3.拒絶
……やだ……来ないで……
「ひっ……はぁっ、ぁ……」
勢いよく身体を起こす。
視界の端で火花が散り、
爆ぜるような耳鳴りが頭の奥を揺らした。
思考が追いつかない。
数秒遅れて、ようやく現実を認識する。
(……さっきの湖は……夢?)
震える手で、
自分の腕に触れてみる。
痛みはない。
殴られた跡も、何も残っていない。
それなのに、
胸の奥の恐怖だけが消えてくれなかった。
「っ……ここは……どこ……?」
見慣れた白い壁も、
お気に入りのぬいぐるみもない。
あるのは、無骨な木の壁だけ。
ようやく現実の輪郭を掴みかけた、
その時──
コン、コン。
控えめな音のはずなのに、
やけに大きく聞こえた。
びくり、と身体が跳ねる。
「……入ってもいいかな……?」
(……やだ)
返事をする前に、
扉が、ゆっくりと開いた。
入ってきたのは――あの青年。
「……大丈夫……?」
彼が、少しずつ近づいてくる。
あの湖で聞いた、
静かで澄んだ声のはずなのに。
今は、怖くて怖くてたまらなかった。
私は反射的に、後ろへ身体を引いた。
ぎし、と軋んだベッドの音が、やけに大きく響く。
震える指先で、シーツを強く掴む。
喉の奥がひくついて、息だけが浅く漏れていく。
(……来ないで)
私の気持ちを無視するかのように、
彼はそのまま近くにあった椅子へ手を伸ばし、
私のそばに腰を下ろした。
私の顔を覗き込むように、
彼の手が目の前へ伸びてくる。
そして、黒い髪が、視界に揺れる。
――心臓が、止まった。
(……あ)
黒い髪。
黒い髪。
黒い髪、黒い髪。
くろいかみ。
くろい、かみ。
重なる。
怒鳴り声。
振り下ろされる腕。
逃げ場のない視線。
違う。
ちがう。
ちがう。
(やめて)
わかってる。
それでも――
同じだ。
「やだ……来ないで……!」
過去と現実が、音を立てて混ざる。
息ができない。
思考が、沈む。
ただ、恐怖だけが
濁流のように押し寄せてきた。




