第68話「決めきれない朝」
午前の光が、まだやわらかい時間。
ドアベルが鳴り、スーツ姿の女性が入ってきた。
きちんと整えられた髪。けれど、その表情には、どこか迷いが残っている。
「いらっしゃいませ」
「……ブラックコーヒーを」
「かしこまりました」
席に座ると、女性はバッグから一枚の封筒を取り出した。
白いそれは、何度も触れられたように少しだけ角が丸くなっている。
「今日、返事をしないといけないんです」
コーヒーが運ばれてくる。
「はい」
「転職の……内定で」
封筒を指でなぞる。
「今の仕事を続けるか、
新しい場所に行くか」
一口飲む。
「どちらも、間違いじゃないんです」
「ええ」
「だから、決めきれなくて」
小さく息をつく。
「正解が分からない選択って、
こんなに難しいんですね」
マスターは静かに言う。
「正解は、あとから形になることもあります」
「……あとから?」
「選んだあとに、
その道を正解にしていく」
女性は少し考える。
「でも、間違えたら」
「間違いだと思ったときも、
やり直しはできます」
コーヒーの香りが、ゆっくり広がる。
「大切なのは、
どちらを選ぶかよりも」
女性が顔を上げる。
「選んだあと、どう向き合うかです」
沈黙。
女性は封筒を見つめる。
「……どっちが怖いか、考えてみます」
「怖いほう、ですか」
「はい」
少しだけ笑う。
「後悔しそうなほうを、
選ばないように」
コーヒーを飲み干す。
そして、封筒をバッグに戻した。
「決めます」
「はい」
立ち上がると、その表情は来たときよりも少しだけはっきりしていた。
「どっちでも、
自分で正解にします」
「ええ」
ドアベルが鳴り、女性は外へ出る。
朝の光は、少しだけ強くなっていた。
喫茶リセットでは、
決めきれない朝も、
静かに背中を押してくれる。




