第10章 別離①
この章では、法律に関係する話が出てきます。
素人が調べたものですので、お困りごとなどは専門家にご相談いただけますようお願いします。
重苦しい空気が流れていた。喉の渇きを覚えた門亜は、自動販売機で紙パックのジュースを2つ買って、1つを玲央に渡した。
ぼんやりとしながら少しづつ飲んでいたが、やがてズズと言う音と共に空になってしまった。息を深く吸い込み吐き出すと、門亜は時計を見た。
音環たちがエレベータに乗ってから30分は経っていた。
大変なことになっていないといいけど……門亜の心は大きくざわついていた。
玲央の様子も気になった。
どんどんぼーっとした顔になっていく。連れて来たのは間違いだったんじゃないか。拗ねようと焼きもちを焼こうと、2人で家で留守番をしていればよかったのではないか。門亜は後悔を始めていた。
その時、エレベーターが開いて、音環たちが下りてきた。翔大の目は真っ赤だった。泣くのを我慢したのか、口がへの字に曲がっていた。
それを見た玲央は黙って立ち上がった。そして、門亜の袖を引っ張ると、自動販売機を指さした。
玲央はバナナミルクの紙パック飲料を買うように門亜に言った。そして、取り出し口に紙パックが現れると、翔大のところに戻り、手渡した。
「来週……時間取ってくれるって。翔大くんが語り掛けたりすると反応があるんだ」
そう言うと音環は翔大の頭をなでた。
「いつも話しかけてくれていたママが、ただ眠っているのって……つらいよな……」
音環の言葉に、玲央の脳裏に納体袋に包まれていた桜花ママの姿が鮮明に表れた。突然、ぎゅっと心をわしづかみにされたような感覚に襲われた。
いなくなる……会えなくなる……。翔大ママも?
バナナミルクの紙パックを両手で抱えた翔大の両肩が、震えていた。その姿は玲央には小さく、消えそうに見えた。
どうすればいいのだろう。玲央が思った次の瞬間
ぎゅっ。
玲央は翔大を抱きしめていた。そして、音環が玲央にするように頭をなでていた。
抱きしめられた翔大は、びっくりしていたが、やがて表情が和らいでいった。
翔大は、味方が出来たような気がした。
翌日のことだった。
朝、音環は雪かきをしながら、昨日の玲央の姿を思い出していた。
玲央が翔大を慰める。正直、そこまでのことを期待していたわけではなかった。
一緒に病院に行って翔大の姿を見れば少し分かるのではないかと……言っても分からないだろうから見てもらったほうがいいだろう。そんな気持ちだった。
それが。
玲央は、自分なりに痛みを感じて相手に何かしてあげたくなった。音環が思うより早く成長する玲央に、改めて勉強させられるなぁ。と思ったりした。
雪かきを終えると、朝ごはんを作りにキッチンへと向かった。――その時、門亜のスマホがリビングで鳴っているのに気が付いた。画面には「マスター」と出ていた。
どくん。大きな心臓の音とともに口の中の乾きが同時にやってきた。心の中のざわつきが、シグナルを出していた。
「門亜、電話」
音環は門亜を揺り起こすとスマホを渡した。門亜は眠い目をこすりながら、電話をかけなおしていた。
もやもやした気持ちのまま、音環はキッチンへと戻った。
……とても嫌な予感がする。
音環は、ふりかけを取り出すと、炊飯器の中のごはんに混ぜ込み、おにぎりを作り出した。一つ……二つ……。炊き立てのご飯は熱かったが、音環は気にならなかった。
恐らく、門亜は翔大を起こしてこっちにやってくる。その時までにできるだけ多く握っておきたかった。
窯の中のごはん全部を握ったところで、はじめて両の手のひらがジンジンとするのに気が付いた。
あっちい。
水でべたべたした手をさっと洗うと、ラップにくるみ始めた。
……丁度その頃、門亜が翔大を連れてやってきた。
「翔大ママ、危ないって」
……やっぱり。音環は袋におにぎりを詰め込むと、
「病院に行こう」
翔大に声をかけた。そして音環は門亜に
「玲央は?……どちらかと留守番したほうがいいかな……」
と尋ねた。
夏。玲央は桜花の死に立ち会ったと聞いた。その記憶を呼び起こすであろうこれから起きる出来事に、玲央を連れて行くには忍びなかった。
留守番となると門亜が家に残ることになるだろう……翔大ママと付き合いがあったのは門亜だ。残していくことに罪悪感を感じていた。
その時だった。すでに着替えていた玲央が翔大の着替えを持ってきた。
「玲央は……行くか?」
玲央はうなずくと、翔大の手を取り玄関へと向かった。
――音環たちが翔大ママの病室に向かうと、4、5人の大人が翔大ママを囲んでいた。マスターは門亜に気が付くと近づいてきた。
「あの人たち……翔大ママの親と兄弟。お店で働く時の契約書に、身元引受人の欄があるんだけど、書いてあったから呼んだんだ」
「翔大くんは……そばに行けそう?」
門亜は聞いた。マスターは難しそうな顔をした。
「俺はいくよ」
音環はそう言うと、翔大をかばうように大人の間をかき分け、翔大ママの隣に連れて行った。
「耳元で話しかけてごらん」
音環は静かに翔大に言った。1人の大人が翔大を止めようとしたが、音環ににらまれると、ひるんで半歩下がった。
「ママ……ママ……」
翔大が呼びかけたその時。翔大ママの口が開いて何か言ったように見えた。そして……。
ピー。
無機質な音が鳴り響き、翔大の声をかき消した。
突き刺す音が、その命の一切の活動の終わりを告げていた。看護師と医師がベッド際に寄ると、蘇生措置を施したが、旅立った命は帰ってこなかった。
「ママ……ママァ……」
その様子を見ていた翔大は、口をあけたまま、涙を流していた。
白い布をかぶせられた翔大ママは、ストレッチャーに乗せられ病室を出て行った。
――病室に静寂が戻ってきた。翔大は音環に抱きかかえられ、その肩に顔をうずめていた。門亜のすすり泣く声だけがかすかに聞こえていた。
病室の中にいた大人たちは病室を出て行った。そして、続いて霊安室に行こうとする音環たちを、年かさの男が押しとどめた。
読んでくださりありがとうございます。
第10章 別離です。この章は3つに分かれます。
回復の兆しを見せたのもつかの間、別れが来てしまいました。
シリアスな話が続きます。
よろしくお願いします。




