第6章 冬支度①
「ん-。んまっ」
優しい甘さが、体にしみていくのを感じながら音環はコーヒーを一口、口に含んだ。砂糖の入っていないコーヒーが甘さを程よく流して、次の一口が新鮮な甘さになってやってきた。
ブラックによく合うなぁ。思いがけない「ご褒美」のような味に、音環はさらにもう一つ、とフォークを皿に伸ばした。
庭の片隅で成っていたリンゴは、串切りにしてコンポートにした。
今年のリンゴも酸っぱいなあ、と音環が口をすぼめて食べていたら、玲央がやってきて砂糖で煮るといい、と教えてくれた。毎年、桜花ママが作ってくれたそうだ。
砂糖の量を聞いたが、分からないと言うのである程度はネットのレシピを参考にした。出来上がって味見をした時の玲央のうれしそうな顔……。
かわいい!何てかわいいんだろう!音環は頬が緩んだ。
そして、そこまで思いを馳せた時、ふと門亜のことまで思い出した。どんなレシピを見たのか、芯をくりぬかないで煮ようとした。あれじゃ、リンゴの姿煮だ。
いや、それだけじゃない。朝ご飯をパンだけで済ませようとした。これじゃ、子どもにとって栄養が足りない、と、くどくど言ったらやっと目玉焼きを作るようになった。
それでも野菜が足りない。
結局、俺が自分の分を作るついでに玲央の分も作ることになった。まあ、それはいい。
まともな朝ご飯になった、と思ったらそれは玲央までで、自分はゼリー飲料だけでいい、と言う。子どもと一緒に食卓について、同じものを食べなさい、と何度言ったことか。
このひと月、引継ぎを受けた仕事を回すのに神経を配ったが、門亜の食事に気を配るとは思わなかった。
2人で暮らしていたらどうなったことやら……音環はぞっとした。高校の時の門亜の家の食卓、一汁三菜だったか何だか、きちんとしていたと空河が言っていたんだけど、おかしいな。
ふう……酸味と甘みが疲れを取ってくれるようだ。ソファーに身を沈めようとした時、ふすまがそっと開いて、廊下を歩いてくる音が聞こえた。
……門亜かな。玲央くん、寝たのかな?
「あっ。ボクも食べる」
開けっ放しのリビングの扉から門亜が入ってきた。そして、音環が食べているのを見た途端、冷蔵庫を開けてコンポートを皿に取り分けた。そのついでにマグカップを出して紅茶のティーバッグを入れると、お湯を注いで音環の向かいに座った。
「これ、ほんとおいしいよね」
ん-おいしっ!と食べる門亜を見ながら音環は苦笑した。夕飯は2人ともきちんとしているのか。後で玲央にそっと聞いておこう。音環は思った。
コンポートを口に運んで甘みをかみしめてはコーヒーの苦みで洗い流す。そして、新たに甘みを口にする。そんなことを繰り返しているうちに、音環の皿の上のコンポートは空になった。
「おかわり、持ってくる?」
門亜が聞いてきた。食べたいけど……夜だから、これくらいにしておこうかな。音環は「いいや」と門亜に言うと、どんなに酒を飲んでも気にならなかった若いころがふと懐かしくなった。
「あのさ……2つ相談があるんだけど……」
突然、門亜が言った。
「相談?」
音環が座りなおすと、門亜が遠慮がちに話し出した。
「うん……。仕事のことなんだけどね……。玲央くんを育てるのに、今の仕事だとどうしても時間が厳しいから、転職をしたいんだ。伯父さんからも言われていてね」
ずっ。門亜は口を湿らすように紅茶を飲んだ。
「何の仕事が向いているか分からなくて」
そう言うと、両手をもんでモジモジし出した。
「伯父さんは、なんて?」
「いくつか仕事を紹介してくれたんだけど、縁故だから……結局今と変わらなくって、甘えたままかなって、思ったんだ」
ふぅ。門亜のため息が音環の耳に届いた。いつも通り座っているのに、目の前にいる門亜は顔が青白く、小さく弱々しく見えた。
……門亜が立ち上がるには、箱を用意するだけではダメなんだな……改めて音環は思った。
しかし職か……。俺の方は人を紹介してくれと言われているけど、門亜に合うかどうか……。
「俺も、外回りで人の紹介頼まれるけど……結構、人手不足みたいだね。融資の相談より、人集めの相談のほうが多いよ。人手不足で倒産しそうだ、って言われて俺、ひやひやしてる」
そう言うと、音環は立ち上がってサーバーからコーヒーを注ぎ足した。
……まだ熱いな……。少し冷ましておこう。
「具体的に何時から働きたい、とかって考えてる?」
音環の問いに門亜は上を向きながらうーん、と考え出した。
「きっと、夜のほうがいいんだよね。玲央くんが学校行っている時半分寝てさ、玲央くんが寝るちょっと前に帰ってくるとか。ご飯も作りたいし、うーん。わかんない……」
ご飯を作りたい。夜に働いたほうが都合がいい。そのキーワードにふと、先日不動産屋から頼まれた人探しを思い出した。
「門亜、小料理屋の居抜きがあるって言ったら興味ある?」
「小料理屋の居抜き?」
門亜は首をかしげた。
「そう。実は不動産屋さんで貸している店舗の一つに小料理屋があって、女将が高齢でやめるか譲るかしたい、と言っているんだ」
それとボクにどう関係が?門亜は不思議な話を聞いているような顔をした。
「やめるとなると、店を現状復旧しなくちゃいけないんだけど、金銭的に難しいみたい。業績は悪くないようなんだ。だから、継いでくれる人を探しているんだって。
不動産屋さんも、現状復旧が怪しいのと次の契約者が来るまで待つより、継いでもらっちゃうほうがいいらしくて、契約者の名義を変えるだけでいいって言ってたんだ」
料理……不安だな……。門亜の表情はそう言っているようだった。
「年内は続けるみたいで、今なら一緒に働いて料理も教えられるよって言っていた。どうだろう。玲央くんの送迎は俺も手伝うから、やってみないか?」
また、音環に面倒をかける……門亜の顔が曇ったのを見て音環は慌てて続けた。
読んでくださりありがとうございます。
第6章 冬支度です。この章は4つに分かれます。
玲央と音環の距離が近づいてきましたが、新しくトラブルが入ってきます。
雨降って地固まる……なのですが、ちょっとだけ時間がかかりそうです。




