第9章 願望④
「ん。じゃ、行こう。面会時間は3時かららしいから、今準備を始めればちょうどかな」
そして、音環は立ち上がると優しく、玲央にも言った。
「玲央もおいで」
玲央は椅子から滑り降りると、音環のあとをついて行った。
――病院までは車ですぐだった。玲央は音環の車が大きな病院に入っていくと、夏に桜花ママのところへ駆けつけた日のことを思い出した。
待合でじっと待っていた日。誰も知っている人がいないところで、知らない人が隣に一緒に待っていた日。
玲央はつないでいた門亜の手をぎゅっと握りしめた。
総合案内で面会の手続きをすると、受付の人がナースステーションまで連絡をしてくれた。本当は小学生の面会は出来なかった。
音環は、受付に入院している翔大ママの家族はここにいる翔大だけだと言うことを伝えた。そして、自分たちは付き添いで来ているだけだ。とも伝えた。
音環は続けた。入院して10日くらいたつが、その間、子どもは知らないところで一人ぼっちだ。お世話はしているから衣食住は足りている。でもどれだけ心細かっただろう。だから、一目でも合わせてあげたい、と伝えた。
しばらくして、ナースステーションから受付に連絡があった。
治療の一環として5分以内なら構わない。主治医の許可を取った、とのことであった。そして、医療用ガウンを着て入ってもらうため必ずナースステーションに寄るようにとの指示を受けた。
「1人で行かせるわけにいかないから、俺もついていくよ」
音環はそう言うと、翔大の手を引いてエレベーターに乗って行った。
門亜と玲央は、待合ロビーにある椅子に座って音環たちを待つことにした。
耳の中に綿が入ったみたいだ……。ざわつく音が鈍く聞こえるようだった。そして、玲央は口の中がじんわりと乾いていった。
ぼーっとした表情になって行く玲央に門亜は慌てた。そして、
「ジュース、買いに行こうか」
と、吹き抜けになってよく見える2階のコンビニエンスを指さし、玲央に言った。
「ボク、喉乾いちゃったし。玲央くん、行こう」
玲央はゆっくりと立ち上がると、門亜と手をつなぎ、エスカレーターを上って行った。
音環はエレベーターを降りると、翔大を抱きかかえ病棟入り口にあるジェル状の消毒薬を手に乗せると手をこするように言った。そして自分の手にも乗せて消毒すると、手をつないでナースステーションに向かった。
「ほかの患者さんの手前もあるので、治療の一環としています。ですので、私が立ち会おうことになります」
副師長、と名前の上に役職が書かれた名札を付けた女性が言った。
翔大がこれたのは奇跡だと音環は思った。
あちらこちらに面会のルールを書いたポスターが張られていた。体温や風邪状の症状を持っている人は面会不可、中学生以下の子供は特別な事情がない限り面会不可。とあった。
また、ナースステーションで挨拶をすると、まず体温を測られた。平熱の体温であることを確認すると、いくつかの問診を受けた。
問診で問題がない、とわかると初めて奥から副師長の名札を付けた女性が出てきた。女性は、音環と翔大にガウンと新しいマスクを渡し、着用するように言った。
どれだけ、外部からの病原菌を病棟に持ち込まないようにしているか……それを知った音環は頭が下がった。
「面会は5分です。患者さんに出来るのは耳元で声をかけること。そして、手を握ることだけです。点滴をしているので、針やチューブに気を付けてください」
そう言うと、近くにいた看護師に、翔大ママの同室の患者にこれから治療の一環で家族が来るので、感染が気になる人は面会ロビーに移動してほしい、と伝えてくるよう指示をした。少しして「OKです」と先ほどの看護師が戻ってきた。
「では行きましょう」
副師長を先頭に、音環たちはついて行った。
――翔大ママは窓際のベッドで眠っていた。朝の光、昼の光。夜の闇。五感で時間を感じさせようとする配慮のように思えた。そして、白いものに囲まれた姿は、顔を一層青白く見せた。
音環たちは腕に点滴がない側に立った。
「翔大くん。ママの耳元で『ママ』と呼んでごらん」
翔大は眠っているママの耳元で声をかけることに戸惑ったが、音環の言葉に従うことにした。
「ママ……?」
「手も、なでなでしてあげて」
翔大は音環に言われた通り、両手で翔大ママの手を包むと優しくなでた。しっとりとした手が乾いた翔大ママの手にぴったりくっついた。そしてもう一度
「ママ」
翔大は耳元でささやいた。
その時だった。翔大くんママの目から一筋。涙が流れこめかみを伝って落ちて行った。
それを見た翔大は、再び涙をこぼした。
「ママ……」
翔大を見ていた音環は鼻の奥がツンといたくなるのを感じた。涙を出すまい。と横を向いた時、副師長と目が合った。副師長も翔大を優しく見つめていたが、音環と目が合うと「5分経った」ことを目で告げた。
「翔大くん。5分経ったって。……また来ることはできますか」
音環は副師長に尋ねた。
「確約はできませんが……事前にお話をいただければ、今回のように治療の一環としてお会いできるようにします」
と言ってくれた。
「翔大くん。約束を守って、また来よう」
音環がそう言うと、翔大は母親から離れた。そして、また来るね、と言うように手を振った。
読んでくださりありがとうございます。
第9章 願望はこのエピソードで終わりになります。
仕事で病院に行くのですが、ほんの数年前、作業で入るのにチェックで30分は余計に時間が取られたことを思い出しました。
本当に厳しかったのですが、その厳しさで外部持ち込みのリスクを極限まで下げようとされていたことを実感しました。




