉を開ける音がしたが、鍵が閉まっているとわかると店の引き戸が開いた。――大河だった。
大河は店に客がいるのを見ると、小声で言った。
「頼む。もう勘弁してくれ。琥太郎を連れて行かないでくれ」
「琥太郎くん、温かいご飯食べたいって言っていたよ」
もう。何度言えばわかるの?と門亜は続けた。
「食べ物がないわけじゃないんだ。レンジだってある。中学生なら温められるだろう」
そういうことじゃないんだなぁ。大河の言葉に、門亜は両手を伸ばすと、カウンターの上まで来ていた大河の両頬を押さえた。そしてグイッと前に引っ張った。
「も、もは、なひをする……」
ひよこの口になった大河が目を丸くしながら言った。
……分かるまで離さないよ。門亜は両腕に力を入れた。
「あのね。温かい、と言うのはそう言う意味じゃないの。誰かと一緒に食べたいって琥太郎くんは言っているの。別にいいじゃない?気になるんだったらご飯代払えばいいじゃない?」
大河は何か言おうとしたが、頬を抑えられて声が出せなかった。
「ボクの幼馴染、親との仲が悪くて、夜は外をうろうろしていたの。子どもが衝動的になったら家にいなさい、なんて聞くわけないでしょう。
ボクの幼馴染なんて、おやじ狩りにあっている人助けて死んじゃったんだからね」
その時、ふっと大河の顔から力が抜けた。門亜は両頬から手を離した。
「大河にもご飯を出すからそこに座って」
門亜の剣幕に大河はおとなしく従った。すると、おかずがとん、とん、と置かれていった。最後にご飯とみそ汁が並んだ。
「食べちゃいなさい」
母親かよ……大河は言おうとしてやめた。門亜の古傷に触れてしまった。
あの時は……もし、手を伸ばしていたら事件に巻き込まれなかったかもしれない、としばらく門亜は自分を責めていたな。
時折涙ぐんでは、音環やすべっタローの背に顔をうずめる、門亜の顔が思い出された。
大河はみそ汁を一口飲むと、高野豆腐の煮物に箸をつけた。……おいしいなぁ。確かに琥太郎、毎日でも食べたいよな。
黙々と食べていると、カウンターの奥の席に座っていた男性客が「あれ?大河先生?」と隣にやってきた。
「お久しぶりです。5年前に娘がお世話になりました」
男性客はそう言うと、門亜にビールの追加とコップを一つ、頼んだ。
「親って大変ですよね。うちの娘なんて、口をきいてくれないんですよ。小さなころはあんなにパパ、パパって言ってくれたのにね……」
男性客は、娘の口調をまねしながら言った。寂しいもんですね。そう言うと、大河のコップにビールを注いだ。
ふん。ここは男性客に任せよう。門亜は食器を洗いに奥に向かった。……あれ?そう言えば、なんかだめだって言っていたことがあったな……なんだっけ?
その時だった。ごとん、とカウンターに何かがぶつかる音がした。門亜が慌てて戻ると、大河がカウンターに頭を突っ伏して寝ていた。
……そうだった。大河にお酒を飲ましちゃいけないんだったっけ。
門亜は音環にラインメッセージを送った。
――メッセージを見た音環が真っ青になって店に入って見たのは、お酒を飲んで突っ伏した大河の姿だった。大河を見た音環は一言言った。
「門亜……世紀末覇者を倒しちゃった」
琥太郎はぷっと吹き出した。
「門亜、とりあえず琥太郎と大河を家に送るから、玲央たちここで預かってて」
音環はそう言うと、
「琥太郎、そっち持てる?」
と声をかけた。そして、大河を2人がかりで抱えると、車に乗せ、大河のマンションへと向かって行った。
あわただしい一日だったな。音環は防音室で玲央たちを寝かしつけると、ポロン。弦を軽くはじいた。……何を弾こうか。
大河のマンションについてリビングに運び込んだ後、琥太郎はここからは自分でやるので、と言ったのでそのまま任せてきた。
多分、あの様子じゃ朝まで起きないだろう。気持ちを伝えるのはもう少し先になるのかな……こじれないといいが。
それと。
音環はちらとみた琥太郎の部屋を見て、玲央たちに部屋を用意していなかったことに気が付いた。2階の物置になっている部屋。決着をつけないといけない。
そうこうしているうちに、左手の指が勝手に弦を抑えだした。WOMAN―中西圭三。別に、立ち止まっていたわけではなかったが。
何回か繰り返し弾いていると、門亜が帰ってきた。最近はまっすぐ防音室にあがってくる。今日もだ……。音環はドアが開く前から温かい空気に包まれたような気がした。
「ただいま。今日はJ-popなんだね」
音環は少し微笑んでうなずいた。
「大河どうだった?」
「リビングまで運んだら、後は琥太郎がやるっていうからそのまま置いてきたよ。……門亜、相談があるんだけど」
なに?と言うように門亜は首をかしげた。
「この部屋の隣……今寝ている和室のちょうど上の部屋なんだけど、玲央たちにどうかなって。部屋で寝るのは後にしても、子ども部屋……どうかな」
門亜の顔がぱっと明るくなった。
「あと、2階の奥……ちょうど俺の部屋の上なんだけど、門亜、お前の部屋にどうかな。少しは……物が増えたろ」
えーボクはいいよ、と門亜は言ったが
「母の日に、でっかいぬいぐるみ買おうと思っていたのに」
と音環の言葉に、欲しいかも……と言葉を翻した。
かわいいものとか……本当は好きだったよな。音環は心の中でガッツポーズをした。
「今は親のモノがあって、片さなくちゃいけないからもう少し待ってほしいんだけど……連絡して、送るか処分するか、早々にやるよ」
音環の言葉に、門亜は音環の親が今どこにいるのか知らないことに気が付いた。
……と言うより、多分、一回しか会ったことがない。小学校のころから音環の家に遊びに行っているのに。
「そう言えば、音環の親って今どこにいるの?」
門亜は聞いてみた。音楽をやっているとは聞いていたけど。
「うーん。どこにいるかは分からないんだけど、今はロンドンに拠点を置いているよ」
ロンドンに拠点、と聞いて門亜は口をぽかんと開けた。
「……もしかして、すごい人だったりする?」
「うーん。音楽家としてはすごい人たちかも知れないけどね。俺にとっては衣食住だけを提供した人かな。多分、俺の顔も覚えていないよ」
音環はわざわざ「だけ」のところを強調した。中学の時まではまだ、活動の拠点が日本だったから、ツアーのない時期は月に一週間は家にいたけど……。
高校の時には徐々に活動の拠点を世界に広げて行ったから、実質、俺の保護者は青森のじいさんとばあちゃんだったんだよな。
読んでくださりありがとうございます。
第15章 薫風です。この章は4つに分かれます。
まさかの偶然で、門亜が大河を倒してしまいました。
大河を家に送っていった時に、子ども部屋がないことに気付く音環。
昔、音環が「住んでいる人の数より部屋の数が多い」と嘆いていましたが、無事に埋まりそうですね。




