第30話 天国のお母さんへ
自分で書いてるのに泣いてしまいましたわ
その日は、久しぶりに何も予定がなかった。依頼も、王城からの呼び出しも、魔物退治もない。午後になっても暇なままだった俺は、町の広場にあるベンチに座り、買ったばかりのパンをかじっていた。隣では、エリーゼが紅茶を飲んでいる。
「……平和だな」
「何ですの、急に」
「いや。最近、ダンジョンとか王城とか、いろいろあったなと思って」
「あなたの場合、何も起きない日の方が珍しいですものね」
「それ、俺のせいですか?」
「半分くらいは」
「半分も?」
空は青く、雲がゆっくりと流れている。こういう日も悪くない。
そんなことを考えていると――
「ねえ」
小さな声がした。
「ん?」
振り向くと、そこにいたのは2人の子供だった。男の子と、その妹らしい女の子。2人とも、じっと俺を見ている。
「どうした?」
男の子が少し迷ってから聞いた。
「お兄ちゃんって……空、飛べる人?」
「まあ、飛べるけど」
「ほんとに?」
「ほんとに」
すると男の子は妹を見た。妹も兄を見る。2人は何かを確認するように頷いた。
そして、男の子が俺に聞いた。
「じゃあ……天国まで行ける?」
「…………」
俺はパンを持ったまま動きを止め、隣を見る。エリーゼも紅茶のカップを持ったまま固まっていた。
「天国?」
「うん」
男の子は空を指差した。
「お母さんがいるところ」
◇
話を聞いてみることにした。2人の母親は病気で亡くなったらしい。今は祖母と3人で暮らしている。
俺が名前を聞くと、男の子が答えた。
「ぼく、リオ」
すると妹も小さく手を上げる。
「ミア」
リオが空を見上げた。
「お母さんは、空の向こうにいるって」
ミアも頷く。
「だからね」
リオは大事そうに1枚の紙を取り出した。何度も手に取ったのだろう。少しだけ皺になっている。
「これ、お母さんに届けてほしい」
「…………」
俺は紙を受け取った。手紙だと思った。だが、そこに文字はない。描かれていたのは3人の人。真ん中に母親、その両側にリオとミア。3人は手をつないでいた。
「これ……」
「お母さんと、ぼくとミア」
リオが言った。
「3人でいるところ」
「…………」
俺はもう一度、絵を見る。上手な絵ではなく、線も少し曲がっている。でも、何を描きたかったのかはすぐに分かった。隣にいたエリーゼも、何も言わずに絵を見つめていた。
「これを届ければいいのか?」
「うん」
「空の向こうまで?」
「うん」
俺は空を見る。青い空に白い雲。もちろん、天国がどこにあるかなんて俺にも分からない。飛行能力があったって、死んだ人のところまで飛んでいけるわけじゃない。
「…………」
それでも、俺は立ち上がった。
「分かった」
2人が俺を見る。
「届けに行こう」
「ほんと!?」
「ああ」
俺は2人に手を差し出した。
「一緒に行くか?」
2人の顔が一気に明るくなった。
「行く!」
「わたくしは、ここで待っていますわ」
エリーゼが言った。
「来ないんですか?」
少し意外だった。普段なら、こういうときは当然のようについてくるのに。
「…………」
俺は少しだけ笑った。
「分かりました。行ってきます」
「ええ。お気をつけて」
◇
ミアを抱き上げ、リオとは手をつなぐ。
「怖かったら、すぐ言ってくれよ」
「うん!」
俺は2人を連れて、怖がらせないよう少しずつ、ゆっくりと空へ上がった。町の屋根が小さくなっていく。
「わぁ……」
俺の腕の中でミアが声を上げる。リオは少し緊張していたが、俺の手を握りながら、それでも空を見上げていた。
さらに上へ。風が吹き、雲が近づく。そうして空を上がっているうちに、傾き始めた太陽が雲を赤く染めていった。やがて、俺たちは夕日に染まった雲の近くまで来ていた。空は赤く染まり、雲は金色に輝いている。
リオが周囲を見回した。
「お母さん……いるかな」
「……どうだろうな」
俺にはそれしか言えなかった。すると、リオが空へ向かって叫んだ。
「お母さーん!」
ミアも真似する。2人の声が、広い空へ消えていく。リオは手に持っていた絵を胸の前に抱いた。
「ぼく、ちゃんとミアを守ってるよ!」
ミアが兄を見る。
「おばあちゃんの言うこともちゃんと聞いてる!」
今度はミアが叫ぶ。
「わたしも元気だよー!」
少し考えてから――
「ごはんも食べてるよー!」
「それは大事だな」
俺が言うと、2人が少し笑った。リオは胸に抱いていた絵を見つめ、俺に差し出す。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「これ、お母さんに届けて」
「……分かった」
俺は絵を受け取った。小さな手で描かれた3人の家族。俺はその紙からそっと手を離す。落ちることはない。飛行能力で、絵をゆっくりと浮かせた。
「いってらっしゃい」
リオが言った。
「お母さんに届いてね!」
ミアが大きく手を振る。
1枚の絵は、夕焼けの空へとゆっくり昇っていく。リオとミアは、ずっと手を振っていた。やがて、絵は小さくなり、雲の向こうへ消えていった。
「…………」
2人はしばらく何も言わず、その空を見つめていた。そのとき、ふわりと優しい風が吹いた。リオの髪が揺れ、ミアの髪も揺れる。
「…………」
リオが突然黙った。空を見ている。そして、小さく笑った。
「今……お母さんの声がした」
「え?」
「『ありがとう』って……」
「…………」
俺には何も聞こえなかった。聞こえたのは風の音だけ。でも――
「……そうだな」
俺はそれだけ答えた。聞こえたと思えることが、大事なのかもしれない。
◇
町へ戻る頃には、空はすっかり暗くなっていた。地面に降りると、待っていたエリーゼがこちらへ歩いてきた。ミアが俺の服を掴む。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「ありがとう」
リオも頭を下げる。リオとミアは手をつないで帰っていった。俺とエリーゼは、その背中を見送る。
そして、俺は空を見上げた。
「届いたと思います?」
「きっと」
エリーゼはそれだけ答えた。もちろん、天国まで飛べたわけじゃない。本当に母親の声が聞こえたのかも分からない。それでも、今日だけは空を飛べてよかったと思った。その日の空は、いつもより少しだけ優しく見えた。
最後まで読んでいただきありがとうござます。
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