第33話 レオンと、海へ
いろんな魚食べてきたけど、イワシ、アジ、サンマ、サバが一番美味しいですよね
王都の訓練場。
俺は今日もレオンと稽古をしていた。レオンの指導は的確だった。浮遊剣の軌道。自分自身の動き。相手との距離。どれも、俺一人では気づけなかったことばかりだ。
「もう無理……」
俺は地面に座り込んだ。レオンが苦笑する。
「まだ始めてから2時間だぞ」
「2時間もやったんですよ」
「そうだな。よく頑張った。少し休もう」
「……優しい」
「無理をさせるつもりはないからな」
レオンが笑う。俺は水を飲みながら、空を見上げた。青い空。雲一つない。
「…………」
なんだろう。急に、ものすごく魚が食べたくなった。
「……魚食いたい」
「ん?」
レオンが振り返る。
「魚が食べたい」
「そうか」
レオンは少し考える。
「川なら、この近くにもあるぞ」
「違う」
「違う?」
「川魚じゃない」
俺は立ち上がった。
「海の魚が食いたい」
「海?」
「そう。脂の乗った、アジとか、サンマとか」
レオンが首を傾げる。
「そんなに違うものなのか?」
「全然違います」
俺は拳を握った。
「海だ」
「……?」
「海に釣りに行くぞ」
「…………」
レオンが少し驚いた顔をする。
「ユウマ」
「はい」
「稽古は?」
「終わりです」
「終わりなのか?」
「魚が俺を呼んでます」
「そうか……」
レオンは困ったように笑う。
「魚に呼ばれているなら、仕方ないな」
「ですよね」
「……いや、やっぱり待て」
レオンが笑いながら俺を止める。
「海は遠いぞ」
「飛べばいい」
「ああ。ユウマならそうだな」
俺は飛行の準備をする。するとレオンが少し考えてから口を開いた。
「俺も行こう」
「え?」
「遠征の練習だ」
「遠征?」
「ああ」
レオンは真面目な顔で頷いた。
「王都から離れた場所へ行き、現地で活動する。騎士としても必要な経験だからな」
「……」
なんだろう。すごく真面目な理由をつけている。
「魚釣りですよ?」
「分かっている」
「遊びですよ?」
「遠征訓練だ」
「魚食べるだけですよ?」
「それも遠征の一環だ」
「……釣りしたいだけじゃないですか?」
「はは……そう思われても仕方ないな」
レオンが爽やかに笑う。
「実は、俺も少し興味がある」
「やっぱり!」
「海で釣りをするというのは、楽しそうだからな」
「じゃあ決まりですね」
「ああ。ユウマ、よろしく頼む」
俺は笑った。
「こちらこそ」
こうして、俺たちは海へ向かうことになった。
◇
一度家へ戻って釣り道具を抱え、俺たちは王都を飛び立った。俺の隣を、レオンが飛竜で並走する。やっぱり速い。以前の模擬戦を思い出す。あのときは、必死に逃げ回っていた。今は違う。
「レオン!」
「なんだ、ユウマ?」
「競争します?」
レオンが笑った。
「釣りに行くんだろ?」
「遠征訓練ですよ」
「そうだったな」
レオンが楽しそうに笑う。
「では、釣り場まで競争するか?」
「いいんですか?」
「ああ。ただし、俺は竜に乗っているから、少し有利だな」
「それはそうですね」
「だから、ユウマが先に着いても気にしないさ」
「いや、そこは勝負でしょう」
「ははは。分かった」
2人で笑う。
……と言いつつ、話しながら飛んでいるうちに、いつの間にか競争のことはどこかへ消えていた。しばらく飛んでいると、レオンがふと後方を振り返った。
「……」
「どうしたんです?」
「いや」
レオンは前を向く。
「何でもない」
「?」
俺は首を傾げた。けれど、すぐに海のことを考え始めた。魚。焼き魚。海。もう頭の中はそればかりだった。
◇
やがて海が見えてきた。どこまでも続く青。潮の匂い。
「うわ……」
思わず声が出た。
「海だ……」
レオンが眼下に広がる海を見る。
「いい眺めだな」
俺たちは海岸近くへ降りた。俺は持ってきた釣り道具を取り出す。竿。糸。仕掛け。そして餌。レオンはそれを興味深そうに眺める。
