第9章 願望③
担任の先生も、以前、翔大ママが倒れた時のことを覚えているようだった。
「児童養護施設から帰ってきて、翔大くん、笑わなくなったんです」
あの時は、そうするしかなかったのだとは思いますが……。とつぶやくように付け足した。
しばらく考えていた教頭が口を開いた。
「18時30分に迎えに来ていただけるなら、学童保育施設を紹介します。費用のほうは先にいただきますので、元気になったら翔大くんの保護者とやり取りをしてください。
状況が状況ですから、市の支援課には私のほうから話しておきましょう。明日から利用出来るようにします」
18時30分か……ぎりぎりだな。でも、安全に守ってくれるならありがたい限りだ。
「お願いできますか?僕のほうでも調整して必ず迎えに行きます」
音環はソファーから立ち上がると、頭を下げた。
すると、教頭は一言、二言教務主任に指示をした。教務主任は席を外すと少しして、書類をいくつか持ってきた。
「とりあえず、緊急連絡先だけ先に書いておいてください。こちら、コピーを取って学校でも保管しておいてよろしいですか?」
音環はうなずくと、持っていた万年筆で自分と門亜の電話番号を記載した。住所を見た教務主任は言った。
「市内ですけど……遠いですね。1時間はかかりますよね」
おっ!探りか?音環は思った。そうだとしたら、リスクの見積もりをすぐにしてくれる分、好感度は高い。音環はポケットから名刺を出すと
「ちょっと離れていますけど……こちらの支店に勤務しているんです」
そう言って教頭先生に渡した。
先生方は、音環の名刺の写真と目の前の音環を見比べた。ある程度信用してくれたのか、
「何かあったら、何でも言ってください」
そう言うと、教頭は自分の名刺を持ってきて音環に渡した。
音環は、先生方にお礼を言うと、保健室に翔大を迎えに行った。
「待たせてごめんね」
翔大はほっとしたような顔をした。
「家に行ってもいい?出来れば教科書と、使っている道具とかあと着替え、持っていきたいんだけど……」
翔大はうなずいた。音環はあらかじめマスターに聞いていた住所をカーナビに入れると、
「こっちで大丈夫?」
翔大に聞きながら発進させた。
小学校から車で少し走ると、3階建ての建物が見えてきた。翔大の住むアパートは2階にあった。
「翔大くんママの大切なものが置いてあるもんね。だから俺は入らないよ」
そう翔大に伝えると、翔大は荷物を持って階段を降りるのは怖い、と言った。
「階段まで持ってきてくれれば、車に入れるよ」
音環は2階まで上ると、翔大が持ってきたものを次々と車に詰め込んだ。
カギを閉める時だけ音環は翔大の部屋の前まで来た。翔大がカギを閉めた後、軽くドアノブを回し、引っ張って施錠がされているかを確認した。
「次は門亜のお店だ」
音環は車を青森駅の方へ向けた。
国道は雪のせいで車線が狭くなって渋滞していた。前の車のストップランプで赤く照らされながら音環は考えていた。
……これから、翔大くんの夕飯をどうするかが課題だな……。門亜の店で食べさせれば玲央の帰りが遅くなる。玲央の帰りを優先させれば翔大の夕飯が遅くなる。
――門亜の店についた音環は、さっそく夕飯について門亜に相談をした。すると、
「音環も食べて行ったら?」
玲央くんも食べないで待っていたんだよ、と門亜は言った。
そうか……。気を遣わせちゃったな。音環は鈍く心が痛んだ。
「待たせてごめんな」
そう言うと、ニンジンとパプリカがたくさん乗ったナポリタンが出てきた。そして小さな平べったいハンバーグが乗っていた。
「玲央くんがねー。3人で食べたいって」
門亜はにっと笑った。
「翔大くんママ、ICUから出たって」
門亜は帰宅すると、すぐに防音室に向かった。そして、ギターを抱えてうとうとしている音環に耳元で伝えた。ソファーでは玲央と翔大が音環に寄りかかって寝ていた。
「でも、まだ意識は戻ってないんだって……」
音環の耳に、門亜の少し沈んだ声が聞こえた。
音環は頭を2、3回振るとカレンダーを見た。あと2日で週末。翔大を連れてお見舞いに行こうか……。
「土曜日、玲央を加えて4人でお見舞いに行かないか?」
音環は傍らで眠る玲央と翔大を見ながら言った。
「4人?」
「そう。4人だ。玲央も……知っておいたほうがいい。そう思って」
門亜の心は曇った。夏に桜花と別れてうちに来た。やっと、話をしてくれるようになった。もし、思い出してまた殻に閉じこもったら……。そう思うと、うなずくことはできなかった。
「多分、小学生の面会は出来ないことになっているから、門亜と玲央はナースステーションのあたりで待っているようだと思うよ。だから、直に見ることはないはずだ」
それに、と音環は言葉を止めると、少し声を潜めて言った。
「俺と翔大くんだけで出かけたら、玲央もいい気持ちはしないだろう」
4人で行かなければ翔大のお見舞いはできない。と言うことになる。
「今の話だと、預かるのはもっと先までと言うことになるだろう。玲央もイライラするかもしれない。また、怒りを爆発させて、後悔することにならないで欲しいんだ。知っていれば……別の形でイライラを伝えることもできるだろう?」
音環は玲央と翔大の頭を優しく何度もなでていた。
――土曜日の午後。音環は翔大に言った。
「お見舞いができる病室に移ったから、お見舞いに行こうと思うんだけど行く?」
翔大はすぐにうなずいた。音環はしゃがんで翔大の目線に合わせると
「実は、まだ眠ったままで、もしかしたらお見舞いに行っても寝ているかもしれない。それでも大丈夫か?」
再び翔大はうなずいた。そして
「寝ててもいい。ママに会いたい」
そう言うと、ぽろり、と翔大の目から大粒の涙がこぼれた。
玲央が絶対に出さないで、と言ったハンバーグが翔大の前に出てきました。
音環に言われたことが分かったから、と言うよりは音環の手伝いをしたい、という気持ちだったのかな、と思っています。
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