8.ふたつ目の名前
あの湖のほとりで出会った彼は、
ノルンというらしい。
赤髪の青年──テオが、
ふと思い出したかのように、視線を向けた。
「そういえば、君の名前は? ねーねー、教えて!」
「……っ」
言葉が、喉に詰まる。
ここがどこかも分からない。
──もし、死んだのだとしたら
私は、誰なの。
私は、何歳なの?
私の名前は……?
自分の顔さえ、
まだ一度も見ていない。
「分からない……」
その言葉に、全員が表情を固めた。
金髪の青年──アッシュの声が、
荒れた部屋に静かに落ちた。
「それは何も覚えてないってことか?」
「違うの。私は……」
そこで、言葉が詰まった。
何も言えなかった。
「最期の記憶は、殴られてました」
──なんて言えるわけがない。
あの男が……あの男が……。
その瞬間、
聞こえたのはあの澄んだ声だった。
「大丈夫……言わなくていい。」
ノルンの一言が、その場を止めた。
「じゃあさっ!ルナなんてどう?ぽくないー?
漆黒の中に光みたいなさ!」
テオは、重苦しい空気を
一瞬で塗り替えるように、ニッと笑った。
「ル、ナ……?」
「そう!ルナ!」
「おぉ!いいな!……てかすまなかったな。
俺、変なこと聞いちまったよな……」
しゅんとしたアッシュの顔が、
昔、家で飼っていたわんこを思い出させて、
つい笑ってしまった。
「ふふっ」
「笑ったっ!良かったなーっアッシュ!」
テオがアッシュの肩をニヤつきながら
トントンと軽く叩く。
「俺が笑われてんのか?!」
アッシュがテオの肩をがしっと掴もうとした瞬間、
テオが大袈裟に身を引く。
そのせいで、 半壊していた棚が音を立てて崩れた。
「うわっ」
「お前っ……!」
「もうこれ以上部屋を壊すなよ」
ノルンが冷静にふたりを止めた。
余計なことは、何も言わなかったが
少しだけ目元が和らいでた気がした。




