第5章 婚約指輪①
9月に入ってしばらくして、音環の勤める銀行で内示が出た。もう知らせても大丈夫だろう、と思った音環は、昼休みにそっと門亜にラインを送った。
「音環が帰ってくる!」
音環のメッセージを読んだ門亜はびっくりしたがすぐに笑顔になった。
隣で本を読んでいた玲央は「それは誰?」と言いたげな表情を門亜に向けると、門亜は玲央を抱きしめ、
「ボクの友だちだよ!とっても大好きな友達!」
と言った。
そんな門亜の姿を見ながら、伯父は門亜と玲央の関係が少し変わったのに気が付いた。
今まではハリネズミ同士が隣り合っていたようだったのに、いつの頃からか門亜はよく玲央を抱きしめるようになった。
そのせいか、玲央の顔に少しずつ表情が出てくるようになった。……今のところ、恐れ、とか困る、と言った表情のほうが多いが。
スマホを上げ下げしながら喜ぶ門亜を横目に伯父はふっ、と笑った。そしてはたと気が付いた。あの呪物が帰ってくる!
あまり介入しすぎて門亜の自立を妨げないでくれるといいのだが……。
伯父はそこまで思考を馳せたところでふと、事務所の上にあった門亜の部屋の引っ越しを思い出した。いや、やっぱり呪物に関わってもらおう。
まだ残っていたかな……と伯父はラインの履歴を開くと、音環にメッセージを送った。
『門亜のことで相談したいのだが、時間を取ってもらうことはできないだろうか。そちらに伺わせていただく』
そこまで打ち込むと伯父の手はぴたり、と止まった。
これじゃ、まるで相手は重要参考人だ。いつまでたってもラインは苦手だな……。
伯父はメッセージを直そうとタップをしたら、うっかり送信を押してしまった。
……呪物相手にやらかした!
伯父がスマホを見ながら後悔していると、音環からすぐに返事が来た。
『今週の木曜日なら空いています。夜になりますがお時間はよろしいでしょうか』
相変わらず、門亜のこととなると返事が早い。伯父は舌を巻いた。
それに、このメッセージ……俺もこう書けるようにならないとな……。
はぁ、とため息をつくと
『よろしくお願いします』
と一言返事を送った。
――約束の木曜日。伯父は弘前にいる音環を訪ねた。
「音環君……だったね。いつかは門亜をありがとう。時間を取ってもらってすまないね」
コーヒーを注文すると、トレイを持ったまま音環に言った。
相変わらず、猛禽類のような目つきだ。音環を見た伯父は心が冷えるような気がした。
「いえ……。門亜に何かあったんです?」
とりあえず、座りませんか。と音環は窓際の席に誘った。市役所近くの洋風な佇まいの喫茶店はチェーン店の名前を言わなければ、隠れ家的な雰囲気である。
音環は持っていたトレイをハイカウンターに置くと軽やかに腰かけた。伯父も音環に並んでトレイを置くと「よっ」と声をかけてちょっと高めのスツールに座った。
「いや、じゅ……音環君が青森に帰ってくると聞いてね……」
伯父は言葉を詰まらせた。うっかり、呪物、と言いそうになってしまった。聞き流してくれるといいのだが……。
一方で、音環は言い淀む伯父の言葉の先を読もうとした。門亜にかかわるな?とか?俺、門亜の気持ちを尊重しているはずなんだけどな……。
早く次を言ってくれないかな、と音環は思っていると、静かに深く息を吸い込む音がした。
伯父は体を音環のほうにむけると、目を見ながらはっきりとした声で言った
「単刀直入に言おう。もし、音環君が家に戻るなら、門亜たちも下宿させてくれないか」
ん?普通は逆じゃないか?誘おうとするな、とか自立の邪魔するな、とか。しかも、元刑事だけあって、目に迫力がある。負けじと音環も伯父の目をじっと見た。
……どんな裏があるんだ?予想がつかないぞ。
その時、さらり、と伯父は目線をずらした。そして、コーヒーに目線を落とすと、つぶやくように話し出した。
「前に……門亜の部屋、事務所の上にある門亜の部屋を引き上げたんだ。……どうやって入れたんだかバイクと生活に必要なもの以外、何もなかった。まるで終活をしているかのようだった……」
はぁ。と伯父はそこまで言い切ると、一つため息をついた。
「今は玲央を育てているから、そう簡単には壊れないだろう。でも、あの部屋の空っぽな空間が門亜の空虚な心を表しているようで、怖いんだ。
下宿代は払う。音環君の近くなら、門亜も何か満たされると思うんだ」
音環は頭の中で、静かに整理を始めた。
……門亜に、一緒に住もうと誘うつもりでいたが、邪魔をしそうな伯父から先に門亜たちを住まわせる依頼を受けた。話は嘘じゃないだろう。裏は……いや、裏はあっても躱しきれる気がする。……クリアだ。
門亜に伯父から言われたから誘った、とみられるのはリスク……これは先に情報開示しておこう。これもクリア。あとは?何か見落としはないか?
「一つだけ確認したいのですが……まだ、門亜には話はしていないですよね?」
音環は観察するように伯父の表情を見た。いや、まだだ、と答える伯父の顔は嘘をついているようではなかった。――最も、元刑事で探偵の伯父だ。簡単に表情に出る、なんてことはないだろう。
「来週には掃除も入れますし、内覧できるようになりますから、門亜には僕から話しておきます。下宿代は……安くしますので、門亜から払わせてください。
あくまでも門亜がOKしたら、と言う前提で。」
そう言うと、音環はコーヒーを一口飲んだ。少し冷めているが……逆に飲みやすかった。
隣では伯父が、ほっとしたようなちょっと後悔をしているような複雑な顔をしていたが音環は見なかったことにした。
さて。やることがいっぱいだ。音環は手帳を取り出すと、一つ一つ書き出してはカレンダーに書き込んでいった。
ふと顔を上げると、向かいの弘前城公園では木々が色づき出していた。……うまくいきますように。音環は心の中で手を合わせた。
伯父と別れたあと、音環は門亜に電話をかけた。つながらなかったので、また後でかけるかな、と車のエンジンをかけると、門亜から電話がかかってきた。
読んでくださりありがとうございます。
群青ひらです。
おせっかい焼の音環、発動しました。
門亜の怒りを買うのも時間の問題です




