第24話 初めてFAXを送った日
今日も頑張る、派遣さん。
朝のフロアは、まだ少し静かだった。
キーボードの音もまばらで、
空気が完全に動き出す前の、落ち着いた時間。
席に座って、パソコンを立ち上げる。
画面がゆっくりと明るくなっていくのを見ながら、
まだ頭のどこかが、ぼんやりしているのを感じる。
コーヒーを一口飲んで、
少しだけ意識がはっきりしてくる。
それでも、完全には切り替わっていない。
そんなタイミングで、
「これ、営業所にFAXしておいてもらえる?」
声をかけられる。
顔を上げて、差し出された書類を受け取る。
「はい」
反射的に答える。
でも、
そのまま立ち上がろうとして、
ほんの一瞬だけ手が止まる。
――FAX。
送ったこと、あったっけ。
思い出そうとするけれど、
はっきりしない。
たぶん、ない。
でも、
今さら聞くのも少しだけためらわれる。
書類を持って、複合機の前に立つ。
操作画面を見つめる。
見慣れているようで、ちゃんと触ったことはない画面。
指が、ほんの少しだけ迷う。
――たしか、ここから。
なんとなくの感覚で、操作を進める。
営業所の番号を入力する。
数字をひとつずつ確認する。
ここは間違えたくない。
たぶん、大丈夫。
そこで、
ふと違和感がよぎる。
――あ。
書類をまだセットしていないことに気づく。
慌てて、
スタートボタンを押してしまう。
機械が動き出す。
紙のないまま。
――あ。
すぐに取り消しボタンを押す。
なんとか止まる。
小さく息を吐く。
周りを少しだけ気にしてしまう。
誰も見ていないはずなのに、
少しだけ恥ずかしい。
書類をセットし直して、
今度はちゃんと確認してから、
もう一度スタートを押す。
紙が吸い込まれていく。
その様子を、じっと見つめる。
今度こそ、大丈夫。
そう思う。
送信完了の表示が出て、
ようやく肩の力が抜ける。
席に戻って、パソコンに向き直る。
さっきより、少しだけ頭が冴えている気がする。
それからしばらくして、
電話が鳴る。
自分の席の電話だと気づいて、受話器を取る。
「お世話になっております」
そう言ったあと、
相手の言葉に、思考が一瞬止まる。
「さっきのFAXなんですけど、白紙で届いていて……」
――え。
胸の奥が、すっと冷える。
体の内側だけ、温度が下がるような感覚。
「申し訳ありません」
反射的に、言葉が出る。
頭の中で、さっきの操作をたどる。
書類はセットした。
番号も確認した。
それでも、
白紙。
立ち上がって、もう一度複合機の前に行く。
書類を手に取って、
そこで気づく。
――裏表。
向きが、逆だった。
小さく息を吸う。
なんで気づかなかったんだろう、と思う。
今度はゆっくり確認して、
慎重に送り直す。
紙が吸い込まれていくのを、
さっきより長く見つめる。
送信完了の表示を確認してから、
もう一度電話をする。
「先ほどは申し訳ありません。再送しましたので、ご確認お願いします」
そう伝えると、
「はい、大丈夫でした」
と返ってくる。
その一言で、体の力が抜ける。
「ありがとうございました」
電話を切って、
ゆっくり息を吐く。
胸の奥に残っていたものが、
少しずつほどけていく。
席に戻りながら、
さっきのことを思い返す。
焦りと、恥ずかしさ。
でも、
ちゃんとやり直せた。
それでいい、と思う。
椅子に座って、キーボードに手を置く。
指が、さっきより少しだけ慎重に動き出す。
――次は、ちゃんと確認しよう。
心の中で、そっと思う。
朝のぼんやりした感覚も、
いつの間にか消えていた。
今日も、ひとつ覚えた気がする。




