第2章 梅雨雷①
大河が7年ぶりに青森市に帰ってくることになった。
それを告げる教職員異動の記事が新聞に載った日、空河は音環に連絡をした。
「パートナーさんが亡くなったんだよ……」
突然の空河の言葉に音環は驚いた。聞いてないぞ……。音環が言葉を告げられずにいると、大分前だけどね、と空河は続けた。
前年の秋頃、日本中を襲ったはやり病で命を落としたらしい。
同じ市内にいたのに力になれなかった……。音環は大河に申し訳なく思った。
「うち、颯と駆がいるじゃん。琥太郎もちょくちょく遊んでいたし、帰っておいでよ、って言ったんだ。大河兄ぃも、身内が近いところにいるほうがいいってことで異動願を出したみたい」
「そうだったんだ……。そもそも、弘前は何で来ていたの?」
「うん。パートナーさんの勤務する高校がそっちだったみたいだよ。もう……いないからさ、大きくなったとはいえ、大河兄ぃが帰宅するまで1人って良くないよ」
まして、親を亡くしたばかりだもん。誰かが一緒にいないとね、と空河は言った。
そうだな……。音環はうなずくと、自分が小学生の時を思い出した。
両親はツアーが始まると数か月は帰ってこないミュージシャンだった。もちろん、今も現役だ。東京にいた時は、祖母と一緒に住んでいた。祖母も忙しい人らしく、1人でご飯を食べたことがある。リビングで食べる1人のご飯は、おいしくなかった。
生きている親がいないだけでこれだ。大切にしてくれた親との別れはどれだけ心細く、切なく悲しいことだろう。
「琥太郎君は元気しているの?ご飯は食べられている?」
音環は聞いた。すると、空河はまあ……ね、と言葉を濁した。そして、
「ちょっとしか食が進んでないみたい。大河兄ぃも心配していたけど、そもそも大河兄ぃもあまり食べていないようなんだよね」
と続けた。
つらい時ほど食べろ。音環の耳に、祖父の言葉が聞こえてくるような気がした。
俺、それで何度も辛いこと乗り越えて来たからさ……。青森に来た初日に言われた言葉だ。俺が青森に来たのは、東京の祖母が施設に入ったからだった。親は青森の祖父母を頼った。
青森は東京からとんでもなく遠かった。春なのに寒かった。
今まで住んでいた場所を離れて、心細くなっていた俺にじいさんが言ったんだ。
祖父母が作ってくれるご飯はおいしかった。門亜たち仲間がいたからと言うのもある。元気を取り戻して、やってこれた。その祖父母も、音環が大学生の時に亡くなった。
何だか、しんみりしてきた。悲しいが……俺が引きずられてどうする。
音環は話題を変えようと、空河の子どもたちのことを聞いた。
「そういえば、空河のところはどう?子どもたち今度入学式だっけ?」
音環の「入学式」の言葉を聞くと、空河は途端にデレデレになった。
「そうなんだよ!もうランドセルも届いていてね。颯がデニムで駆がブラウンなんだ。ちょっとずつ好きなのが違うんだよね。何だかそれも嬉しくって!
あとは体操着とか、上履きとか細かいものが色々あるんだけど……うちの近くの衣料品屋がセットで取り揃えてくれるから助かってる」
音環には、電話の向こうで春を振りまいている空河の姿が見えるような気がした。
1年生の担任を持つのと、自分の子どもが1年生になるのとでは違うんだろうな。……そうだ。入学式、空河は出席できるのか?
音環が聞こうとした時、空河は先に口を開いた。
「子どもの入学式は僕も出席するよ。今年は持ち上がりで2年生だから、助かったよね。
今は学校も結構配慮してくれるんだけど、さすがに1年生を受け持って入学式を休むのは気持ち的に出来ないから……もしかしたら、それも考慮して昨年1年生を持たせてくれたのかもしれないけど」
なるほど、そう言うこともあるのか。そうすると、卒業の年は6年生とか受け持たせてくれない、と言うことになるのか?
音環は再び話題を振った。
「今の季節、行事が続いて……奥さん大変じゃないのか?」
空河の奥さんは、2人の子育てで仕事をセーブしていると聞いていた。
それでも、学校行事が忙しい時期と空河が不在の時期は一緒だ。1人でこなすことになるんだろう。うちの銀行でも、昼の休憩は学校行事の話でいっぱいだ。
2人同時だから大変だよな、と音環は思った。
「そうなんだよ……頭が上がらない。僕は土日をメインでやるようにしているんだけどね。4月からは琥太郎も面倒見てくれるっていうから、ホントありがたくてありがたくて……」
と、こぼす空河の言葉は、最後はのろけに聞こえて来た。ここから先は、ヤブヘビだ。
会社のやつなら、早く落ち着けよ、と言う話に持っていかれるが、空河はそれをしない。とても助かるが、でももうそろそろこの話は撤収しよう。
音環は、大河が着任して落ち着いた頃食事をしよう、と提案をした。そして、お互いにじゃあ、と言って通話を切った。
――大河との再会はゴールデンウィークを越えても叶わなかった。
音環は、気になりながらも空河からの連絡を待ち続けた。落ち着いたら食事しよう。その約束はだいぶ先送りになっていた。
空河から連絡があったのは、梅雨に入ってしばらく経った頃だった。
音環がファミレスに入ろうとすると、入り口のアジサイが雨上がりの水を含んで淡く光っていた。
「ごめんな。俺に合わせて土曜日にしてもらって。……大丈夫?」
音環は店に入ると、先に来ていた空河に言った。
「いや、大丈夫だよ。かえって、子どもたちも一緒にって言ってくれてありがとうね。琥太郎、今でも大河からあまり離れたくないみたい。大切な家族と別れたし、引っ越しして環境も変わったし。当たり前なんだろうけど……」
空河はちら、と後ろを見てキッズコーナーの颯と駆を見た。
お揃いのパステルカラーのパーカーを着る2人を見て、まるで天使みたいだ、と素直に音環は思った。
颯と駆は柔らかな積み木のクッションを高く積み上げては、崩れるのを見て喜んでいた。
「琥太郎くん、ご飯とか食べれてるの?」
気になって音環は聞いた。
「うん。表面上は落ち着いているよ。土日はうちに来てもらってる。それに大河兄ぃも外に出さないとね。2人っきりだと殻の中に籠っちゃう。特に4、5月は小学校も忙しくて、仕事を自宅に持って帰りやすいからさ」
そう言うと、先に頼んでいたコーヒーを口にした。
音環は空河の言葉に、ジン……と来た。
ああ……空河はそうやって周りを見て、必要なものをそっと出しているんだな……。
音環はふと、遠い目をして、薄れかけていた記憶を引き寄せた。
竜飛崎へ、犯人を追いかけて行った時もお茶だの温かい飲み物だの……買ってくれていたな……。
くすぐったくなるような空河の優しさの思い出に浸っていると、ふいに空河は入り口に向かって手を振った。見ると、大河が琥太郎を連れてやって来た。
読んでくださりありがとうございます。
第2章 梅雨雷です。この章は4つに分かれます。
梅雨の後半に雷が鳴ることがあります。
豪雨となる一方で、恵みをもたらすものでもあるそうです。
それぞれに転機がやってくる章ですが、最後は恵みをもたらしてほしい……その気持ちでタイトルを付けました。




