第19話 言われていない気がする日
今日も頑張る、派遣さん。
午後のフロアは、いつも通りの空気が流れていた。
キーボードの音と、電話の声。その中に、自分の打つ音も混ざっている。
画面に向かいながら、ひとつずつ作業を進めていく。
入力して、確認して、もう一度見直す。
同じ流れを繰り返していると、時間は静かに過ぎていく。
そのリズムの中に、身体も少しずつなじんでいる気がしていた。
一定のリズムで進んでいたはずの時間が、
「さっき頼んだ修正、まだ?」
その一言で、ふっと止まる。
指が、キーの上で止まる。
顔を上げる。
「急ぎなんだけど」
言葉が重なる。
一瞬、頭の中が真っ白になる。
――さっき?
思い当たるものがない。
今日のやり取りを、頭の中でたどる。
それでも、それらしい記憶は浮かばない。
「まだやってないの?」
少し低くなった声に、胸の奥がきゅっと縮む。
息が浅くなる。
――何も、頼まれてないけど。
言葉が喉の奥で引っかかる。
出そうとして、止まる。
ほんの一瞬の間が、やけに長く感じる。
周りのキーボードの音が、少し遠くなる。
自分だけ、時間から取り残されたような感覚になる。
「……すみません。もう一度、教えてもらえますか」
やっとのことで、声に出す。
自分の声が、少しかすれている気がする。
一瞬だけ、空気が動く。
「聞いてなかったの?」
ため息まじりの声。
続いた言葉が、静かに刺さる。
「派遣は責任なくていいわよね」
胸の奥に、重いものが落ちる。
息が、うまく吸えない。
「申し訳ございません」
そう答える。
本当は、言いたいことがある。
言われていない、と思っていることも。
言い返したい気持ちも、ちゃんとある。
でも、
ここで口にしたところで、
何かが変わるわけじゃない。
味方がいるわけでもない。
分かっている。
だから、飲み込む。
ぐっと奥歯を噛みしめる。
喉の奥に残った言葉を、そのまま押し込む。
胸の奥にたまったものが、少しだけ重い。
視界が、ほんの少しだけにじむ。
それでも、顔は上げたままにする。
説明を聞きながら、内容を頭に入れていく。
やることは分かる。
それでいい。
席に戻り、パソコンに向き直る。
画面が、さっきと同じまま残っている。
一度だけ、ゆっくり息を吐く。
キーボードに手を置くと、指がゆっくりと動き出す。
さっきより、少しだけ固い。
それでも、止めない。
ひとつずつ、終わらせていく。
キーを打つ音が、少しだけ強く響く。
――まあ、いいか。
心の中で、小さくつぶやく。
今日も、ここでやることは変わらない。
――なんとかなる。
そう思いながらも、
さっきの言葉が、胸の奥に小さく残っている。




