第11章 家族③
音環は、手を振りほどいた翔大が外に飛び出すのではないかと、一瞬心臓がはねたが、階段を上る音を聞いてほっとした。そして、続いて軽くとん、とん、とん、と上っていく足音が聞こえて来た。
――2階は2階で、玲央が何とかするだろう。任せておこう。
音環は児相の職員に向かうと、ソファーに座るよう勧めた。
「うちに、もう1人子どもがいますので大丈夫でしょう」
職員の表情が、ほんの一瞬だけ動いた。 だがすぐに仕事の顔に戻り、淡々と頷いた。
「はい。では、翔大くんの様子を少し見せていただけますか」
――早まったな。まだ何も決まっていないのに「もう」1人、と言ってしまった。
音環は軽い後悔を覚えたが、気もちを切り替えると職員を和室に案内した。
二間続きの和室は、さっきまで玲央が寝ていた布団がそのままになっている以外は片付いていた。
職員は、静かに違和感がないか確認していたが、翔大のプライベートスペースが部屋の片隅に出来ているのを見つけると、手帳に書き込んでいた。
「2階の……子どもたちがいる部屋は見せていただけませんよね?」
質問が来た。音環はどうしたものか、と一瞬考え込んだが、
「今はまだ……。きっとパニックになるでしょうから、帰りまでには子どもたちを移動させますのでその時に見ていただければと思います」
と、淡々と答えた。
リビングに戻ると、職員は言った。
「弁護士さんから、話を聞きました。相続放棄の申し立てをするために法定代理人になる、と言う連絡でした。少なくない費用が発生したと思うのですが。亡くなられたお母さんとの関係をお伺いしても?」
回りくどい言葉は一つもない、率直な質問だ、と音環は感じた。裏がないだけ答えやすいが、同時に、反感を買っているように聞こえる。
「翔大くんのお母さんは、ここにいる門亜の店のお客さんです。
お母さんが倒れたので預かってほしい、とお店のマスターから預かったのがきっかけですが……そうですね……しっかり生活に入り込んできたから、ですね。
彼の将来を守るためにスマホを早々に手放させたので、だったら、最後まできっちり面倒を見るのが筋ではないかと。あ、これは弁護士に依頼した分の内容です」
音環の説明を、児相の職員は時折メモに取りながら静かに聞いていた。
是、でもなく非、でもなく。
その表情からは、音環は何の情報も受け取れなかった。費用をかける理由、に対する反応も、その説明がよかったのか、悪かったのか判断が付かなかった。――仕方ない。こちらはただ説明するだけだ。
一方で、児相の職員はわずか2週間で翔大を中心とした絆が出来つつあることに驚いていた。2人は二言、三言言葉を交わすと言った。
「正直、こちらで預かられたのがまだ2週間でしたので、今日連れて帰るほうが妥当であると思っていました。今の様子を見ていると、難しそうですね……」
2階をちらとみて、少し考えた様子だった。
「でも、今のままでは難しいと言わざるを得ません。お2人が独身であることが理由です。もし、片方に別のお相手が出来て、養育できない状況になったら、傷つくのは子どもなんです」
職員の言葉に音環は、返事が出来なかった。凄くもっともな答えだ。音環は思った。
傍らの門亜も、うつむくだけだった。
もうそろそろ、と職員が言ったので、音環は2階に上がって「防音室を児相のおじさんとおばさんに見せる」から玲央たちに和室に戻るように言った。
俺が壁になるから、その前を通ればいい、と言うと2人はすんなりうなずいた。
児相の職員の前に立ち、壁になった音環の前を2人は駆け抜けた。そして、防音室を見ると、職員は帰って行った。
……ファンヒーターの部屋を暖める音だけがリビングに響いていた。
昼食の後、玲央たちには「話し合いをしたいから、和室でDVDを見ているよう」に言った。
音環と門亜はテーブルをはさんで向かい合って座っていた。いつもは隣に座っている門亜が今日は前にいる。音環は今までは同じ方向を向いていたことに、あらためて気づかされた。
たった一言。翔大のためにパートナーシップ宣言をしないか。音環はその言葉を口にするのが出来なかった。そう言ってOKをもらったなら。それ以上は自分の気持ちに蓋をしないといけない。
とは言え、本当の気持ちを告げて去って行かれたら。或いは一緒にいることが出来ても一線を引かれたら。……それはそれで俺は大ダメージだろう。
時間がたつにつれ……口の中が乾いてきた。傍らのコーヒーを軽く含んだが、乾きは癒えなかった。そしてもう一口……。
そうしているうちに、門亜がモジモジしだしてきた。
――門亜はいつも、何か言いたいのに言えない時、モジモジしだすんだよな。音環の中からふっと、優しい笑みが出た。
ここいらが潮時かな。あとはすべて、何かに任せよう。恐らく、翔大だけは守られるはずだ。
「門亜……。俺の話からでいいか?」
門亜は伏せていた顔をぱっと上げると、また、うつむいた。何を怯えているのか……俺ほどじゃないだろうに。
「有体に言って……パートナーシップ宣言のことなんだけど……。先に聞いてほしい」
音環はじっと門亜を見つめた。……門亜とは目が合わなかった。組んだ手をテーブルに乗せたまま、目を伏せていた。
「俺……本当は家族が欲しかったんだ。ずっと昔から。そして、家族を手に入れるなら……門亜がいい。そう思っていた」
門亜の肩がピクリと動いた。
「これを言ってしまったら、どん引かれるかと思って……怖くて言えなかったんだ。……結局言ってしまった訳だけど」
ふっ。全部言い切ったからか、音環は肩から力が抜けたような気がした。
家族、とは難しい言葉だと思います。
どんな気持ちで繋がったもの同士が家族、となるのか……。
特に、音環と門亜みたいに恋愛感情がない間柄の2人では理屈で片づけるのは難しそうです。
読んでくださりありがとうございます。




