第2話 名前が呼べない日
今日も頑張る、派遣さん。
午前中に頼まれた書類を手に、フロアの中を少しだけ歩く。
――これ、誰に渡せばいいんだっけ。
名前を聞いたはずなのに、思い出せない。
席も、うろ覚え。
なんとなくそれらしい方向へ歩きながら、ちらりと視線を動かす。
首から下がった社員証。
名前、書いてある。
でも、じっと見るわけにもいかない。
タイミングを探す。
人が少し動いた瞬間、ほんの一瞬だけ横目で確認する。
……違った。
何もなかった顔で通り過ぎる。
少しだけ遠回りして、また戻る。
もう一度だけ、さりげなく見る。
今度は合っていた。
小さく息をつく。
「あの、これ……」
声をかけると、相手は普通に受け取ってくれる。
「ありがとうございます」
にこやかな声。
そのやわらかさに、少しだけ安心する。
でも、名前は呼べないまま。
昼になった。
椅子が引かれる音が重なり、あちこちで人が立ち上がる。
今日仕事を教えてくれている人が、こちらを見て言った。
「お昼、一緒にどうですか?」
一瞬だけ迷ってから、頷く。
「はい、ぜひ」
本当は、お弁当を持ってきていた。
バッグの中に、ちゃんと入っている。
でも今日は、持ってきていないことにした。
なんとなく、その方がいい気がして。
社員食堂へ向かう。
扉を開けると、あたたかい空気と、揚げ物のにおいがふわっと広がった。
思っていたよりも広くて、人も多い。
トレーを持って、列に並ぶ。
前の人の動きを見ながら、同じように皿を取る。
なんとなく流れに合わせて、定食を選ぶ。
席につくと、周りの話し声が重なって、少しだけ遠くに感じる。
「ここ、安いんですよ」
そう言われて、少しだけ安心する。
会計のとき、社員の人は社員証をかざしていた。
ピッ、という音。
それだけだった。
一瞬で終わる。
自分の番になる。
「八百円になります」
財布を出して、お金を払う。
小銭の音が、やけに大きく聞こえた気がした。
そのときだった。
「ちょっと高いですよね」
さっきの人が、軽く笑いながら言う。
「私たち、会社が半分出してくれてるので、四百円くらいなんです」
そうなんですね、と笑って返す。
知らなかったわけではない。
なんとなく、分かっていた。
それでも。
胸の奥が、ほんの少しだけ、ちくりとした。
――まあ、派遣だし。
そう思えば、それで済む。
目の前のごはんを、一口食べる。
あたたかい。
もう一口食べる。
少しだけ、味が分かる。
顔を上げると、目の前の人が何か話している。
頷きながら、言葉を返す。
ちゃんと笑えているかは、少しだけ分からない。
でも、たぶん大丈夫。
――こういうのも、慣れてる。
食堂を出て、また午後が始まる。
名前は、まだ覚えきれていない。
それでも仕事は進んでいく。
書類を手に、もう一度歩き出す。
さっきより、ほんの少しだけ迷わずに。
――こういうのも、慣れてる。




