第10章 別離②
「ここからは私たちだけにしていただきたい」
――何を言っているんだ?
音環は無言で年かさの男を見た。口を開いたら怒りをぶつけてしまいそうだった。
「このまま、娘を連れて帰る。アパートも、今週中には契約を解除する。もし、持って行くものがあるなら今のうちに持って行くがいい」
事務的な、突き放したような言い方だった。翔大は……翔大は拒絶するのか?
「翔大は……あなたの血縁じゃないんですか?」
音環はやっとの思いで怒りを抑えて言った。男は無言で音環の目をじっと見た。その目は、これから翔大に聞かせるには酷い言葉を告げると言っているようだった。
音環は翔大を横向きに抱えると耳をそっと抑えた。
「娘に子どもがいることは知っている。だが、私の血縁は娘までだ」
……くそ!
怒りに顔がゆがんだ時、音環の足元に抱き着くものがあるものを感じた。玲央だった。玲央は不安な表情で音環を見上げた。
伝えたいことを伝えたのか、年かさの男は他の人と一緒に去っていった。
やりきれない気持ちでその後姿を見ていると、マスターが近づいてきて言った。
「ごめんね。嫌なものを翔大君に見せちゃったね……。リサちゃん、結婚反対されてたみたいなんだ。実は入院の時に、保証人になってもらうために連絡してはあったんだ。今日までお見舞いも来なかったんだけどね……」
そして、マスターは「思い出のものがあるなら取りに行った方がいい」と言った。ただし……翔大ママのものは持ち出さないように、とも付け加えた。
「どうする?」
音環は後部座席に翔大と玲央を乗せると、運転席に座った。後部座席では、翔大も玲央も目を真っ赤にしてうつむいていた。そして助手席の門亜も……うつむいたまま、黙っていた。
音環はエンジンをかけると袋からおにぎりを出した。
「翔大」
翔大は首を横に振った。
音環はそれぞれの前におにぎりを置くとラップを剥いて食べだした。そして
「俺は食べるぞ。悲しかったり悔しかった時ほど食べるんだ。力が出ないと、泣くことも出来ないからな」
と、ぶっきらぼうに言った。はっとしたように音環の様子を見ていた玲央は、同じようにラップを剥くと食べだした。
二つ目のおにぎりを音環が食べ始めた時……玲央はラップを剥いて翔大に渡した。手を出さないので、手を取って持たせた。
翔大はしばらくじっと眺めていたが、やがて一口、おにぎりを口にした。
「そうだ、翔大。しっかり食べろ。力が出るから。そしたらどれだけ泣いてもいいから。とにかく食べろ」
そう言うと、音環は両の手で翔大と玲央の頭をなでた。
塩味の強いおにぎり。翔大も玲央も涙を流しながら黙々と食べていた。
「門亜……これから忙しくなりそうだ……」
音環はつぶやいた。そして、お前も、と言いながら門亜におにぎりをわたすと、エンジンをかけた。
――音環は自宅に戻るとまっすぐに自室に向かった。そして、ノートパソコンを取り出すと、リビングに向かった。
「翔大、確かスマホ持っていたよな。出来たら、データをこのパソコンに移したいんだけど」
翔大はリュックからスマホを取り出すと、音環に渡そうとした。
音環は受け取る代わりに、こっち、こっち、と手招きをした。翔大は音環の隣に座った。玲央も翔大の隣に座ると音環と翔大の様子をじっと見ていた。
音環はスマホのロックを翔大に解除してもらうとケーブルでノートパソコンとつないだ。すると、ぽん、と右下に動作を要求するウィンドウが開いた。
音環はマウスで慎重に動作を選んでいくと、ファイルのインポートが出来る状態になった。
フォトが開くと、20枚ほどのファイルが画面に現れた。翔大と翔大ママが一緒に写る写真ばかりだった。
音環はすべて選択するとクラウドにインポートした。続いて、ノートパソコンにもフォルダを作ると、クラウドの写真をそのままコピーした。
続いて、スマホのラインの画面を開いた。翔大が保育施設で待っている時に送ったらしいメッセージが入っていた。翔大のメッセージに応答するかのように、仕事が終わった時に翔大ママが送ったスタンプとメッセージが続いていた。
これらを、スクショに撮り同じようにクラウド上にあげた。そして、さっきと同じようにフォルダを作ると、ラインのスクショをノートパソコンにも保存した。
保存が終わると、バッグからmicroSDを取り出して、データをコピーして移した。
「翔大……」
最初、翔大は音環のすることをじっと見つめていた。パソコンに写真が現れてからは1枚1枚、写真を確認するように眺めていた。時折、涙をこぼしていたが、袖で涙を拭いてはパソコンの画面をじっと見ていた。
音環は数秒、目をつぶった。……それでも言わなくちゃいけない。軽く、深呼吸をした。
「翔大。これから大事な話をしようと思う」
音環は翔大に向くと、軽く肩に手を乗せて言った。
「写真はこのパソコンに入れた。いつでも見ることが出来る。ラインのメッセージもだ」
そこまで言うと、音環は一瞬、すうっと息を吸い込み、そして吐き出した。
「このスマホを、アパートに置いて行かないといけない」
えっ。翔大は驚いたような顔をした。続いて、隣の玲央も同じような顔をした。そして、門亜もだった。
「翔大のママは今までたくさん翔大を守ってくれた。きっと、天国でも守ってくれると思う。
ただ……スマホであったりママとの思い出の品だったり。そう言ったものを持っていると、ママでも守れなくなってしまうんだ」
翔大はうつむいて、パソコンにつながれたスマホを見た。写真はパソコンに移っても……これはママが買ってくれたものなのに……。
そして、恐る恐る顔を上げると、音環の姿は、自分を心から心配してくれているように見えた。
「翔大……これから翔大のアパートに行こうと思う。どうしてもこれだけは、と言うものはあるか?」
音環の質問に、玲央は首を横に振った。
「なければ取りに入らないで、ドアポストからスマホと家のカギを入れようと思う。出来るか?」
その時、音環のパソコンの画面が暗転した。翔大は今まで写っていた写真が目の前で消えてしまうのを見て、何かがぷつり、と切れたような気がした。そして、顔を音環の腕にうずめた。
音環は翔大をそっと抱き寄せた。
読んでくださりありがとうございます。
第10章 別離②です。
門亜が悲しみに寄り添う分だけ、音環はリアリストになりきれるんだなと思います。




