表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルス未踏旅記  作者: chiroru
学園の国 ルクテリオ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
40/45

第15章 規律の奥にあるもの

回廊に静寂が落ちた。


灯りの下で学園長は影をまっすぐに見据えていた。

影は杖を握ったまま、震える指先を制御できずにいる。


「……学園長!」


アルスが思わず声を上げた。


その声で影の肩がびくりと跳ねる。

固まっていた体に再び動きが戻った。


──逃げる気だ。


アルスは咄嗟に身構えた。

ユンも壁から離れ、前に出ようとする。

ニーナが息を呑む。


影は身を翻し、回廊の脇道へ走り出そうとした。


その瞬間。


「お待ちなさい」


エレオノールの声が廊下に響いた。


低く、無駄のない声。

怒鳴っているわけではない。

ただ、はっきりと届く声だった。


それでも影は止まらなかった。

足音が回廊に響く。


エレオノールはわずかに目を伏せ、それから静かに口を開いた。


「ご存じですか」


足音がほんの一瞬だけ鈍る。


「学園の長は──ここの臨界演術を無効化することができます」


影の足が止まった。


ニーナの目が見開かれる。

ユンの眉がわずかに動く。


エレオノールは淡々と続ける。


「学園を編んだ三人の演術。

その仕組みに最も近い場所に立つのが学園長です」


声に揺らぎはない。


「あなたの背中の印は私の前では機能しません」


回廊の空気が変わった。


影の肩が大きく上下する。

息が荒い。

迷っている。


(……本当に?)


アルスの背中にも冷たいものが流れた。

そんな話は聞いたことがない。

ユンですら、予想もしていない発言に驚いていた。


それでもエレオノールの声には一切の揺らぎがない。


「賢明な選択を」


影は数秒、立ち尽くしていた。

そして──


地を蹴った。


ニーナが息を呑む。

影は逆方向の回廊へまっすぐ走り出した。


エレオノールの表情は変わらなかった。

ただ、杖を握る右手をわずかに上げる。


それだけだった。


杖の先に、小さな光が灯る。

拳ひとつ分ほどの、白い光。


ふっ、と。


息を吐くように光が放たれた。


軌道はまっすぐ。

速度は見えないほど。


──ドンッ。


鈍い音。


影の体が回廊の壁に叩きつけられた。

そのまま、ずるりと崩れ落ちる。


杖が床を転がる音。


それから──静寂。


「……!!」


ニーナが言葉を失った。

ユンも目を見開いたまま動けない。


アルスは恐る恐る、倒れた影に駆け寄った。


フードをめくる勇気はまだない。

ただ、呼吸を確認する。


「……息、ある」

「死にはしません」


エレオノールは静かに言った。


「臨界演術は正常に作動しています。学園長にそんな権限はないです。気を失っているだけ」


ユンがようやく口を開いた。


「……今のは、なんですか」


その声はいつものユンらしくなかった。

わずかに震えている。


「演術にあんなものは……」


ニーナも続けた。


「ない、はず……」


二人の知識の中に答えはなかった。

講義で習った形のどれにも当てはまらない。

詠唱もない。

発動の予兆も、ほとんどなかった。


エレオノールはふっと微笑んだ。


それは初めて見る種類の笑みだった。

学園長室で見たような、規律の笑みではない。

もう少し、柔らかい。


「これはまだ早いですね」


それだけ言って、彼女は手を下ろした。


「いずれ知る日が来ます。

今はそれで構いません」


説明はない。

押し通すつもりもない。

ただ、そう告げるだけだった。


アルスは口を開きかけて、閉じた。


(……これが学園長なんだ)


規律の人。

そう思っていた。


でも今、回廊に立つ彼女はそれだけではなかった。


──────────


エレオノールはゆっくりと三人の前まで歩いてきた。


足音はやはり静かだった。


「感謝します」


短い言葉だった。


三人はすぐには反応できなかった。


「……え?」


ニーナが戸惑った声を出す。


エレオノールは三人を見渡し、続けた。


「事件のことは教師たちも追っていました」


声にわずかな疲れが滲む。


「ですが、ターゲットを絞ることができなかった」


ユンが顔を上げる。


「不甲斐ないことに」


エレオノールは少し目を伏せた。


「この学園には不安定な子が少なくありません」


その言葉にアルスはリアナの顔を思い出した。

笑顔の奥の、目の動き。

夜あまり寝ていないと、ユンが言っていたこと。


「誰が次に狙われるのか。誰が削られているのか。絞り込むには教師の目だけでは足りなかったのです」


エレオノールはゆっくりと顔を上げた。


「ですが、あなたたち三人が動いていることには気づいていました」


ニーナの肩がわずかに跳ねる。


「気づいていたんですか……」


「中庭で何度も話し込んでいましたね。聞き込みに回っていたことも」


淡々とした口調だった。

責めるわけでも、咎めるわけでもない。


「だから、気にかけていました」


その言葉にアルスは少し息を呑んだ。


(見られてた)


でも、止められもしなかった。

邪魔もされなかった。


「あなたたちが囮を立てたことには最後まで気づけませんでした」


エレオノールは初めて少し申し訳なさそうな顔をした。


「ですから──回廊を見回っていなければ、ここに間に合っていなかった」


そして、もう一度言った。


「本当に、感謝します」


今度ははっきりと頭を下げた。


学園長が生徒に。


ニーナが慌てて手を振る。


「い、いえ、そんな……」


ユンも視線を落とした。


「……自分たちが勝手にやったことです」


アルスは少しだけ笑った。


「捕まえたのは学園長ですし」


エレオノールは顔を上げ、ふっと笑った。


「いいえ」


倒れた影に視線を落とす。


「あなたたちがここまで追い込んでくれたから。

 ただ、それだけです」


回廊の灯りがわずかに揺れた。


夜はまだ終わらない。


フードの下の顔はまだ誰にも見えていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