第11章 家族①
「翔大くんも玲央くんも……寝たよ。今日一日、よく頑張ったよね。2人とも」
門亜は2階の防音室に行くと、テーブルを寄せて、持っていたコーヒーを音環の前に置いた。
「今日は……お疲れさま。音環」
そして、ソファーに座っていた音環の隣に座った。
コーヒーの香りが立ち上っていた。湯気がかすかに渦を巻いて流れていくのを門亜はただ眺めていた。
音環は……何か考えている。待っていればきっと音環から言ってくれる。門亜はそんな気がした。どれだけ待つのか分からないけど。
門亜はコーヒーの湯気を眺めるのに飽きると、そっと音環を見た。そして表情の変わらない音環を見て、またコーヒーに目を落とした。次にそっと音環を見た時は、一瞬だけ目があったように思えた。
音環はふいっと目をそらした。そして3回目に音環を見た後門亜がモジモジしだした時、観念したように音環は口を開いた。
「門亜……幻滅したろ」
音環は吐き出すように言った。えっ、そう言って門亜が音環に振り向こうとした時、音環は苦いものを噛みしめたような顔をして続けた。
「貸し付けの回収の話だ。言葉にすると改めて、死別して悲しみの底にいる遺族に何をしているんだと思うよ……。とは言え、間違ったことはしていないし、銀行も慈善事業はできないからね」
門亜は、何か言おうとしたが言葉が出てこなかった。音環の痛みが、伝わってくるような気がした。
「門亜にはこんな話したくなかったんだ。この話を聞いて引かれてしまったら。離れていったら……それを思うと、怖かった」
そう言うと、音環はふい、と軽く横を向いた。門亜はうつむき加減の音環の横顔を見つめていた……。そして
「馬鹿だなぁ」
いつもの調子で門亜は言った。……音環は、えっ、と言うような顔で振り向いた。
「ボクが音環を嫌うわけないじゃないか。それに、翔大を全力で守ってくれたじゃないか。手出しができないようにさ。誰がそんな音環を嫌うんだよ」
音環と目が合った。門亜は優しく微笑むと続けた。
「1人で抱え込まないでよ……分からないことだらけだし、役に立たないかもしれないけどさ。
汚れてるなーと思うなら一緒に汚れるし、痛いところに飛び込まなくちゃいけないなら一緒に飛び込むよ」
「門亜……」
はぁ。と息を吐きながら音環はソファーの背もたれに寄りかかった。右手を顔に乗せて、表情を見せないようにしていた。それでも、門亜から僅かに見える表情は、口元が緩んでいるのが見えた。
門亜は音環に寄りかかった。
「ありがとう……」
一筋。音環の目から涙が流れたように見えた。門亜はそれを見なかったふりをした。ふと天井を見上げると、オレンジ色の灯りが、今日はひときわ柔らかく温かく見えた。
「冷めちゃったね。入れなおす?」
門亜の問いに、いや、と言って音環はコーヒーを飲み干した。
「門亜、頼みがある」
「児相に連絡して、事情を話して、いま翔大くんがここにいることを伝えてほしいんだ。それと……」
音環は門亜に向き合うとじっと目を見た。
「門亜は翔大くんをどうしたい?」
何かを言いたいけど、押し付けたりしない目。いつもの音環の目だ、門亜は思った。
「出来るなら……今までと同じに、一緒にいたい」
門亜の答えに音環の固さは消えたようだった。代わりに、いつもの、力強さが戻ってきたように門亜は思った。
「児相に、もし家に来るなら水曜まで待ってもらえないか伝えてくれないか。いや、様子はすぐに見に来るだろう。
でも、うちでこのまま育てたいから連れて行くのは待ってくれ、と。そう言ってほしい。水曜なら何とか有給取れるから」
それと……と、音環は続けた。
「明日、昼休みに弁護士に電話しておくから翔大くんを連れて事務所に行ってほしい。弁護士を代理人に立てて、相続放棄の申し立てをしてもらう」
そう言うと、音環は弁護士の名前を言った。それは、音環と門亜の小学校の時のクラスメートだった。
「費用とか……かかるんでしょう。ボクが一度に払える金額かわからないけど……ボクも払うよ」
「うーん。3、40万くらいかな。でも……手放させた翔大のスマホの価値は、そんな金じゃ測れない。だから、俺に払わせてくれ」
音環はそう言うと、ありがとう門亜、と言って軽く抱きついた。頬に感じる柔らかな音環の髪からはメンソールの香りがふわっと届いた。
翌朝からは、門亜に慌ただしい時間が続いた。
まず、翔大の小学校と児相への連絡をした。児相では、小学校から連絡が行っていたからか、担当者が驚きながらも話を丁寧に聞いてくれた。午後には音環から、火曜日の午前に弁護士事務所への予約を入れたとの連絡があった。
「そう言えば、児相の人が翔大くんを見に来たよ」
夜。門亜は仕事を終えると、防音室にいる音環の所に行った。玲央と翔大は、いつものとおりソファーの上で音環に寄りかかって寝ていた。
「様子を見に来ただけです、って言ってた。翔大くんとも少し話したかな。一応、明日は不在にしますよ、と言っておいた。水曜日に訪問するって」
まあ、妥当だろうな……音環は思った。強制的に連れていかれなかっただけ、幸いと言うか。音環は全力で体を預けている翔大の頭を軽くなでた。
読んでくださりありがとうございます。
第11章 家族です。この章は4つに分かれます。
昔、門亜に拒絶された時音環は「今度拒絶するときは俺に会いに来ないで」と言いました。
それだけ門亜からの拒絶を恐れていたのですが、今回の門亜の言葉は心強かったのではないかと思います。




