第13章 7年分の雪解け③
それにしても……。伯父は店内を見回した。前回もだが、どうしてこんなに人がいるんだ?メニューが4つしかないと言うのに。それなのに、これだけ人がいればざわついていてよさそうなものだが、妙に静かだ。
これは長丁場だな……。伯父は肘をテーブルにつくと、あごの下で手を組んだ。
チリンと耳の後ろで音がした。後ろの席にも人が座ったようだ。
時折客が入ってくる音にイラつきを感じながらも、目の前の門亜のしぐさをじっくりと観察し始めた。
リスクがあるとすれば、会話を録音するくらいだ。まあ、コイツ……コイツらが俺をはめるとしても、ダメージは少ないだろう。それに……会話の内容に気を付ければいいだけだ。
伯父は運ばれてきたコーヒーに一口、口をつけた。……酸味が柔らかく入ってきて、美味しかった。
「OKだ。キャストは揃った」
門亜のイヤホンに音環の声が届いた。よし。ここからが本番だ。
門亜は口を開いた。
「ねえ、離婚するって本当……?もう愛してないの……?」
門亜の質問に伯父は拍子抜けした。と、同時に主語のない言い方が気になった。外から聞いている人間は誤解する言い回しだろう……。
「その話か。ばかやろう。仕方ないだろう。それに、恥ずかしくて言えるわけないだろう。言わなくてもわかってるだろうと……思っていたよ」
ふう。伯父は吐き出すように、静かに言った。まあ、本人が聞いているわけじゃないからいいか……周りは赤の他人だ。
「私と玲央が、家に行ったからいけないのかと思って……」
いいぞ、門亜。音環はマイクから聞こえる門亜と伯父の会話に集中した。音環の立つ街路樹の下からは店内の様子が見えた。油断はいけない。一歩踏み外すとすぐ地雷だからな。
「いや、それは関係ない」
「でも……私のせいだと思っているみたい」
ああ……あいつが言ったんだな。確かに門亜は親戚だし、こんなだから世話を焼いていたが……。伯父が返事をしないでいると
「もう……愛してないの?」
門亜の声が静かに響いた。くそ。何でこんなに静まっていやがる。……店の隅まで筒抜けだろ。
「いや、そんなことはない」
「じゃあ、愛しているって言って」
門亜の目はうるんでいた。本気で言っているようだった。
なんで、ここで言わなくちゃいけないんだ。本人でもないのに。
「言えるわけないだろう」
その時、伯父には門亜の目が言え、と言っているように見えた。言わなければ後悔するぞ、とても言うように。
「ああ……分かったよ。愛しているよ。馬鹿野郎。こんなこと恥ずかしくて言えるか」
そう伯父は言いながら、きちんと妻に言えばよかったのかな……といつも寂しそうに見送っていた妻に思いをはせた。今となっては、もう遅いが……。
外で聞いていた音環はぐっ。と小さくガッツボーズをした。やった!言わせたぞ!と、喜んだのもつかの間、
「じゃあ、何で7年間警察をやめたの」
と、門亜の声が音環の耳に飛び込んできた。馬鹿!門亜!あれほど言うなって言ったのに。7年もこだわっている理由が家族の理由じゃなかったら、今までの愛しているなんて軽く吹き飛んでしまう!
音環があたふたしていると、大きなため息が聞こえた。どちらのだ?誰のだ?声が聞こえてくるのを音環はじっと待った。
「あの事件だ。弘前の」
伯父は声を低くして、ぽつりと言った。
「証拠の中に、詳細に調べた捜査員たちの情報があったんだ。家族や家族の働いている場所、時間を克明に記した……な。見た時は震えたさ。幸い俺の分はなかったが」
抑揚のない、まるで報告書を読み上げるような声で小さく言った。
「俺は古い人間だからデジタルなんて使うのに必死だ。上からの指示がどれだけ的確でも、対応が遅れれば家族を巻き込む。
それが分かったから……裏切りと言われても、警察を辞めたんだ」
外で聞いていた音環は、がつん、とハンマーで心臓を殴られたような衝撃を受けた。そして、改めて伯父が置かれていた環境に、孤独に思いをはせた。
ちょっと顔を出して門亜を支えただけの俺。守る、と伯父さんに言ったけど、伯父さんの前ではただの戯言だ。音環はうなだれた。
その時だった。
「どうしてあなたは、仕事以外だとそうポンコツなんです?」
伯父の背後で女性の声がした。伯父が振り向くと、伯母が立っていた。
予想しなかったことに伯父が口をパクパクしていると、
「ネクタイの場所は分かるのに、靴下の場所は分からないなんてポンコツでしょう。いいですか?私は分かっていてあなたと結婚したんです。
いつも言っているでしょう。すまない、じゃなくてありがとう、でいいんですって。」
伯父は真っ赤になってうつむいた。久しぶりに聞く、自分に向ける声。こんなに嬉しいものだったのか。
「ありがとう……」
耳を澄ませないと、聞こえないほどの小さな声だった。それでも伯母はにっこり笑って
「帰りますよ」
伯母が伯父の手を取った。そして外に出ようとした時だった。
音環が走って中に入ってきた。
「マスター!これお代。後でおつりもらいに来るからね。じゃ、門亜、行こう」
そう言うと、音環は門亜の手を取って外に飛び出した。
「大丈夫。ナポリタンはきっと、あの二人が食べてくれるさ」
やれやれ。ミッションは成功。聞き耳たてていた野次馬も満足し店のざわつきも戻っただろう。2人、お幸せに。
音環は思った。
第13章③です。
察して、と言う地雷を踏んだのは伯父だったようです。
きちんと伝えてほしいのを察して、というシグナルに気が付かなかったのでしょう……。
無事に地固まってよかったです。
次のエピソードは後日談になります。
読んでくださりありがとうございます。




