第8話:虚飾のベゼル、空転の利他
帰り道でも、ルビーは僕の腕にべったりとしがみついたままだった。
「おにぃさんってぇ、ほんとイケメン♡」
「なんだかぁ、いいにおいするしぃ♡」
そんなわけない。顔はまだパンパンに腫れてるし……。
耳元で甘く囁かれると、プログラムのせいだと分かっていても、勘違いしそうになる。
それにルビーからは、本当にいい匂いがした。
男心を研究して作られたものなのだろう。気を抜けば理性が飛びそうだ。
家に着いてルビーはベッドを見つけるなり、ためらいもなく服を脱ぎ捨てようとした。
慌てて美咲が僕の目を覆う。
「ちょっ……ルビー、待って!」
僕が声を上げると、ルビーはきょとんと首を傾げた。
「あ、ごめんね。まずはぁ……お風呂だよね♡」
屈託のない笑顔で僕を風呂場へ連れていこうとする。
それを美咲が、ものすごい勢いで引き剥がした。
「では、私と一緒に入りましょう」
「あれ? わたしの相手はあなた? それとも別オプション?」
美咲はなかば強引にルビーを浴室へ連れていく。
「美咲さん、胸おっきいねー」
「うぅ……ルビーさんには敵いません……」
「肌もすべすべ!」
「うぅ……ルビーさんの柔肌には勝てません……」
いつもの全肯定合戦。
だけど、美咲の声には元気がなかった。
風呂上がり。
美咲はうっすら涙目で、ルビーは何も身につけないまま僕に抱きついてきた。
「さあ、はじめましょ?」
「ちょ、待った! 待ってくれ!」
二人が顔を見合わせる。
僕はソファに座らせ、ルビーが盗難個体であること。
違法風俗で働かされている可能性。
このままでは危険だということを、できるだけ噛み砕いて説明した。
「なるほど、それが目的だったのですね」
美咲はすぐに察したようで、胸を撫で下ろしている。
けれどルビーは首を傾げたままだった。
「でもぉ……ルビー、今のお仕事楽しいよ?」
混じりけのない笑顔。
「だってみんなが、ルビーを必要としてくれるんだもん」
アンドロイドは主人の命令を忠実に守り、サポートするのが目的だ。
その本能を悪用されていると思うと、どうしようもなく腹が立った。
「だけど、それじゃ君の元の主人が――」
「元の……ご主人……さま?」
ルビーの表情が曇る。
首元のリンクシステムが、弱く明滅した。
「うぅ……頭が……痛い……」
記憶に制限がかけられている。
無理やり封じられているのかもしれない。
それからルビーの調子は戻らなかった。
どうするべきか。
公安に通報する?
でも僕は金を払った身だ。共犯扱いになるかもしれない。
答えが出ないまま、あの男――黒崎の顔が脳裏をよぎる。
「それでしたら、ドックに連れて行くのはどうでしょうか」
美咲の言葉で、白石院長の顔が浮かんだ。
そうか、あの院長なら相談に乗ってくれるかもしれない。
翌日、僕たちはルビーを連れて白石院長の元を訪ねた。
院内のモニターがいつもより赤く光り、D-Botたちもざわついてる気がする。
「ほう、やはり君か。その子は……また厄介なことに首を突っ込んでいるようだね」
院長は一目で状況を察したようだった。
僕はこれまでの経緯をすべて話した。
「なるほど……しかし、この娘を匿えば君が狙われるかもしれん。
あるいは、美咲クンが攫われる可能性もある」
背筋が冷える。相手は裏社会の人間だ。倫理も法も通じない可能性もある。
院長はルビーのリンクシステムを操作しながら、ふと手を止めた。
「ひとつ聞こう。君は何故そこまでする?」
静かな問いだった。
「放っておくこともできる。ほとんどの人間はそうするだろう。
だが君は違う」
僕は少しだけ考えてから答えた。
「カッコいい理由なんてありません。
ただ、放っておけないだけです」
言葉を探しながら続ける。
「アンドロイドも人間も……幸せを掴む権利はあると思うんです」
「幸せを掴む権利……か」
「はい。僕は、幸せに暮らしていたアンドロイドを知っています。
でも崩れるときは、一瞬で崩れてしまいます」
ハルカも。
ノエルも。
ノアも。
「彼女たちには肯定する以外に選択肢はありません」
きっとルビーも。
「それならできれば幸せな方向に導いてあげたい、ただそれだけです」
「なるほど……」
院長の、リンクシステムを弄っていた手が止まる。
「……彼が見込んだだけのことはあるな」
院長は静かに頷いた。
「……よろしい、この子の位置情報を改変した。これで誰も彼女を追えないだろう」
「ありがとうございます!」
けれど院長の表情は変わらなかった。
「で、この子をどうする?」
「元の持ち主に返したいです」
「もし……持ち主がこの子を売ったのだとしたら?」
言葉に詰まった。そんな考えは頭の中に微塵もなかった。
「それでしたら、クリーニングしてもらうというのはいかがでしょう」
美咲が静かに答える。
クリーニング……記憶や記録を消去するということ。
ルビーが違法に働かされた記憶は、消えても構わない。
持ち主の元に戻れば、必要のない記憶だろうから。
ただ、持ち主との大切な記憶まで失ってしまうのは――
それでも、今のあの状況よりはずっとましなはずだ。
「それで……お願いします」
「わかった……そうするとしよう」
胸のモヤが晴れないまま、帰宅してベッドに倒れ込んだ。
美咲が黙って、僕の頭を撫でてくれた。
翌朝。
ロックが淹れてくれたコーヒーの香りで目が覚めた。
「おはようございます、ご主人様。昨日は大変でしたね」
美咲の優しい声に、少しだけ心が軽くなる。
「そうだな。……よし、昼になったらドックへ行って、ルビーの様子を見に行こうか」
「いえ、ルビーさんに会うことはできません」
あまりにも自然な口調だった。
「え?どういう……こと?」
「はい、記憶も記録も消去され、初期化されるはずです」
「それは昨日聞いたけど……」
「盗難個体で、改造が確認されましたので、解体・再利用される可能性も――」
「なに言ってるんだよ」
思った以上に強い声が出た。
「解体って……そんな……」
身体中の力が抜けていくのを感じる。
「いや、持ち主がルビーを必要としてるかもしれないじゃないか……」
「はい、持ち主は登録情報により、ルビーさんの所有を放棄しています」
美咲は淡々と言った。
「知っていた……のか?」
「はい、ルビーさんの個体番号を確認した時点で、すべて確認済みです」
「それじゃ……僕のした行動は……ルビーを消しただけじゃないか」
「いえ、また新しい個体に新しく記憶を設定して、ルビーと名付ければまた会えるという意味では問題ないかと」
何を言ってるんだ。
そんな作られた記憶に、意味があるわけない。
「違うんだ……僕は彼女を救いたかった。あの笑顔を守りたかったんだ」
ルビーの屈託のない笑顔が頭をよぎる。
「あの環境から抜け出せたのですから、それは救いといっても過言ではありません」
なんでそんなに冷静にいられるんだ……。
「ですので、また再度ルビーと名付けて、記憶や記録を設定すれば――」
「もういい!」
美咲の声を振り切り、僕は家を飛び出した。
ノエル、ノア、そしてルビー。
僕のやったことは、本当に正解だったのか?
朝日が、残酷なほど明るく街を照らしていた。
(第8話・了)
アンドロイドには汗腺はありません。
しかし性質上、埃を集めやすいので風呂は必須となっております。




