第18章 進めばいい
学園長との面談から数日が経った。
事件のことは表向きはほとんど語られなくなっていた。
教師たちは普段通りに講義をして、生徒たちは普段通りに笑い、食堂は普段通りに賑わっている。
ただ、あの話題だけはなんとなく避けられている。
そういうものだとアルスは思った。
忘れたわけじゃない。
でも、続けるためにはいつもの形に戻すしかない。
──────────
その日の午後。
授業のあとでアルスは中庭をぶらついていた。
特に行き先はなかった。
ただ、部屋に戻る気にもなれなかったから。
噴水の縁に見知った後ろ姿が二つあった。
ユンとリアナだ。
リアナはノートを広げていて、ユンが何かを覗き込みながら指で示している。
講義の質問でも受けているのだろう。
アルスは小走りで近づいていった。
「ユン、リアナ!」
二人が顔を上げる。
「アルス!」
リアナが笑った。
少し、痩せた気がした。
でも、目の力は戻ってきている。
ユンは軽く頷いた。
「ちょうど休憩するところだ」
そう言いながら、ノートを閉じる。
リアナの隣の席が自然と空いた。
「座ってもいい?」
「もちろん!」
アルスは噴水の縁に腰を下ろした。
水の音がいつもより少しだけ大きく聞こえる気がした。
リアナは膝の上で手を組んでいた。
「学園長から色々聞いたよ」
ぽつりと言った。
声は静かだった。
変に強がってもいない。
怖がってもいない。
ただ、知ったことを知ったままに受け止めている、そんな声だった。
アルスは小さく頷いた。
「うん」
「アルスたちが捕まえてくれたんだよね」
「……そんな、僕は別に」
リアナはまっすぐにアルスを見た。
「ありがとう」
短い言葉だった。
長い説明はなかった。
重い感謝もなかった。
それがたぶん、リアナにとって今いちばん近くにある言葉だった。
アルスは少し笑って、頷いた。
「うん」
それだけ返した。
それで十分だった。
──────────
しばらく、三人で他愛もない話をした。
最近の食堂の献立がやけに豆ばかりだとか、二階の廊下の窓が一枚ずっと開きっぱなしだとか、そういう話だった。
リアナはよく笑っていた。
ユンもたまに口の端を上げていた。
アルスはその顔を見ながら、少しだけ、ほっとしていた。
──普通に戻ってきている。
でも、戻ろうとしている。
それが分かれば今はそれでよかった。
陽が傾き始めた頃、ユンが軽く伸びをした。
「リアナ」
「なに?」
「ちょっと、アルスと話していく」
「分かった。じゃあまたね!」
ノートを抱えて立ち上がる。
すれ違いざまに、リアナはアルスにもう一度、小さく笑いかけた。
「アルス!」
「うん?」
「またね」
二人だけになると、噴水の音がまた少し大きくなった気がした。
ユンは少しの間、何も言わなかった。
それから、ぽつりと言った。
「手を貸してくれてありがとう」
アルスは顔を上げた。
「結局、止めたのは僕たちだ」
ユンは噴水の水面を見ていた。
「リアナのことだけじゃない。
他の生徒も、これ以上の被害が出ずに済んだ。だから──」
少し、間があった。
「ありがとう。君たちがいなかったら解決できなかった」
アルスは首を横に振った。
「僕一人じゃ何も出来なかったよ。3人の力だ」
ユンは少しだけ笑った。
「なら結局、ありがとう、だな」
その言葉に胸が熱くなるのを感じた。
──────────
しばらく、二人は黙って噴水を見ていた。
水の音だけがずっと続いていた。
やがてユンが口を開く。
「アルスはこれからどうするんだ?」
低く、自然な声だった。
アルスは少し考えてから、答えた。
「旅を続けるよ」
「そうか」
「学園長から次の国を勧められたんだ。建国の祭りがあるって」
「ミランヴェルか…いいと思う」
アルスは驚く。
「行ったことあるの?!」
「いや、ない。少し知っているだけだ」
ユンは少しだけ目を上げた。
それから、少しだけ声が落ちた。
「……ユンは残るんだよね。また会えるかなぁ」
「どうだろうな。会えるといいな」
ユンは即答だった。
当たり前のことを答える、いつものユンの声だった。
「卒業までまだやることが残ってるし、当分はここにいる」
「そっか」
「お前は進めばいい」
ユンの目はまっすぐだった。
「僕たちはここで進む」
胸の奥が少しだけ揺れた。
(……そういえばニーナは…)
ニーナはこのあと、どうするつもりなのか。
ずっと一緒に動いてきた。
出るとも、残るとも、聞いていない。でも、多分残るのだろう。
ユンがふっとアルスを見た。
「どうした」
「なんでもない」
アルスは小さく首を振った。
「ニーナにも、聞いてみる」
ユンは何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ、目を細めた。
陽が噴水の水面に長く伸びていた。
「そろそろ戻るか」
ユンが立ち上がる。
「うん。そうだね!」
アルスも腰を上げた。
二人で寮の方へ歩き出す。
夕方の風が中庭の木々を揺らしていた。
ユンの背中は相変わらず少しだけ大人びて見えた。
アルスはその背中を少し遅れて追いかけた。




