第12章 お得意の"あれ"
夜の中庭は昼とは別の場所のように静かだった。
噴水の音だけが規則的に響いている。
アルスとニーナはベンチに並んで座っていた。
言葉は少ない。
互いに何かを考えているのは分かるが、あえて口には出さない。
やがて、足音がひとつ近づいてきた。
ユンだった。
その手には一冊のノートがある。
アルスが顔を上げる。
「それは?」
ユンは短く答えた。
「見つけた」
それ以上の説明はない。
ただ、ベンチの前に立ったまま、ノートを差し出す。
ニーナがそれを受け取った。
少しだけためらってから、ページをめくる。
最初はただのまとめに見えた。
臨界演術の基礎。
発動条件。
講義で聞いた内容と大きくは変わらない。
「まあ、普通ね」
ニーナが小さく言う。
アルスも横から覗き込む。
「うん。講義のノートっぽい」
ユンは何も言わない。
ただ、あるページを指で軽く叩いた。
「そこからだ」
ニーナが視線を落とす。
ページの途中から、書き方が変わっていた。
整理された文章ではない。
走り書きに近い。
アルスの表情がゆっくりと変わる。
「……これ」
ニーナも気づく。
「考察かしら」
ユンが静かに言う。
「記録だ」
ページをめくる。
そこにははっきりと書かれていた。
──発動条件:致命的状況
──仮説:精神状態が影響する可能性
──検証開始
アルスの喉が鳴る。
さらに次のページ。
──一例目:対象、精神的に不安定
──死に近づける程度の刺激を与える
──臨界演術、発動せず
──結果:死亡
空気が、止まる。
ニーナの指がわずかに震える。
「……これ」
言葉が続かない。
ユンが代わりに言う。
「想定外の結果だ」
さらにページをめくる。
──原因不明
──だが仮説を修正
──“致命”ではなく、“認識”が条件の可能性
アルスが息を吐く。
「……分かってきた、ってことだよね」
ユンは頷いた。
「最初は“死なせるつもりはなかった”」
ニーナが小さく呟く。
「でも、死んだ」
ユンは続ける。
「そこで気づいた、臨界演術には穴があると」
ページの最後。走り書きのような一文。
──観測を続ける必要あり
ニーナがノートを閉じた。
ゆっくりと。
噴水の音だけが戻ってくる。
アルスはしばらく黙っていたが、やがて言った。
「……これ、誰の?」
ユンは少しだけ間を置いた。
「分からない」
それから、はっきりと続ける。
「だが、犯人のものだ」
ニーナが顔を上げる。
「……間違いないの?」
ユンは即答した。
「ああ」
アルスはノートを見つめる。
ただの紙の束にしか見えない。
でも。
そこに書かれているのは誰かの“死”だった。
「……リアナには」
ニーナが言いかける。
ユンが先に答えた。
「言ってない」
短く、はっきりと。
「これは見せるべきじゃない」
アルスも頷く。
「うん……そうだね」
ニーナは少しだけ迷ってから、頷いた。
「じゃあ、“ただのノートだった”ってことにするわ」
ユンはノートを持ち直す。
「しばらく借りる」
誰も反対しなかった。
さっきまでの“情報”が、それぞれの中で整理されている。
やがて、アルスがぽつりと言う。
「……まだ、やるつもりだよね」
ユンが短く答える。
「ああ、観測を続けるって書いてあった」
ニーナが小さく息を吐く。
「止めない限り、続くってことね」
また、少しの沈黙。
噴水の水音だけが一定のリズムを刻む。
アルスはノートを見つめたまま言った。
「でも……どうやって止めるの?方法は分かっても、相手が分からない。それに――」
言葉を探す。
「狙われる人、絞れないよ」
ユンは頷く。
「条件は広すぎる。精神的に不安定な状態。その定義も曖昧だ」
ニーナが続ける。
「いじめだけじゃない。成績でも、人間関係でも、いくらでも当てはまる」
アルスは苦笑する。
「この学園、該当者だらけだね。もちろん、この学園だけじゃないけど」
冗談のつもりだったが、誰も笑わなかった。
それが現実だった。
少しの間、三人とも黙り込む。
やがて――
ニーナが顔を上げた。
「……じゃあ、作るしかないわね」
アルスが眉をひそめる。
「作る?」
ニーナははっきりと言った。
「ターゲットをこっちで用意するの」
ユンの視線がわずかに動く。
「どういうことだ」
ニーナはアルスとユンを順に見る。
「“弱ってる生徒”を、作るのよ」
アルスの顔色が変わる。
「まさか」
ニーナは頷いた。
「私がやる」
言い切る。
アルスはすぐに立ち上がりかけた。
「また...」
声が少し強くなる。
「危ないに決まってる」
ニーナは視線を逸らさない。
「でも、このままだと誰が狙われるか分からないでしょ」
「だからって――」
アルスが言いかける。
その間に、ユンが静かに口を開いた。
「待って」
アルスが振り向く。
ユンは落ち着いていた。
「この犯人は無差別じゃない」
ノートを軽く叩く。
「条件がある」
アルスは黙る。
ユンは続ける。
「精神的に弱っていること。そして、対象が無防備な状態であること。つまり、寝ている時だ」
ニーナが小さく頷く。
ユンはさらに言う。
「逆に言えば、それ以外では仕掛けてこない」
アルスは眉を寄せる。
「でも、それって……」
ユンはアルスを見る。
「ニーナが計画通りに動いていれば、リスクはかなり低い」
一拍置く。
「完全に安全とは言えないが、少なくとも無作為に狙われるよりは制御できる」
アルスは言葉を失う。
頭の中で整理する。
条件。
行動。
犯人の思考。
そして、ニーナを見る。
ニーナに迷いはない。
アルスはゆっくりと息を吐いた。
「……確かに」
座り直す。
「無差別じゃないなら……コントロールできる」
ニーナが少しだけ表情を緩める。
「でしょ」
アルスはすぐに続ける。
「でも、一人にはしないよ。絶対に」
ニーナは軽く笑った。
「そこは任せるわ」
ユンも頷く。
「ああ」
短い肯定。
再び、噴水の音が三人を包む。
「やるのね?」
ニーナが確認するように言う。
ユンが答える。
「やる」
アルスも頷いた。
「……やろう」
決意は、静かだった。
でも、確かだった。




