第5章 婚約指輪②
「ごめんね。夕ご飯一緒に食べていたんだ」
電話の向こうの門亜の声は、少しだけ張りがあるように聞こえた。だいぶ前に空河の家に行ってからか?やっぱり空河、いい仕事するな。と音環は感心した。
「それで……何かあったの?」
これから玲央くん、お風呂だから……。と門亜は言った。
音環はごめん、ごめんと言いながら続けた。
「門亜の伯父さんから、門亜がアパートを探しているって聞いたんだけど、俺んちはどう?頼まれた、っていうのもあるけど、部屋がありすぎるから来てくれると助かる」
これなら重たくないだろう。2人いると距離感が難しいよ。音環は門亜の言葉を待った。電話の向こうでは、ん-、と小さく唸る声が聞こえた。
「それはありがたいけど……ボクたち2人だよ?」
門亜は、遠慮がちに言った。音環はいつもの明るい声を出した。
「うん。伯父さん、2人暮らしだと息が詰まるんじゃないかって。それを心配していた」
音環は、真実に近いものの真実ではないことを告げていることに一瞬心が疼いた。
これは俺が勝手に伯父さんの表情から読み取ったやつ。違っていても俺が心配していることには変わりない。音環はそう、言い聞かせた。
「玲央くんがよければ、だけどね。問題なければ1回連れておいでよ。今度の週末、ハウスクリーニング入れるから、その翌日にでもどう?」
音環の話を聞きながら、門亜は心が揺れた。
……音環の家なら、小学校の学区内だから玲央にとって都合がいい。でも出来過ぎなくらい、都合のいい話だ。いいのかな。
それに、またボクは音環に甘えてしまいそうだ。
門亜はしばらく黙った。もう少し、結論は待ってもらえないかな。
「玲央くんに聞いてみる」
門亜がそう言うと、音環は「大丈夫だよ」と返した。
「俺が帰ってきてからだって、いいんだし。焦らないで」
音環がそう言った時、音環の耳に玲央の、眠いよ、の声が聞こえた。音環は慌てて「ごめん、じゃ」と言って電話を切った。
夕食の弁当を買って、車を駐車場に入れている時に門亜からメッセージが入った。ドキドキしながら画面を開くと「玲央くんもOK」の文字が目に入ってきてほっとした。
『風呂場だけカビ取りするから見られないけど、他の部屋は日曜日なら大丈夫だよ』
と返すと、門亜からは
『日曜日の午後お邪魔していい?』
と返ってきた。
音環は、OKとスタンプで返すと、部屋の間取りをさっと思い出して2人が住むのによい部屋を思い浮かべた。
おそらく、祖父母が生活をしていた1階の和室二間になるかな……。2階は防音室のほかは物置になっちゃっているもんな。門亜のバイクはどこに置くかな……庭つぶすかな……。などと考えた時、音環は自分の考えが妄想まで行っていることに気が付いた。
ダメだ、ダメだ。まだ、何も決まっていないのだから。また、甘えちゃうから、って門亜消えちゃうよ。
……玲央くん、どんな子だろう。相談に乗っていたから身近に感じていたけど、いざ会うとなると緊張するな。
嫌われないといいな。
音環は急に鼓動が早くなった。門亜よりそっちが問題だよ!……俺、週末まで寝不足かも。
音環はうなだれるとトボトボとアパートの階段を上って行った。
日曜日。
よいしょ、と玲央は玄関までの階段を上った。わずか3段だったが関節が痛かった。
……僕を連れてきたおじさんの家といい、この家といい、どうして高いところに玄関があるのだろう。それに、玄関の前にガラスの玄関があって、入る人を選ぶみたいだ。しかも、このうちはおじさんのうちより、一つ上るのに思いっきり上らないといけない。
玲央は疲れていた。家が変わった。学校も変わった。いつも見る、空も咲いている花も木も何となくだけど変わってしまった。そして、今度はまた家が変わるらしい。
2人のママ……どうすれば会えますか。玲央はうつむいた。
門亜がチャイムを押してしばらく待っていると、階段を下りる音がして玄関の扉が開いた。玄関から出てきた音環は、風除室のガラス戸を引いた。
「いらっしゃい。門亜」
そして音環は、玲央の前に進むとかがんだ。
「初めまして。玲央くん……だよね。僕は音環。門亜さんの友達だよ」
友達、と聞いて玲央は一瞬だけ顔を上げた。一体、門亜さんは何人友達がいるのだろう。玲央は心にちくっと針が刺さったような気がした。
岡山にいた時は……夕方、桜花ママが学童に迎えに来てくれた後、車で少し行ったところのスーパーへ行った。事務所のようなところで桜花ママの仕事が終わるまでずっと待っていた。……宿題の残りをするか、ほとんど寝ていたけど。
学童は、学年の小さい子が多かったから友達なんてほとんどいなかった。
桜花ママがいればよかった。……玲央の目に涙がにじんだ。
玲央の肩が震えたのをみて、音環はハンカチを取り出した。そして、帽子の陰に隠れている玲央の顔を覗き込むように、優しく涙をぬぐいながら言った。
「住むところが変わってばかりだとびっくりしちゃうよね。落ち着かないよね」
音環の言葉に、玲央はしゃっくりを上げた。本当に、そうだ。僕はあと何回引っ越せばよいのだろう。
「ここが気に入ったらずっと住んでいいんだよ。古い家だから、ちょっと不便だけど……良ければ上がって。」
門亜が玲央の背中を軽くぽんぽん、とたたいた。落ち着いたのか、玲央は靴を脱いで門亜と一緒に上がった。
「先に見てもらっちゃったほうがいいかな?その後に飲み物出すよ。後にすると玲央くんも心配になっちゃうよね。」
そう言うと、音環は廊下の左手のふすまを開けた。
「ここの二間続きの部屋を考えているんだけどね……どうだろう。2階は物置になっちゃってるんだ」
玲央は窓から庭が見えるのに気が付いた。広くも狭くもない庭の奥に小さな木が3本植わっていて、それぞれ赤や緑の実をつけているのが見えた。……リンゴだ。
リンゴの木をじっと見ているのに気が付いた音環は、実はさ……、と話し始めた。
初めて音環が緊張して恐れるところを書きました。
門亜にだけほんの少し未練を残しながら、ほかのことは次いこ次!
のようだった音環が、人間臭く感じて、書いていて楽しかったです。
読んでくださりありがとうございます。




