第5章 婚約指輪③
「昔、もらって食べたリンゴがとってもおいしくって、種を植えたんだ。そしたら、やっとここ数年で実をつけてね。でもさ、すごく酸っぱいんだ」
音環は、まるで梅干を食べたかのような酸っぱい、という顔をして見せた。
ぷっ。玲央は軽く噴き出した。
「種から育てたリンゴは、酸っぱかったり味が薄かったりするんだって。だから、甘いのを食べたかったら本当は園芸屋さんで苗木を買って来なくちゃいけないらしいんだけど、早く言って欲しいよね。ほんと」
酸っぱい、という顔をしたまま音環が言うので玲央はまた噴き出した。……どれだけ酸っぱいんだろう。玲央は気になった。
「でもさ、実がならないかな~って、ずっと水をやって肥料をやって来たから大切になっちゃってさ。だからそのまま育ててる。……きっと今年も酸っぱいんだよ」
口を尖らせたまま言う音環に、玲央はこらえきれず肩を震わせた。この人……面白い。しばらく、くすくすと笑い続けた。
――玲央の笑いが落ち着いたころ。門亜がふいに言った。
「あれ?このポスター……」
ふすまにはSAKIOTTEの大きなポスターが貼ってあった。しかも5人。すべっタローがいる。
「ごめん。実はふすまが破れていて、張替が間に合わなかったんだ。懐かしいだろ、冗談で作ったポスター。それに、すべっタローも残っているんだ」
「すべっタロー……」
そうだ。この笑顔だ。ふにゃあ、と言いながら拗ねては誰かの顔を盗み見て笑っている、みんなの真ん中にいた時の笑顔……。
門亜がポスターの中のすべっタローに手を伸ばそうとした時だった。
「あれ……?桜花ママが好きだって言ってた人がいる……」
つぶやくような……小さな声で玲央が言った。そして、指をさした。
「この人」
玲央が指した先は、黒いレースのアイマスクをした門亜がいた。そして玲央はごそごそとリュックサックの中からポーチを取り出した。
「桜花ママがこの人からもらったって言ってた……」
ポーチを開けると、中からレースのアイマスクが出てきた。
門亜の中で大きく心臓が振動した。
「これ、あの時の……」
そう言うと、門亜は膝からがっくり崩れ落ちた。弘前から青森まで逃げる時に変装で使ったアイマスク……それを大事に取っておいてくれたんだ。門亜の頬に一筋、涙が静かに伝い流れた。
門亜の様子に、玲央は戸惑った。大人を泣かしてしまった……。
どうしよう。そんな顔だった。
音環は静かに玲央に言った。
「玲央くん、門亜さんはね。この人なんだよ」
そう言うと、持っていたハンカチを細長くたたんで門亜の目にかぶせた。
「ついでに言うと、俺はこれ」
真っ青に髪を染め上げた写真の音環を指さした。
「だいぶ前に会った人はこの人ね」
ドラムを機嫌よく叩く空河を指さした。
音環の言葉に、玲央は徐々に目を丸くしていった。写真の門亜と目の前にいる門亜が同じ人であることに気が付いたようだった。
「門亜さん……」
玲央は門亜の首に腕を回し、そっと抱きついた。門亜は玲央の体に手を回すと、顔を肩にうずめた。
俺は、いない方がいいかな?
2人の様子を見ていた音環は
「俺、お茶の準備してくるから、落ち着いたらリビングに来て」
といい、そっとその場を離れた。
――10分ほどして、門亜と玲央がリビングにやって来た。門亜は鼻が赤くなっていた。
玲央は音環が出したお菓子を黙々と食べていた。そして、緊張がほどけたのか、玲央は眠ってしまった。ソファに座る門亜の膝枕で、穏やかな顔をして寝息を立てていた。
優しく玲央の頭をなでる門亜の左手にキラリ、と光るものがあった。音環は門亜の左手の薬指に光るものを見つけた。
「門亜、指輪なんてしてたっけ。しかも、そこに」
「ううん。さっきね」
門亜は恥ずかしそうに言い、冷ましたお茶を口に含んだ。
「実は……この前、空河のところに行った時、空河に一緒に行ってもらって指輪を見に行ったんだ。こっちはボクがつけるからシンプルなんだけど、もう一つはキチンとダイヤのついたやつ。かり……桜花に渡そうと思って」
門亜は恥ずかしそうな、困ったような顔をした。そして、ひざの上の玲央をちらりと見た。
「玲央くんを桜花に代わって育てるよ、と言う誓いと、プロポーズ。納骨をするっていうから、その隣に置いてもらおうと思ってね。返事は僕が行く時で良いからって……桜花に言ったつもりなんだけどね……」
そう言う門亜の顔は少し迷っているようだった。伏し目がちに言った。
「こう言うの……エゴかな……」
門亜は盗み見るように、上目遣いに音環を見た。あきれられてるかもしれないな……そんな表情だった。
音環は静かに、門亜にお茶を注いだ。
「いや?普通じゃないの?だって、待つって言ったんでしょう。それに……」
それに、と言いかけたところで、音環は意地悪そうににやり、とした。
「今更、何言ってるんだよ。2回も人前でキスしといて」
音環の言葉に、門亜は飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
「み、見てたの?!」
「ああ。大河と2人でね。大河は桜花さんの言ったセリフをおおむね正確に読み解いていたぞ。さすが、小学校の先生だわ」
門亜は顔を両手で隠してうつむいた。耳まで真っ赤になっていた。
「はずかしい……」
真っ赤になる門亜を冷やかしながら、音環は続けた。
「門亜はいいよ。俺たちなんて、見ちゃいけないよね、と言いながら廊下を移動したら暴対の刑事にしごかれるし」
門亜の脳裏に、会議室でしごかれる音環たちの姿がよみがえって来た。
「あの時は……ごめん……」
急にしゅん、とした門亜に音環は慌てた。
「いや、大河は技術が上がったって喜んでたし、すべっタローはこれでさすまたの免許皆伝、ってウキウキしていたから」
へ?と不思議そうな顔をした門亜に音環は続けた。
「何にしても、相思相愛には違いないから、後は返事待ちすればいいんじゃないの?嫌だったり門亜に早く会いたかったりすれば、門亜を待っていないで生まれ変わっているさ」
軽く言う音環の言葉に門亜は涙がにじんだ。そして、顔を両手で隠すと、何度もうなずいた。
そして、膝で眠る玲央の小さな寝息を聞きながら、彼が起きるまで静かに涙を流し続けた。
一月後。音環が青森市に帰ってくるのと同時に、門亜と玲央は音環の家の住人になった。
第5章はこのエピソードで終わりになります。
前の章で空河に依頼したのは、婚約指輪を一緒に買いに行って欲しい、でした。
納骨まで日のない中、無事に買えてよかったと思います。
そして、玲央が言わなかったら指輪は門亜の宝物入れに入れておいたままだったのでしょう。
読んでくださりありがとうございます。




