第8章 ナポリタン②
――翌日。玲央が休憩部屋でテレビを見ていると、テンションの高い女性の声が聞こえて来た。
テレビの音を小さくして耳を澄ますと、トントントン、とリズムよくまな板に包丁が当たる音が聞こえた。そのまま、フライパンで炒める音がした。
ざく、がなかったから、パプリカは入れていない。玲央は少しだけ、ほっとした。
お皿がカウンターに置かれる音がすると、しばらくして女性の
「これ、ママ凄い!翔大がニンジン食べてる!」
と喜ぶ声が聞こえて来た。
玲央はほんの少し、心がうず、とした。『ママ』の言葉が、大切な人の輪の中にずい、っと入ってこられたような気がした。
昨日、女の人がナポリタンの話をしていた時は気にならなかったのに。
玲央は静かに休憩部屋を出ると、キッチンの隙間からお店の中をそっと覗いた。……顔は見えないけど、僕と同じくらいの子が女性の隣にいる……。
女性は、そっと覗く玲央に気が付いたようで、やっほーと言うように手を振った。玲央は見つかったことが悪いことかのように、さっと休憩部屋に戻った。
「ただいま……」
夜。仕事を終えて帰宅した門亜は、静かにふすまを開けると、布団で寝ている玲央の頭にキスをした。
「お休み……」
そして、なるべく足音を立てないように階段を上がって行った。少し開いた防音室の扉から、柔らかなオレンジ色の光が廊下に漏れていた
「おかえり。門亜」
扉を開けると、音環が起きていた。そして、いつものように静かにギターを弾いていた。同じフレーズを繰り返すアルペジオの曲……。今日は戦場のメリークリスマスだ。
どうして音環は、いつもボクの心にしみこむ曲を弾いてくれているんだろう。
門亜は音環の隣に座ると、天井を見上げた。まるで、今日一日の出来事を振り返るかのようだった。
音環が奏でるフレーズが、滑らかな繰り返しからトトトト……とリズムを刻むフレーズに変換した。時折、強くはじくような低い音が、ゆっくりほぐれていた……と同時に問題から目をそらそうとする門亜の心を、現実に引き戻した。
「子育てって、難しいね……」
天井を仰ぎ見たまま、門亜は言った。
「玲央くんが一番なのに、伝わらないんだよ……」
何か間違えているのかな?門亜はつぶやいた。柔らかいはずの灯りが、まぶしく見えた。涙でにじんで見えた。
音環はギターを弾く手を止め、門亜の呼吸を聞いていた。門亜の痛みが伝わってくるようだった。
気持ちの前には、言葉は陳腐だな……。どう伝えたものか。門亜から玲央に。俺から門亜に。
「玲央だけの特別を……繰り返していくしかないんだろうな……」
音環は言った。えっ?と振り向く門亜に音環は続けた。
「何か買うのだったら玲央だけの特別を。食べ物だったら、玲央だけの特別を。
それを誰かが欲しがったら、その時は新しく玲央だけの特別を……作り続けて行くしかないのかなって。玲央が、心から信じてくれるまで繰り返していくことなのかなって……思ったんだ」
そうか……。すとん、と門亜の中に音環の言葉が入ってきた。
特別を作るたび、きっとほかの子が欲しがるだろう。お店として、ダメとは言えないからそのたびに玲央くんが傷つく。
昨日見た玲央の上目遣いを思い出して再びぎゅっと心が締め付けられた。なら、欲しがったものは翌日にあげればいいし、その前に玲央に新しい特別を作ってあげればいい。それならば、ボクもできる……。
「ありがとう、音環……。やってみる……」
門亜の横顔を見ながら、音環は少しだけ針で刺されたような痛みを感じた。玲央と門亜の間にある、透明でも形が出来つつある絆。俺と玲央の間にはまだない……。
音環は最初のフレーズからギターを弾き出した。
そしてギターの音を聞きながら、門亜は一つの疑問が沸き起こった。
「あのね、音環。音環は、ボクと玲央の気持ちがわかってくれてるのに、高校の時はどうして付き合っていた女の子を怒らしていたの?」
ぴたり。音環のギターを弾く手が止まった。そしてプイ、と横を向くと
「仕方ないだろう……一番よくわからない人種だ」
そう言って立ち上がった。きちんとシャワー浴びて寝ろよ、と顔を赤くしながら言うと、防音室を出て行った。
門亜は「ふんじゃった♪」と歌いながら、防音室を出た。
翌日。門亜がお店に出ると密林から荷物が届いた。依頼主は音環だった。
「荷物が届いたら開けて使ってみて」
と昼前に音環からラインメッセージが入っていたのはこれだったのか……門亜は納得した。
開けると中から小さなフードプロセッサーが出てきた。
音環からのラインメッセージには
「玲央がハンバーグ食べたいって言っていたよ」
とあり、丁寧にレシピまで書いてあった。
ニンジンとピーマンをとても小さなみじん切りにして、ハンバーグの種に混ぜる。そして、つぶすように平べったくして焼く、だそうだ。
「野菜食べさせるために、いろいろ工夫したんだなぁ……。桜花……」
キュッと絞められるような気持を押さえるように、フードプロセッサーを抱きしめ宙を見た。桜花のはにかむような笑顔が見えるような気がした。
門亜はまず、レシピ通りに作ってみた。中に入れる野菜は玲央の記憶の中のレシピだから、分量は調整するしかないな。門亜は思った。
ナポリタンの時は野菜が多かった。だからハンバーグも、とピーマンを多く入れたらハンバーグがバラバラになってしまった。
「あちゃあ」
じゃあ、ピーマンを少なくしてニンジンを多めに、と入れたら、水分が多くてこちらも焼いている時にバラバラになってしまった。
「お迎えの時間だ……」
上手くいかない、玲央の記憶のハンバーグ。桜花はどうやって作ったのだろう。しょんぼりとした気持ちを抱えながら門亜は学童に玲央を迎えに行った。
――玲央は学童の玄関で靴を履いて待っていた。段のところに腰を降ろして膝を抱えていたが、門亜の姿を見るとぱっと立ち上がった。そして、恥ずかしそうに門亜のもとに駆け寄ってきた。
「お待たせ。玄関、寒くなかった?」
そう言うと、門亜は玲央の首にかかっていたマフラーを巻きなおした。すると玲央は恥ずかしそうにマフラーに顔をうずめた。上目遣いに門亜を見る目は柔らかった。
門亜は学童の先生にあいさつをすると、玲央と一緒に校門に向かった。
バスはすぐに来た。玲央は手すりを掴むと「よいしょ」とステップを上った。バスの通路は雪で濡れてびしょびしょだった。
滑らないかな……門亜は毎回気にしたが、玲央はすたすた歩いていくと、空いている2人掛けの席にポン。と座った。逆に門亜のほうが滑って転びそうになるほどだった。
子どもに野菜を食べさせる……永遠のテーマですね。
翔大くんのママも夕ご飯を作る時間があったら、きっと細かく刻んでナポリタンやハンバーグやカレーに入れていたのかな、と思いました。
読んでくださりありがとうございます。