「これで本当に魚が釣れるのか?」
「釣れますよ」
「どうやって?」
「待つんです」
「待つ?」
「はい」
レオンが不思議そうな顔をする。
「戦わないのか?」
「戦いません」
「追いかけないのか?」
「追いかけません」
「ただ待つ?」
「そうです」
レオンは海を見つめる。
「なるほど……」
そして、少し笑った。
「普段の稽古とは、ずいぶん違うな」
「当たり前です」
「そうだな」
俺たちは並んで竿を出した。海風が吹く。波が寄せては返す。しばらくすると、レオンがぽつりと言った。
「……静かだな」
「そうですね」
「いつもの訓練場とは全然違う」
「こういうのもいいでしょう?」
「ああ」
レオンが海を眺める。
「悪くない」
俺も穏やかな海を眺めた。
「なんか、平和ですね」
「……そうだな」
レオンの返事が、ほんの少しだけ遅れた。少しして、レオンはまた空を見上げた。
「……」
「レオン?」
「いや、大丈夫だ」
「さっきから空ばっかり見てません?」
レオンは少し笑った。
「竜騎士の癖だな」
「そんな癖あるんですか?」
「ああ。空に異常がないか、つい確認してしまう」
「なるほど」
俺は特に気にせず、レオンの竿先を見る。すると、ぴくっと動いた。
「……来た」
「ん?」
「魚です」
レオンが立ち上がる。
「本当か?」
「まだです。焦らないで」
「分かった」
レオンが竿を握る。
「こうか?」
「もう少し力を抜いて」
「こう?」
「そうです」
レオンが真剣な顔で竿先を見る。
「……」
「……」
「……」
「レオン」
「なんだ?」
「やっぱり力入りすぎです」
「すまない」
「そんなに真剣にならなくても」
「せっかくユウマに教えてもらっているからな」
「……」
竿先が、もう一度大きく沈む。
「今!」
レオンが竿を上げる。
「うおっ!」
竿が大きく曲がった。
「かかった!」
「引いて!」
「分かっている!」
レオンが必死に魚を寄せる。すると、水面から魚が跳ねた。
「おお!」
「もう少し!」
「ユウマ、これはどうすればいい?」
「そのまま! 焦らず寄せて!」
「分かった!」
レオンが慎重に魚を寄せる。魚が岸へ上がった。銀色に輝く魚体。レオンはしばらく、それを見つめていた。
「……釣れた」
「釣れましたね」
「……」
レオンが笑う。今まで見たことがないくらい、嬉しそうな顔だった。
「ユウマ!」
「はい?」
「これは――楽しいな!」
俺も笑った。
「でしょう?」
「ああ。教えてくれてありがとう」
「いやいや、まだ1匹ですよ」
「それでも嬉しいものだな」
その後、俺たちはしばらく釣りを続けた。アジに似た魚が何匹か。サンマに似た魚も何匹か釣れた。十分な量になったところで、俺たちは火を起こした。やがて空が赤く染まり始めた。夕方だった。
◇
俺は釣った魚を火にかける。
脂が炭へ落ち、じゅうっと音を立てた。香ばしい匂いが潮風に混じる。
「いい匂いだな」
レオンが目を輝かせる。
「これですよ」
「これ?」
「海に来た目的」
「釣ることじゃないのか?」
「食べるために釣るんです」
「なるほど」
焼き上がった魚を2人で食べる。
「……うまい」
レオンが呟いた。
「だろ?」
「ああ」
レオンは魚をもう一口食べる。
「これは……王都では食べられないな」
「新鮮な魚は海の近くで食べるのが一番ですよ」
「ユウマが海まで来たがった理由が分かったよ」
しばらく2人とも無言で魚を食べた。波の音だけが聞こえる。夕日がゆっくりと海へ沈んでいくと、レオンがぽつりと言った。
「……ユウマ」
「はい?」
「さっき、平和だと思っていると言ったな」
「ええ」
「実は……そうでもない」
俺はレオンを見る。
「……どういうことです?」
「最近、魔王軍の動きが怪しいんだ」
「魔王軍?」
「ああ」
レオンは海を見ながら続ける。
「国境付近での偵察活動が増えている。空の監視も以前より厳しくなっている」
「だから、さっきから空を見てたんですか?」
「ああ」
レオンは頷いた。
「俺たち竜騎士は、空から国境を監視する役目もあるからな」
「……」
「今のところ、大きな動きはない」
「じゃあ……平和なんじゃ?」
「今はな」
レオンは静かに答えた。
「でも、近いうちに――」
少しだけ間が空く。
「戦争になるかもしれない」
俺は言葉を失った。
「え……?」
「戦争……?」
「ああ」
さっきまで魚の味に感動していたのに。急に、空気が重くなった。
「ちょっと待ってください」
俺はレオンを見る。
「魔王軍って……本当にいるの?」
レオンが少し驚いた顔をした。
「いるさ」
「本当に?」
「本当にいる」
「魔王も?」
「魔王もいる」
「……」
俺は黙った。こっちの世界に来てから、魔法もモンスターも見た。ダンジョンにも行き、空も飛んだ。魔王軍の名も、一度だけ聞いたことがある。それでも、あのときは真偽不明の報告だった。今までどこか、物語の中の存在だと思っていた。
レオンが静かに続ける。
「そして、魔王軍にも飛行部隊がある」
「飛行部隊……」
「ああ」
レオンの表情が少し険しくなる。
「魔王軍・黒翼戦騎団」
「黒翼戦騎団……」
「その隊長が――ヴァルガ」
「……」
「俺が唯一、空で負けた相手だ」
「……レオンが?」
「ああ」
レオンは静かに答えた。
「俺はこれまで、空で負けたことがなかった。でも、ヴァルガには勝てなかった」
「……どんな奴なんですか?」
「まだ分からないことが多い」
レオンは少し考える。
「ただ、強い。俺一人では勝てなかった」
「……」
「そして、ヴァルガが乗っている飛竜が――」
レオンが空を見上げる。
「黒天竜ヴォルズ」
「黒天竜ヴォルズ?」
「ああ」
レオンは自分の相棒を思い浮かべるように言った。
「俺の相棒と同じ飛竜――その上位種だ」
「……上位種」
「速さも、力も、空中での機動力も桁違いだ」
俺は黙ってレオンを見る。さっきまで笑っていた人とは思えないほど、真剣な顔だった。
「だから、ユウマ」
「はい」
「俺たちがユウマを空中機動部隊に誘っているのは、遊びじゃない」
「……」
「もちろん、戦争なんて起きない方がいい」
レオンはそう言って、残っていた魚を見た。
「今日みたいに、こうして魚を食べて笑っていられる方がずっといい」
「……そうですね」
俺も魚を見る。さっきまではただ美味しいと思っていた魚が、今は少しだけ違う味に感じた。
◇
気づけば、すっかり暗くなっていた。空には星が見え始めている。
「……あ」
俺は立ち上がった。
「どうした?」
「すっかり暗くなってしまいましたね」
レオンも空を見る。
「そうだな」
「帰りましょうか」
「そうしよう」
俺たちは片付けを始めた。
片付けを終え、飛び立とうとしたところで、海岸沿いに町の明かりが見えた。
「あれ?」
「どうした?」
「近くに港町が見えるな」
暗闇の中、海岸沿いに小さな町の明かりが見える。
「今日はそこに泊まって帰ろう」
レオンが町を見る。
「いいな」
「せっかく来たんですし」
「ああ」
レオンが笑った。
「今日は、いろいろ話せたからな」
レオンがふと思い出したように俺を見る。
「そういえばユウマ、歳はいくつなんだ?」
「俺?」
答えると、レオンが一瞬目を丸くした。
「……俺と同い年じゃないか」
「マジで!?」
思わず声が出た。
「てっきり年上かと思ってた」
「そんなに老けて見えるか?」
「違う違う。隊長だし、落ち着いてるし、なんかこう……先輩感が」
レオンが笑う。
「なら、もう敬語はいらないだろ」
「いやでも、隊長ですよね?」
「今は釣り仲間だ」
「……じゃあ、遠慮なく」
「ああ」
俺は頷いた。
「じゃあ、決まりだな」
「ああ」
こうして俺たちは予定を変更し、海辺の港町に泊まることになった。
明日は王都へ帰る。
そのはずだった。
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