第4話:竜頭の迷い、琥珀の記憶
「ずいぶんと狭いところに住んでいらっしゃるのですね」
玄関先でそう言い放ったのは、緑色の髪をしたアンドロイドだった。
「アンドロイドって、肯定しかしないんじゃなかったっけ」
「それはご主人様への場合です」
ツーンと顔を背ける。なかなか気の強い個体だ。
彼女は一歩遅れて玄関をくぐる。
相当疑っているのか、周囲を入念にチェックしている。
「危険なものはないようですね……」
ひとり言のように呟くその声を、聞かなかったことにした。
もう夜の九時を過ぎていた。窓の外ではネオンが冷たく街を照らしている。
「お腹は空いていますか? お食事を用意します」
立ち上がった美咲を、手で制した。
「今日は僕がやるよ。美咲は休んで」
「もう大丈夫です。任せてください」
スマートウォッチが震える。
『体温正常。体調良好』
ロックにまで言われたら任せるしかない。
料理できる間、緑髪の彼女に話しかけても返事はない。
ただ黙ってソファの端に座り、じっと僕たちを見ている。
「お待たせいたしました」
テーブルに並んだ料理は、いつもより色鮮やかだ。
「なんだかご馳走だね」
「お客様がいらっしゃいますし……それに」
美咲が一瞬、僕の顔を見てから微笑む。
「今日のご主人様は、とても誇らしかったので」
どうやら、ドックでの行動を指しているらしい。
「……毎日、これを?」
突然、緑髪の彼女が呟いた。
「いや、今日はちょっと豪華――」
「はい。毎日計算して提供させていただいています」
僕の言葉を遮り、すました顔で美咲が答える。
「これは、成人男性にとって理想的な栄養配分です」
食事に関しては、二人には頭が上がらない。
料理を装われた皿を、じっと眺めている。
「私のご主人様は……この食事を受け入れてくれないでしょう」
毎日ジャンクな食事と、過度なアルコール。そう聞いて、昨日の体型を思い出し、思わず噴き出した。
「さぁ、冷めないうちに食べよう」
「私も……?」
「もちろんです」
一口、また一口。
食べるたびに、何かを計算するように呟く。
「隠し味が、後から効いています」
「……この食感、とてもアクセントが効いて面白いですね」
美咲が笑顔で頷いている。
「やはり食事とは……楽しいものですね……」
食事を終えた彼女は何かを考えこむように下を向いていた。
どうやら、彼女はもう何年も“食事”をしていなかったという。
「私の名前は、ハルカと申します」
それだけを名乗って、彼女は黙り込んでしまった。
夜も更けた頃、美咲がハルカを連れて風呂へ向かった。
「一緒に入りましょう。水道代の節約にもなりますし」
風呂場から、やがて楽しそうな声が聞こえてくる。
「緑色で綺麗な髪ですね」
「美咲さんこそ、艶のある薄桃色の髪をしていますね」
「ハルカさん結構お胸が大きいのですね」
「美咲さんこそ、とても柔らかくていいスタイルをしていますね」
アンドロイドたちの全肯定合戦に、思わず聞き耳を立ててしまっていた。
誰も嫌な気分にならない全肯定。こんな世界もあるのか。
「お風呂上がりました。ご主人様、どうぞお入りください」
バスタオルを巻いて出てきた二人に、ドキッとした瞬間――ハルカのバスタオルが落ちた。
「……っ!?」
咄嗟に目を逸らした僕に対し、ハルカは眉ひとつ動かさない。
「別に減るものではありませんから」
平然とした彼女に対し、美咲の表情が、わずかに固まる。
ソファに座って髪を乾かしているハルカはとても絵になっていた。
月の光が無機質なコンクリートの静寂を割り、銀色のスポットライトで照らし出す。
ハルカの長く綺麗な緑色の髪と、整った顔に思わず見惚れてしまう。
僕の視線を察知したのか、美咲が髪を乾かしながらじりじりと距離を詰め、身体を寄せてきた。
美咲やロックが寝仕度をしていると、ハルカがポツリと呟いた。
「お風呂も、お布団も……何年ぶりでしょう」
出会ったときは埃の匂いがするほどだったハルカ。
あのおっさんの扱いに苛立ちを覚えるばかりだ。
だけど……何年ぶりということは……?
