第16話 何度やっても入れない日
今日も頑張る、派遣さん。
朝の空気は、少しだけひんやりしていた。
駅を出て、会社までの道を歩く。
同じ時間に同じ方向へ向かう人たちが、自然と同じ流れを作っている。
まだ頭は完全に仕事のモードじゃなくて、ぼんやりしたまま足だけが前に進んでいく。
今日やることを、なんとなく思い浮かべる。
大きな予定はないけれど、細かい作業はいくつかあったはずだ。
そんなことを考えながら、会社の入口が見えてくる。
そのまま人の流れに混ざりながら、入口の前に立つ。
バッグからカードを取り出す。
いつものように、機械にかざす。
ピッ、と鳴るはずの音が鳴らない。
――あれ。
一瞬だけ手を止めて、もう一度かざす。
反応しない。
少しだけ角度を変えてみる。
やっぱり、鳴らない。
後ろに人の気配を感じる。
誰かが並んでいるのが、分かる。
ほんの少しだけ、背中が落ち着かなくなる。
――おかしいな。
今度は、ゆっくりかざしてみる。
それでも、鳴らない。
小さく息を吸う。
カードを持つ手に、ほんの少しだけ力が入る。
視線を落として、手元のカードを見る。
その瞬間、
――あ。
手に持っていたのは、交通系のカードだった。
気がつくと、顔が熱くなっていくのがわかる。
それから、小さく息を吐く。
バッグの中を探して、社員証を取り出す。
今度は間違えないように、ゆっくりとかざす。
ピッ、と音が鳴る。
扉が開く。
止まっていた流れが、また動き出す。
人に流れの中に混ざりながら、建物の中に入る。
歩きながら、ほんの少しだけ口元がゆるむ。
――やっちゃった。
誰かに何か言われたわけでもないのに、
少しだけ恥ずかしい。
でも、その気持ちも、歩くうちに少しずつ薄れていく。
席に向かいながら、カードをバッグにしまう。
周りでは、もういつもの朝の空気が流れている。
キーボードの音、電話の声、誰かの小さな会話。
その中に、自分も自然と戻っていく。
椅子に座り、パソコンを立ち上げる。
画面が明るくなり、見慣れたデスクトップが表示される。
キーボードに手を置くと、指が自然に動き出す。
さっきの出来事が、少し遠くなる。
――まあ、いいか。
そんな日もある。
受信トレイを開くと、新しいメールがいくつか届いている。
内容をざっと確認して、優先順位を考える。
ひとつずつ片付けていけばいい。
そう思うと、さっきまでの小さな失敗も、もう気にならなくなる。
――今日も、ちゃんと始まった気がする。




