第4話 空飛ぶ遭難者の取り調べ
ニシンパイってたぶん私も嫌いです
平原の真ん中で、俺は地面から1メートルほど浮いていた。
目の前には町の門。
その前では、衛兵たちが俺へ槍を向けている。
互いに何も言わないまま、気まずい時間だけが過ぎていった。
「……降りてもいいですか?」
そう尋ねた直後、魔力が切れた。
身体を支えていた力が消え、地面へ降りる。着地には成功したものの、少しだけ膝が崩れた。
「今のは何だ」
衛兵の一人が尋ねる。
「《飛行》というスキルです」
「魔法か?」
「たぶん、違うと思います」
「たぶん?」
この世界の魔法がどういうものなのか、俺はまだ知らない。
説明しろと言われても、これ以上は説明できなかった。
結局、両手を縄で縛られた。
もちろん抵抗はしない。
ここでまた飛んだら、余計に怪しまれるだけだ。
衛兵たちに連れられ、町の門をくぐる。
石畳の道の両側には、木組みの家や店が並んでいた。そのうちの一軒から、焼きたてのパンの匂いが漂ってくる。
「文明……」
思わず涙が出そうになった。
「大丈夫か?」
隣を歩いていた衛兵が尋ねる。
「1か月以上ぶりのパンの匂いなんです」
「お前、本当にあの森で1か月も暮らしていたのか?」
「はい」
衛兵は信じられないような顔で俺を見た。
「……詳しい話は隊長に聞いてもらえ」
石畳の道には、2階建てや3階建ての建物が並んでいる。窓辺には洗濯物が干され、道端では子どもたちが遊んでいた。
その子どもたちが、縛られて歩く俺を指差して笑っている。
「見世物か、俺は」
連れていかれたのは、石造りの部屋だった。
室内には木製の机と椅子が置かれ、その机の向こうには、筋骨隆々とした髭面の男が座っている。
かなりの威圧感だ。
ただし、机の上に積まれた書類だけは、角がきれいに揃えられていた。
「隊長、連れてきました」
「ご苦労」
男は書類から目を離さず、低い声で答えた。
「名はガレスだ。ここは城壁都市リンドベル。この町の衛兵隊長をしている」
書類の角を指で軽く整えてから、ようやく顔を上げる。
「それで、お前の名は?」
「相沢悠真です」
「この国の者ではないな」
「はい」
「どこから来た?」
「落ちてきました」
ガレスが眉をひそめる。
「……どういう意味だ?」
「崖から落ちている途中で、気づいたら森にいました」
「意味が分からん」
「俺も分かりません」
1か月以上たった今でも、自分の状況をうまく説明できたことがない。
「先ほどの《飛行》について説明しろ」
「自分だけなら飛べます」
「どれくらいだ?」
「今は20メートルくらいです」
周囲にいた衛兵たちがざわつく。
「20メートルは、少し浮くという高さではない」
「でも、6分で魔力が切れます」
「微妙だな」
……ですよね。
自分でもそう思う。
「見せろ」
「え?」
「今すぐだ」
縄を外され、部屋の中央へ移動する。
深呼吸してから、《飛行》を使った。
正直、魔力はまだほとんど戻っていない。門の前で残っていた魔力を使い切ってから、十分に休めていなかった。
身体がふわりと浮き、1メートルほどの高さで止まる。
「……低いな」
「まだ魔力が回復しきってないんです!」
残った魔力を絞り出し、さらに上へ向かう。
2メートル。
3メートル。
頭が天井へ届きそうな高さまで浮かび上がった。
衛兵たちが俺を見上げている。
ガレスは何も言わない。
少なくとも、飛べることは証明できた。
そう思って少し得意になった瞬間、魔力の流れが乱れた。
姿勢を崩した身体が机の方へ流れ、そのまま落ちる。
着地したのは、ガレスの机の上だった。
大きな音を立て、木製の机が真ん中から折れる。
角を揃えて積まれていた書類が、部屋中へ舞い上がった。
誰も何も言わない。
「……着地点の計算ミスです」
壊れた机が床へ崩れ落ちている。
ガレスの表情は、ぴくりとも動かなかった。
動かなさすぎて、むしろ怖い。
舞い上がった書類が、ひらひらと落ちてくる。
俺は反射的に《飛行》を使い、床へ落ちる前の紙を1枚ずつつかんだ。できるだけ元の順番になるように重ねていく。
「器用だな」
「落ちる前なら、割と動けます」
最後の1枚をつかんだところで、また魔力が切れた。
今度は床へ落ちる。
拾い集めた書類を差し出すと、ガレスは無言で受け取り、もう一度きれいに角を揃えた。
「……順番は合っているようだな」
表情は変わらないが、声が少しだけ柔らかくなった気がする。
机を壊した件が帳消しになったわけではなさそうだが、多少は印象を取り戻せたらしい。
壊れた机が片づけられる間、少し休ませてもらった。
魔力がわずかに戻ったところで、ガレスの質問が再開する。
「攻撃はできるか?」
「できません」
「他人を浮かせられるか?」
「まだ無理です」
「武器は?」
「木の実なら投げられます」
沈黙が落ちた。
「……脅威度は低いな」
よかった。
少なくとも、危険人物とは思われていないらしい。
安心した拍子に、身体がふわりと浮いた。
どうやら、また無意識に《飛行》を使ってしまったらしい。
「落ち着け」
「ほっとすると、つい浮いちゃうんです!」
ガレスが小さく息を吐く。
「よし。しばらくこの町に置いて、様子を見る」
「追放じゃないんですか?」
「空を飛べる者を野放しにする方が怖い」
確かに。
「勝手に城壁を越えるな」
「越えられます」
「言うな」
念のため、その夜は牢へ入れられることになった。
鉄格子の中で、俺は冷たい床を避けるように天井近くへ浮いていた。
「座れ」
見張りの衛兵に言われる。
「床が冷たいんで」
「降りろ」
そう言われた直後、魔力が切れた。
身体が下がり、そのまま床へ座り込む。
「……結局、毎回座ることになるんですよね」
見張りの衛兵が、呆れたように息を吐いた。
「明日、隊長が改めて話を聞く。それまで大人しくしていろ」
「分かりました」
町に着いた初日から牢屋。
森を出れば、すぐにまともな生活ができると思っていた。
どうやら文明生活への道は、まだ少し遠いらしい。
最後まで読んでいただきありがとうござます。
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