「はい、奥様がいらっしゃった時は、それが当たり前でした。」
その時、ハルカの首元のペンダントが光り出した。
リンクシステムだ。
ハルカは穏やかな表情で話してくれた。
主人はその昔、自分の店を持っており、優しい奥さんと子供に囲まれてとても幸せそうだったという。
そしてハルカ自身も、その家族の一員のように大切に扱われていたのだと。
しかし不慮の事故が、すべてを奪った。家族を失い、店も傾いた。
「そうか……彼にも、そんな辛い事が……」
自分の絶望と重なり、唇を噛む。
「すべては、私の大切な記憶なのです……」
このまま放っておいていいわけない、僕は決心した。
翌日、ハルカに案内してもらい、主人の家を訪ねた。
荒れた外観とは裏腹に、家の中は整っていた。ハルカが、家を守ってきたのだろう。
薄暗い部屋の隅で、男は膝を抱えたまま眠っていた。
「おい、起きろ」
揺さぶると、手元から一枚の写真が落ちた。幸せそうに笑う家族と、今も変わらないハルカが写っていた。
「ご主人様! このような場所で寝ては、お体に障ります!」
ハルカが駆け寄る。
男は目を覚まし、子供のように泣きじゃくりながら彼女に縋る。
「すまない……すまないハルカ! わしに残された家族はお前しかいないんだ!」
「はい。私は、いつでもそばにおります」
胸が締め付けられた。これは愛情か、それとも依存という名の檻か。
まるで未来の自分を見ているようで、目が離せなかった。
「昨日は、すまなかった……」
男は僕の顔を見るなり、小さく頭を下げた。
過去に引きずられ、今のハルカを蔑ろにしていたこと。それを、彼はようやく認めた。
「ずっとそばにいて、支えてくれるか?」
「もちろんです」
人は一人じゃ生きられない。
でも――
「なあ、ハルカ」
二人がこちらを見る。
「もしこのおっさんがまた酒に逃げそうになったら、君が止めてあげるんだぞ」
「……私には」
ハルカが迷う。
「私は、ご主人様に従うだけです」
「いや……主人が道を外しそうになった時、ただ受け入れるだけじゃなくてさ。
時には叱るのも、きっと愛なんだと思う」
「本当の……愛……」
ハルカのペンダントが、ひときわ強く光り輝いた。
「おぉ……これは……」
光の先、ペンダントトップに家族写真が飾られている。
「ハルカ……すまない……本当にすまなかった……」
男はその場に崩れ落ちた。
「こちらでお店をされていたとのことですが、どんなお店だったんですか?」
美咲が静かに沈黙を破る。
「あ、あぁ……ピザ屋じゃ。今はもう見る影もないがな……」
「それなら――」
美咲の提案を理解して、小さく頷いた。
「それなら、僕たちも手伝いますよ」
「おぉ……なんとそこまで……」
主人は深々と頭を下げた。
「じゃが……メニューのレシピも食材も今となっては……」
美咲がハルカに目配せをする。
「ご主人様それなら私にお任せください」
ハルカはそう言うと、かつて繁盛していた頃のメニューと材料を、寸分違わずすらすらと答えてみせた。
「なんと、ハルカ。そんなことまで……!」
「アンドロイドをただの掃除ロボだと思ってたのか?」
驚く彼に思わずまくし立てる。
「君たち……本当にありがとう……」
主人は、またしてもその場に泣き崩れた。
この街で積み重ねてきた、琥珀のような家族の思い出。
それらをピザの焼ける匂いと共に、また新たに刻んでいければいい。
隣で僕の手をぎゅっと握りしめる美咲の指先の温もりに、僕は確かな未来を感じていた。
(第4話・了)
ハルカの名前は主人が付けました。
販売時の商品名は「セシリア」です。




