第11話 ワイバーンと、二人の空の旅
数日前、エリーゼがふとこんなことを言った。
「……町の外も見てみたいですわ」
「森の向こう?」
「ええ」
「魔物いますよ?」
「あなたがいるでしょう?」
プレッシャーが増した。
「その信頼、正直重いです」
「では、応えてくださいませ」
にこりと微笑まれると、断れる気がしなかった。
そして今日。
アーレンス家の屋敷へ行くと、エリーゼはすでに門の前で待っていた。いつものドレスより動きやすそうな服を着て、長い髪もひとつにまとめている。
見るからに遠出する気だ。
「今日は高度練習ですか?」
「違いますわ」
エリーゼが森の向こうを指さす。
「町の外へ行きます」
「はい、出ました。無茶振り」
「先日、約束したではありませんか」
「約束というか、押し切られたというか……」
「細かいことは気にしないことですわ」
貴族の強引さは、今日も健在だった。
とはいえ、俺だって町の外を飛ぶことには少し興味がある。この町へ来るまで、森の中では散々な目に遭った。
今度は、その森を上から越えていく。
ちょっとしたリベンジだ。
「一応、先に言っておきますけど」
「なんですの?」
「ずっと飛びっぱなしは無理ですからね」
現在の滞空時間は20分。しかも、エリーゼを背負えば魔力の消費は増える。
「途中で休憩を入れます。それから、無理だと思ったらすぐ引き返します」
「分かりましたわ」
珍しく素直だ。
「……なんですの、その顔」
「いや、今日は聞き分けがいいなって」
「わたくしを何だと思っていますの?」
「無茶振りする貴族令嬢」
「失礼ですわね」
だいたい合っていると思う。
俺はエリーゼを背負った。もう、この体勢にもかなり慣れている。
「では、行きますよ」
「ええ」
身体に魔力を巡らせると、俺たちはふわりと浮かび上がった。
屋敷の屋根を越え、町の上空へ。さらに城壁へ向かって飛んでいく。
門の近くを通ると、衛兵たちが俺たちを見上げた。最近では、もう驚かれなくなっている。
慣れって怖い。
城壁を越えた瞬間、景色が一気に変わった。
背後には、石壁に囲まれた町。
前方には、どこまでも続く森と平原。
街道は細い線のように伸び、その先で地平線へ溶けている。
「……わあ」
背中から小さな声が聞こえた。
エリーゼが息を呑んでいる。
「外の世界……広いですわね」
「町の中とは全然違いますね」
屋敷の窓から見える世界。
町の上空から見える世界。
そして、城壁の外から見る世界。
同じ景色でも、きっと彼女にとっては全部違うんだろう。
「もっと先へ行ってみたいですわ」
「安全第一でお願いします」
「分かっていますわ」
「それならいいんですけど」
森へ向かい、高度50メートルほどで木々の上を滑るように飛ぶ。
眼下には、緑の絨毯のような森が広がっていた。町の喧騒はもう聞こえず、風と葉が揺れる音しかない。
不思議なくらい静かだった。
「こうして見ると、森も綺麗ですわね」
「地上に降りなければ安全です」
言った瞬間、嫌な予感がした。
今の、完全にフラグ発言じゃないか?
「先ほどから、随分と不吉なことを仰いますのね」
「経験則です」
「頼りになるのか不安になるのか、判断に困りますわ」
「両方だと思ってもらえれば」
「余計に困りますわ」
しばらく飛ぶと、町の中よりも強い風が吹き始め、木々が時々大きく揺れた。
その中に、1か所だけ明らかにおかしい動きをしている場所があった。
「……なんか動いてません?」
「どこですの?」
前方の木々が大きく揺れている。
風じゃない。
もっと重い何かが動いているような揺れ方だ。周囲から鳥が一斉に飛び立つ。
嫌な予感がする。
ものすごく嫌な予感が。
次の瞬間、森の中から巨大な影が飛び出した。
大きな翼に鋭い爪、長い尾。そして、赤い目。
「でかっ!?」
「ワイバーンですわ!」
ワイバーン。
名前だけは聞いたことがある。しかし、実物は聞いていた何倍も怖い。
というか、近い。
非常に近い。
「大きいですわね」
「その反応、おかしくないですか!?」
「あら、慌てても仕方ありませんもの」
肝が据わっているのか、危機感がないのか。
そのとき、ワイバーンと目が合った。
「あ」
向こうも、こっちを見ている。
完全に認識された。
「逃げます!!」
即決して、全力で加速する。
高度60メートル。現在の俺が上がれる限界だ。
後ろから咆哮が響き、空気が震えた。
「うわっ!」
エリーゼの腕が、俺の肩へ強く回る。
「落とさないで!」
「フリですか!?」
「違うわよ!」
素の口調が出た。
さすがに怖いらしい。
「落ちたくないのは俺もです!」
「息が合っていますわね、こういうところだけ!」
「今それ言います!?」
後ろをちらりと見る。
近い。
速い。
明らかに距離を詰められている。全力飛行を続けるたび、身体の奥から魔力を削り取られていく。
まずい。
減り方が普段と全然違う。
「町まで戻る!」
「向こうの方が速いですわ!」
「ですよね!」
あいつには翼がある。
俺の《飛行》は燃費が悪い。
正面から速度を競っても勝てない。
なら――。
「下がります!」
「え?」
高度を一気に落とす。
「ちょっと!?」
木々のすぐ上まで降下し、枝先が視界をかすめる。
エリーゼがさらに強くしがみついた。
ワイバーンも追ってくる。
だが、俺と違ってあいつはでかい。小回りなら、こっちに分があるはずだ。
木と木の間を縫うように進む。
右。
左。
急降下。
また上昇。
「うわあああ!」
「きゃあああ!」
木々の間を抜ける俺たちの背後で、枝がバキバキと折れていく。
「当たれ当たれ当たれ!」
「何を応援していますの!?」
「ワイバーンです!」
「敵でしょう!?」
「木に当たってほしいんです!」
直後。
ドンッ!
大きな音が響いた。
振り返ると、ワイバーンの翼が太い枝に引っかかり、体勢を大きく崩していた。
「よし!」
今なら距離を取れる。
そう思った瞬間、ワイバーンが暴れた。
折れた枝が飛び、凄まじい風圧が俺たちを襲う。
「っ!」
「きゃっ――!」
身体が大きく揺れ、背中の重みが消えた。
「エリーゼ!?」
血の気が引く。
視界の端で、エリーゼの身体が枝に弾かれるように宙へ投げ出されていた。
落ちる。
考えるより先に身体が動いた。
落ちるな。
止まれ。
浮け。
「止まれぇぇぇ!」
魔力を叩きつけるように、エリーゼだけを強く意識する。
ふわっ。
落下の勢いが急に弱まった。
「……え?」
地面まであと数メートルのところで、エリーゼの身体が空中に浮いていた。
「できた……!」
前にスキル表示へ加わっていた能力。
《他者1名を短時間浮遊可能》
実際に使ったのは、これが初めてだ。
「今のうちに!」
俺は急降下し、エリーゼの身体を抱えるように受け止めた。そのまま背負い直す。
「た、助かった……」
「俺も死ぬかと思った……」
「今のは、なんですの?」
「前にスキル表示へ出てたんです。他人を浮かせられるって」
エリーゼが固まった。
「……以前から?」
「表示は出てました」
「使ったことは?」
「今が初めてです!」
「今初めて!? 呑気すぎますわ!」
「試すのが怖かったんですよ!」
「だからといって、わたくしが落ちてから試しますの!?」
「返す言葉もありません!」
口喧嘩をしている場合じゃない。
体勢を立て直したワイバーンが、再びこちらへ向かってくる。
「まずい!」
さっきの他者浮遊で魔力を一気に持っていかれ、もうほとんど残っていない。
それでも、逃げるしかない。
「行きます!」
全力で魔力を流した、その瞬間。
身体の奥で何かが弾けた。
《飛行(Lv25)》
「え?」
魔力の流れが変わる。
さっきまで限界だったはずなのに、身体がさらに軽くなった。
60メートル。
そこから先へ、まだ上がる。
70メートル。
80メートル。
「上がってますわ!」
「俺もびっくりしてます!」
90メートル。
100メートル。
これまでの最高高度を越えても、まだ余裕がある。
視界の端に、新しい表示が浮かんだ。
最高高度:120m
滞空時間:30分
「今だ!」
全力で町の方向へ加速する。
さっきまでとは明らかに速い。
後ろを見ると、ワイバーンとの距離が少しずつ開いていた。
「いける!」
さらに加速する。
森が一気に後ろへ流れ、ワイバーンの咆哮が遠ざかっていく。
やがて、その姿も見えなくなった。
静かになった空に、風の音と自分の鼓動だけが響いている。
エリーゼの腕は、まだ俺の肩を強く掴んでいた。俺の手も震えている。
「……生きてます?」
「ええ……」
しばらく、二人とも何も言わなかった。
ようやく緊張が解けてきた頃、エリーゼが小さく笑う。
「最高でしたわ」
「命の危機ですよ?」
「だからこそです」
強い。
この人、メンタルが強すぎる。
「その感性、貴族の教育でどこか歪んだんですか?」
「失礼な。生まれつきですわ」
「開き直り方がすごい」
エリーゼは少しだけ黙った。
「……でも、怖くなかったと言えば嘘になりますわ」
声が少し小さくなる。
「あなたの背中でなければ、きっと……」
返事に困った。
さっき、本当に落としかけた。
それでも、まだ信じてくれるらしい。
「……次は絶対に落とさないようにします」
「当然ですわ」
「そこは優しく返してくれても」
「甘やかしません」
いつものエリーゼだった。
やがて町の城壁が見えてくる。
門の近くが騒がしくなり、こちらに気づいた衛兵たちが集まってきた。
着地すると、ガレスが走ってくる。
「何があった!」
「でかいのがいました!」
「説明になってない!」
エリーゼが俺の背中から降りる。
「ワイバーンですわ」
ガレスの表情が変わった。
「ワイバーン!?」
「ええ。楽しかったですわ」
「楽しいで済ませるな!」
「俺もそう思います」
「二人で結託するとは水臭いですわね」
「そこ、結託じゃないです」
ガレスが頭を抱えた。
その日のうちに、町では噂が広まっていた。
「空の騎士がワイバーンと戦ったらしいぞ」
「いや、逃げ切ったんだって」
「令嬢と二人で空中戦をしたらしい!」
「話、盛られてるな……」
噂に尾ひれがつく速さだけは、相変わらずだった。
宿へ戻る途中、俺はふと空を見上げた。
ワイバーン。
今日は逃げることしかできなかった。戦おうなんて考える余裕すらなかった。
今の俺じゃ、勝てない。
でも、少しだけ悔しい。
「……いつか、か」
あいつとまた会うことがあるなら、そのときは逃げる以外のこともできるくらいには強くなっていたい。
そんなことを考えながら、俺は宿へ戻った。
――現在の飛行スキル――
《飛行(Lv25)》
最高高度:120m
滞空時間:30分
できること:
・安定した飛行
・高速飛行
・荷物を持った状態での飛行
・中距離の配達飛行
・人を背負った状態での安定飛行
・他者1名を短時間浮遊
・緊急時の遠隔浮遊
最後まで読んでいただきありがとうござます。
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