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第32話 少しだけ居場所ができた日

今日も頑張る、派遣さん。


 午後のフロアは、いつもと同じ音に包まれていた。


 キーボードの音と電話の声が重なり、それぞれがそれぞれの仕事をしている。


 画面に向かいながらいつもの作業を進めていると、


「ちょっといい?」


 声をかけられる。


 顔を上げると社員さんがこちらを見ていて、軽くうなずいて席を立つ。


 そのまま後ろについていくと、小さな会議スペースに案内される。


 中にはすでに何人かの社員さんがいて、資料を見ながら話をしていた。


 その空気の中に、自分も自然に入っていく。


 いつもなら少し離れた場所から聞いているだけの会話が、同じテーブルの上で進んでいる。


 椅子を引いて座ると、手のひらが少しだけ汗ばんでいるのに気づく。


「今度の案件なんだけど、少し手伝ってもらえないかな」


 そう言われて、一瞬だけ言葉が止まる。


 ――自分に?


 思わずそう思う。


 何かの聞き間違いじゃないかと、ほんの一瞬だけ考える。


「アシスタント的な感じでいいから」


 続けてそう言われて、ようやく自分に向けられている言葉だと分かる。


「はい」


 そう答える。


 声が少しだけ固くて、自分でも少し驚く。


 それでも断る理由はどこにもなく、そのまま話を聞く。


 会議が進んでいく。


 聞き慣れない言葉も混ざっているけれど、どこかで知っている内容もある。


 今まで見てきた仕事の延長に、ちゃんとつながっている。


 その中で、ふと自分に視線が向く。


「鈴木さん、ここどう思う?」


 一瞬、頭の中が白くなる。


 名前で呼ばれたことに、ほんの少しだけ意識が引っ張られる。


 でもそのまま止まるわけにもいかなくて、考え、言葉を探す。


 頭の中で一度組み立ててから、ゆっくり口に出す。


 うまく言えているか分からない。


 途中で変な間があった気もする。


 それでも誰も止めない。


 そのまま話が続いていく。


 頷く人がいて、メモを取る人がいる。


 会話の流れの中に、自分の言葉が混ざっている。


 そのことに少し遅れて気づき、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。


 会議が終わる。


 「ありがとう」と軽く声をかけられて席に戻り、椅子に座りながらさっきの時間を思い返す。


 ――ちゃんと、そこにいた。


 その感覚が、ゆっくりと体の中に残っていく。


 キーボードに手を置くと指はいつも通りに動き出すけれど、さっきまでとは少し違う。


 同じ仕事をしているのに、どこか少しだけ自分の場所がはっきりした気がする。


 それから社員さんと話すことが少しずつ増えていき、名前で呼ばれることも前より自然になっていく。


 ほんの少しずつ、本当に少しずつだけど前とは違う。


 ――気のせいかもしれない。


 そう思いながらも、それでも分かっている。


 前とは違うということを。


 画面に目を落とす。


 キーボードを打つ音が、ほんの少しだけ軽く聞こえる。


 ――まあ、いいか。


 そう思う。


 今日も、ここで働いている。


 それは、変わらない。


 でも、


 ほんの少しだけ、


 ここにいてもいいと思える場所が、


 できた気がする。

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