第9章 願望②
――さて、どこから話したものか……音環はしばらく迷っていたが、まずは明日の予定から話すことにした。
「俺……明日、午後有給取ろうと思ってる。お客との約束、入っていないから、翔大くんの小学校の先生と話をしようと思う。
特に夕方のお迎えだよな。安全に門亜のところまで行くのにどうすればいいか、考えないといけない……」
門亜はうなずいて聞いていた。そして
「有給、いいの?」
と聞いてきた。
「多分大丈夫。3月末までに5日取っておかないといけないからね。まだ少し残っているんだ。取らなくちゃいけない有給」
そして、音環は一呼吸すると言った。
「実はさ……。玲央、かまくらに行こうとする翔大くんを突き飛ばしちゃったんだよ。幸い、ケガはなかったようなんだけどね」
「えっ……」
門亜は玲央を見つめると
「音環……ごめん」
と謝った。きちんと教えていたつもりだったけど教えきれていなかった。
門亜の心に重たいものがズシリ、と寄りかかってきた。
「気づかなかった……」
「いや……。門亜のせいじゃない。それに子どもってそうなんだと思う。俺にも記憶がある。それよりも、店とかで気を付けて見てあげて。
翔大くんは当然だけど、玲央もストレスがかなりあると思う。爆発させて……後悔して欲しくないんだ」
「後悔……」
門亜はつぶやくように言うと、音環は続けた。
「ああ。人生なんて無傷じゃいられないけど、大人になっても大きく後悔するようなことだけはして欲しくないんだ」
そして宙を見て音環はつぶやいた。
「これ以上、この2人に背負わせるのは重たすぎるもんな……」
とりあえずこの2人を布団まで運ぶの手伝って、と音環は言い2人を布団に寝かすと、今日は俺もここで寝ていいか?と門亜に聞いた。
門亜はそっとうなずいた。
そして、音環は二人の頭をなでながら寝息を聞いているうちに、あっという間に眠りに落ちて行った。
「玲央、頼みがある」
朝食のパンをほおばる玲央に音環は言った。
「翔大くんを浪岡の小学校に毎朝送って行かなくちゃいけない。だから、玲央も小学校に早く行ってもらわなくちゃいけないんだけど……協力してもらえないか」
協力してほしい、とは言ったが多分玲央は俺に気を使っていいよ、と言うだろう。音環はそんな気がした。
「いいよ……いつまで?」
玲央は音環の目をじっと見た。いろいろと、嘘はつけない。
「翔大ママがよくなるまで。昨日入院したからいつ、と言うのは分からない」
音環は言葉を選んだ。そう。嘘ではない。
玲央は、音環の言葉に慌てて牛乳で流し込むと
「ボクも、いつも通り車で送ってくれるんでしょう」
そう言うと、ランドセルの中身をもう一度確認した。
「ありがとう。玲央。助かる」
音環は玲央の目をじっと見ながら両の手を握った。
翔大の準備は終わっていた。家に帰れなかったのだから、準備のしようがなかった。先生に話すことがいっぱいだな。音環は思った。
小学校で玲央と別れた後、音環は翔大に言った。
「家に寄る時間がないから、先生には話しておくよ。教科書とか、忘れものじゃないって言っておく。
あと、2時ころ翔大くんの小学校に行くから、職員室とかで待っていてくれるか?」
翔大はぽかん、と口を開けたままうなずいた。そして、理解をしようとしたが「分からない」と言うような顔をした。
それは、ルームミラーからもよく見えた。……しまった。一度に言ってしまった。
「授業が終わったら、家に帰らないで、職員室で待っててな」
音環はもう一度翔大に言った。
――幸い、有給申請はすぐに通った。家族の事情で……と言ったら心配までされた。
事情が複雑に絡み合った「家」の事情。嘘ではないが。家族、の一言があまり正しくないことに気づき、その言葉は音環の中をチクリ、と刺した。
翔大の小学校につくと、校長室に通された。一瞬、音環は身を固くしたが、逆に翔大の家庭の事情をほかの子に聞かれないことに気が付いた。配慮をしてくれる先生に感心した。
小学校側では、担任と教務主任、教頭先生が立ち会った。翔大は保健室で養護の先生が見てくれているとのことであった。
先生方からは、翔大と音環たちの関係を聞かれた。
――音環は、どう説明したものか、迷った。ええい。何とでもなれ。
「実は、僕の友人である門亜と翔大くんのママが知り合いで、昨日急に入院したことから預かることになりました。門亜には小学校3年の子供がいて、僕も協力して育てています」
友人が協力して子どもを育てる。先生方にはそこで引っかかったようだ。
全てではないが、友人同士と言っている男女で責任関係を放棄している場合は少なくない。そして、大体被害にあうのは子どもだ。
音環は説明が足りなかったことに気が付いた。やっぱり緊張しているな……俺。
「門亜は男なんです。飲食店を経営していて、翔大くんママは食事をしに来ていたみたいです」
音環の説明に先生方はほっとしたようだった。
音環は続けて、翔大の母親がICUに入ったこと、回復に時間がかかることを伝えた。
また、養護施設に入れるとお見舞いが出来なくなり、翔大の母親の回復に影響が出るため、知り合いである自分たちがそのまま預かって行くつもりであることを伝えた。
そして、迎えに行けるのが19時近くなるため、それまでの間安全に翔大がいられるような施設がないかを尋ねた。
俺の手が届くところにいるうちは……できるだけ負担を取り除いてあげたい。
音環はまだ小学校2年生の彼が、知らない人のうちに行くのに迷わず頭を下げる姿を思い出し、母親が戻ってくるまで普段通りの生活を送らせてあげたかった。
第9章 願望②です。
タイトルの願望、実は第12章までタイトルを変えながらそれぞれの望みを描いています。
叶った人、叶わなかったけどこれから手に入れていく人、それぞれですが……。
読んでくださりありがとうございます。




