第65話「閉じられないページ」
昼下がり。
店内には、やわらかな光が差し込んでいた。
ドアベルが鳴り、年配の男性が入ってくる。
腕には一冊の分厚い本。
「いらっしゃいませ」
「……コーヒーを」
席に着くと、その本をゆっくりテーブルに置いた。
しおりが、途中のページに挟まれている。
「最後まで、読めなくて」
ぽつりと言う。
「面白くないわけじゃないんです」
「はい」
「むしろ、好きで」
しおりに指を添える。
「終わるのが、もったいなくて」
コーヒーが運ばれる。
「読み終えたら、
この時間が終わってしまう気がして」
一口飲む。
「だから、ずっとこのまま」
ページは少しだけ開き癖がついている。
「でも、気になってはいるんです」
「はい」
「結末も、
その先も」
少しだけ笑う。
「進みたいのに、
終わらせたくない」
静かな時間が流れる。
「閉じられないのですね」
「ええ」
男性は頷く。
「読み切る勇気が、ないのかもしれません」
マスターは静かに言う。
「終わりは、
区切りでもあります」
「……」
「閉じることで、
次に進めることもあります」
男性は、本に手を置く。
「でも、このままでも」
「はい」
「まだ、この物語の中にいられる」
コーヒーの湯気がゆっくり消える。
「どちらも、間違いではありません」
男性は、しばらく黙った。
やがて、しおりを少しだけ動かす。
「今日は……」
ページをめくる。
一枚だけ。
「少しだけ、進めます」
「はい」
目を通し、またしおりを挟む。
「ここまで」
小さく笑う。
「終わらせないまま、進むこともできるんですね」
「ええ」
本を閉じる。
今度は、やさしく。
「次に来たとき、また一ページ」
「お待ちしています」
男性は立ち上がる。
「この本、もう少し楽しみます」
「はい」
ドアが閉まり、昼の光が少しだけ傾く。
喫茶リセットでは、
閉じられないページも、
ゆっくりと進めていける。




