第8章 ナポリタン④
「実はね、リサ……翔大くんのママね、お店で倒れたんだ」
それで救急車……門亜が言おうとした時、マスターは続けた。
「しばらく入院になると思うんだ。前もそうだったからね。それで、退院までの間、翔大くんを預かってほしいんだ」
「翔大くんを?」
門亜は音環を見た。
「前の時は、誰も迎えに行けなくて、夜間の保育所から警察に連絡が行ってしまったんだ。
保育所も人手があるわけじゃないから、引き取りのない子をそのまま預かるわけにいかない。
警察もこちらの事情が分かっているから、入院のような時は特に事件にしないんだけど……児童養護施設に預けてしまうから、手元に戻るまでに時間がかかるんだよ。
それに、観護に適しないと判断されたら、会うことも難しくなる」
マスターは一気に伝えると、さらに言った。
「前回、すごく時間がかかった……リサ、半狂乱に近くて……見ていて辛かったよ」
じっと聞いていた音環はマスターに言った。
「翔大くんのお母さんの入院先、後でいいので門亜に伝えてください。それと、翔大くん、小学校があると思うんですけど、どの辺りに住んでいるんです?」
マスターは翔大に小学校の名前を訪ねた。翔大が答えた小学校は浪岡方面の小学校だった。音環はスマホのマップで調べると、勤めている支店から少し離れてはいたが、遠いと言うほどではなかった。
「着替えとか、必要なものがあると思うので、自宅に僕が行っても大丈夫ですか?」
音環はあえてマスターに質問した。信頼できる大人から説明してもらったほうが、翔大くんも安心だろう。
「音環さんなら……。でも、お勤め先から遠いんじゃないんですか?」
マスターは言った。音環が支店名を伝えるとああ……、と納得したようだった。
「リサの入院先は後で連絡します。実はまだ決まっていないようなんです」
そしてマスターは翔大に向くと
「しばらく、門亜さんのところでお世話になっておいで。音環さんが小学校に連れて行ってくれると言っている。
大丈夫。前のようなことにならない。お母さんが退院したら、すぐに迎えに来てもらえるからね」
かがんで、翔大の目を見て言った。翔大はうなずき、門亜のほうを向くと、ぺこり。頭を下げた。まるでよろしくお願いします、と言っているようだった。
「門亜、俺、ちょっとジュニアシート買いに、ドンキに行ってこようと思うんだけど……玲央、見ててもらえない?」
店の中にいたお客は、翔大に気を使って、食事もそこそこに帰って行った。中には「翔大くんに」とジュース代を置いていくお客もいた。
「今日は臨時休業だね」
門亜はそう言うと外の暖簾を下ろした。そして、片づけを始めた。
玲央は、もう目が覚めていた。大人が3人、怖い顔で話をしていた。
いつもは翔大ママと一緒にいるはずの翔大が、一人置いて行かれた。音環に抱きかかえられているのに、玲央には門亜も音環も、どこか遠い人に思えた。
そして今。音環は翔大のためにドンキに買い物に行くと言う。
「玲央、起きたのか……起こしちゃってごめんな。俺、買い物に行くから、門亜と一緒にここで待っていてくれるか?」
ふと、玲央は考えた。いま、抱きかかえてくれている音環のぬくもり。手放したくない。
ぎゅっ。玲央は音環に抱き着いた。そして
「一緒に行く」
音環の肩に顔をうずめて言った。
「玲央……行って帰ってくるだけだから、疲れるぞ」
音環の言葉に玲央は、それでもいい、と言うように腕に力を入れた。
不安なんだな。
音環は玲央の頭をなでると、抱きかかえたまま
「じゃ、ドンキ行ってくる」
と、勝手口にかかっている玲央のオーバーコートを持って外に出た。
「眠かったら寝ちゃってていいからな」
玲央を後部座席に座らせると、シートベルトを締めながら言った。ジュニアシートは堅いから本当は門亜の店で待っていたほうが、体も楽なはずなんだけどな。
そう思いつつ、音環は玲央の気持ちが痛いほど伝わってきた気がした。玲央にとっても、少しずつ落ち着いてきたのに……。静かな時間を突然乱されて、不安になって仕方ないだろう。
玲央は、その不安な気持ちを、自分に預けてきたように思えて、音環は少しだけ嬉しく思った。事情が事情だけに素直に喜ぶことはできないが……。
音環はエンジンをかけると、ゆっくりと走り出した。
――国道は、除雪車が走ったようだったが夜の空気に冷やされて、氷になっていた。
チェーンをタイヤに巻いた車が走ったのか、路面は氷が削られてでこぼこになっていた。ゆっくり走ったつもりでも、容赦ない段差で上下に揺られた。
「玲央、大丈夫か?」
音環はちら、とルームミラーで玲央を見た。
玲央はシートベルトをぎゅっと握りしめながら前を見つめていた。ルームミラーの中の音環を見つめていたらしく、時折音環は玲央と目が合った。
ドンキまでは1時間近くはかかると音環は思っていたが、空いていたためか比較的早めについた。それでもその半分はかかった。
家に帰ると夜中だな……。音環は翌日の玲央と翔大の小学校が気になった。
店内に入ると、音環は大きなカートを持ってきて、次々と商品を入れて行った。ジュニアシート、布団一式、着替えと下着……。ふと手触りよさそうなハーフケットが目に入った。音環は色違いで2枚、それもカートに入れた。
玲央は次々と入っていくモノたちを見ながら、寂しい気持ちになった。秋に、玲央の冬服を買いに行った日のことを思い出した。
カートで山になっていく分だけ、翔大に向ける思いが見えるようだった。
音環は精算を終えると、カートごと駐車場に向かった。車のハッチバックを開けると布団や着替えなどの細かいものを手早く入れて行った。ジュニアシートは後部座席の玲央の隣に設置した。そして……
音環はハーフケットのタグを外すと、ほこりを落とすかのように2、3回軽く振った。
「ホントは洗いたかったんだけどね」
そう言って席に座らせていた玲央にシートベルトの上からかけた。
「俺の車、後ろまで暖房があまり行かないからなぁ」
そう言って軽く玲央を抱きしめると頭をなでた。
「今日はいろいろあって不安に思うだろうけど……玲央が大事なのは変わりないからな」
音環の言葉に、こくん、と玲央はうなずいた。音環はもう一度頭を軽くなでると、玲央の席の扉を閉めたあと運転席に乗り込んだ。
玲央は隣に並ぶ新しいジュニアシートと、色違いのハーフケットをちら、と見た。その時、温かい気持ちの中に、ちくり、と刺さるものを感じた。
読んでくださりありがとうございます。
翔大ママが仕事中倒れ、門亜の店に1人、置いて行かれました。
そして、やっと居場所が出来たと思った玲央に、隙間風が吹き始めます。
音環は、どう玲央に関わるのでしょうか。
しばらく、シリアスな話が続きます。
どうぞよろしくお願いします。




