第10章 内側から
保健室の廊下は昼とは別世界。
灯りは最小限。
足音がやけに響く。
「……やってること、だいぶ危ないわね」
ニーナが小声で言う。
「忍び込んで、死体を見に行くって」
ユンが淡々と返す。
「合理的ではない」
アルスが苦笑する。
「セオのこと言えないね」
三人で顔を見合わせる。
小さく、緊張をごまかすように笑う。
でも足は止まらない。
通常、この学園に死体安置所は存在しない。
死者が出る前提がないからだ。
だから今回は──
保健室の奥の一室。
仮の安置室。
扉の前で三人は立ち止まる。
アルスの喉が乾く。
「……入るよ」
ユンが静かに頷く。
その時。
廊下の先に…人影。
三人は反射的に物陰に隠れる。
足音。
ゆっくり。
一定。
やがて姿が見える。
眼鏡。
痩せた体。
無機質な歩き方。
セオ。
「……なんか来る気がしてた」
ニーナが小さく呟く。
その時、アルスの肘が後ろの棚に触れる。
──カタン。
小さな音。
しかし、静まり返った場所では十分すぎる。
沈黙。
そして。
「……誰だ」
低い声。
三人の背中に冷たいものが走る。
逃げられない。ユンが小さく息を吐く。
「出よう」
三人は物陰から出る。
セオの視線がゆっくりと三人を捉える。
一瞬だけ、目が鋭くなる。
そして──
「ああ、君たちか」
さっきまでわずかにあった緊張が消える。
興味が、消えた。
その変化がはっきり分かる。
ニーナが先に口を開く。
「死因が知りたくて」
「そうだろうな」
「……はい」
アルスは正直に言った。
セオは三人を観察する。
怯えているか。
好奇心か。
罪悪感か。
「何のために?知ってどうする」
淡々とした口調。
ユンが静かに言う。
「学園で人が死んでいる理由は知りたい。その犯人も。」
セオの目がわずかに細くなる。
「“殺された”と断定するのは早い」
アルスが反射的に言う。
「え?」
セオは扉の奥に進む。アルス達も後を追う。
冷たい。
薬品の匂い。
部屋の中央に、白い布。
その下に…
アルスの足が止まる。
(これが……)
今までも遠くからなら事故は見た。
運ばれる人も見た。そういう国で育った。
でも。
直接、死体を見るのは初めてだった。
ニーナは静かに前へ進む。
表情は固い。
でも逃げない。
ユンも同じ。
アルスは一歩遅れて近づく。
ニーナが小さく言う。
「……おじい様の時と、同じ」
ユンが静かに続ける。
「義母が亡くなった時もこんな感じだった」
アルスは驚く。
「ユン……」
「十歳の時だ」
短い。
それ以上語らない。
アルスは布を見つめる。
(ヴァルドは…ジークは…)
見たことあるのかな。
戦う人間だ。
きっとある。
自分だけがまだ遠かった。
静寂の後、無造作にセオが布の端を持ち上げる。
「……」
顔が現れる。
穏やかでも、苦悶でもない。
ただ、止まっている。
大きな外傷はない。
火傷もない。
打撲もない。
服も整っている。
「……争った形跡、ないようね」
ニーナが小さく言う。
セオは被害者の腕を持ち上げ、関節の硬直を確認する。
「外傷は確認できない」
ユンが低く呟く。
「内臓は……」
「解剖はしない」
アルスが思わず言う。
「さすがに、そこまでは──」
「器具がない」
即答。
空気が止まる。
アルスとユンが同時に、わずかに引く。
ニーナも一瞬言葉を失う。
セオは気にしていない。
「適切な環境でなければ正確な観測はできない」
それだけだ。
倫理でも配慮でもない。
純粋に観測精度の問題。
アルスはこうはなりたくないと感じた。
ニーナは良くないものを見る目をしている。
セオはさらに視線を落とす。
「……」
ふと、動きが止まる。
首元。
「ここ」
指で軽く示す。
首元から胸元にかけて、浅い引っかき傷。
細い。
複数。
新しい。
ニーナが息を呑む。
「……争った跡?」
アルスも思わず頷きかける。
だが。
ユンがすぐに首を振る。
「違う」
セオも同時に言う。
「他者による傷ではない」
アルスが戸惑う。
「え?」
ユンが近づいて観察する。
「爪の角度が一定」
「深さも揃っている」
セオが続ける。
「自傷」
ニーナが眉を寄せる。
「でも……なんで」
セオは被害者の手を見る。
爪の先。
わずかな皮膚片。
「強いストレス状態」
ユンが静かに言う。
「呼吸が荒れた時、自分の首元を掻くことがある」
アルスの頭に、広場の被験者が浮かぶ。
震えていた手。
息の乱れ。
守られていた。
でも怯えていた。
「……自分で?」
アルスの声はかすれる。
セオは淡々と結論を置く。
「外傷なし」
「結界発動なし」
「軽度の自傷」
「瞳孔拡張」
静かに言う。
「急性の自律神経失調」
部屋の空気が重くなる。
ニーナが呟く。
「……じゃあ」
「殺されたんじゃない?」
セオは三人を見る。
「“致命傷”ではない」
その言葉が、やけに冷たい。
アルスの背中に冷たい汗が流れる。
殺されていない。
でも死んだ。
ユンがゆっくり言う。
「……精神的に、限界まで追い込まれた可能性」
ニーナの声が震える。
「でも、明るい子だったって」
セオは首を傾げる。
「明るいことと、安定していることは同義ではない」
静かな一撃。
アルスは白布を見つめる。
三人目。
いじめられていない。
友人も多い。
明るい。
でも。
自分の首を掻きむしるほど、追い詰められていた。
守られているはずの学園で。
セオが布を戻す。
「殺人ではない」
突然の言葉。
三人が顔を上げる。
「だが」
ほんのわずかに目が鋭くなる。
「精神を削る行為はこの学園に存在する」
ニーナの喉が鳴る。
アルスの頭に浮かぶ。
いじめ。
圧力。
期待。
成績。
比較。
削る。
目に見えない。
結界も反応しない。
アルスはぽつりと呟く。
「守られてる。でも」
ニーナが続ける。
「削られてる」
セオは三人を見つめる。
その目は前と変わらない。
そして静かに言う。
「次は誰だろうか」
三人は息を呑む。
つまり。
まだ終わっていない。
物語は犯人に一歩近づいた。




