15.魔法と私
「るな、大丈夫。そんなに難しく考えなくていいから」
聞こえてきたテオの声に、
私は強ばっていた肩から少しだけ力を抜いた。
街から少し離れた森の中で、
私は目を閉じたまま、ぎこちなく右手を差し出していた。
最初に私が見つかった湖よりも街に近く、
スライムやラビットみたいな低級の魔物が多い場所らしい。
テオいわく、魔法の練習をするにはちょうどいい場所とのことだった。
──今日から、魔法の練習が始まる。
ここへ来る前に、
これからのことも聞かされていた。
私はしばらくここで、
魔法をコントロールできるようにならなければならないらしい。
それができるようになったら、
テオの師匠である賢者様に会うため、
遠くへ向かうことになるという。
正直、話の大きさに気持ちは全然追いついていなかった。
それでも、
昨日よりましだと思えることが一つだけある。
今朝、テオと少し打ち解けたことだ。
もらったぬいぐるみも、すっかり気に入っている。
何より、この知らない場所で、気軽に話せる相手がいるのは、思っていたよりずっと心強かった。
「感覚が全く分からない……」
思わず弱音が漏れる。
私の正面にはテオがいて、
少し離れた木陰では、ノルンとアッシュがこちらを見ていた。
視線を感じるだけで、
少しだけ肩に力が入る。
「じゃあ、まずはさ。
魔力の核を探すところから始めよっか」
言われるまま、そっと右手を差し出す。
「肩の力抜いて。深呼吸して。
で、胸の奥……っていうか、お腹のあたりでもいいや。
そこに、あったかいものがあると思ってみて」
──あったかいもの。
曖昧すぎる言い方に戸惑いながら、
目を閉じて意識を沈めていくと、
確かに胸の奥に、かすかな熱のようなものを感じた。
鼓動とは少し違う。
でも、確かにそこに何かがある。
「……あ」
思わず小さく声が漏れる。
「ある?」
「分からない、けど……
何か、少しだけ……」
「うんうん、それで十分。
じゃあ次、それを掴まないで。
すくう感じ。壊れ物みたいに、そっとね」
──すくう。
その言葉に、
小さい頃、母に連れられて行った金魚すくいをふと思い出した。
破かないように、
逃がさないように、
そっと水ごと持ち上げるような、あの感覚。
私は今度こそ慎重に、
胸の奥にある熱へ触れた。
ほんのわずかに、
指先へ小さな刺激が走る。
「……っ」
反射的に目を開けると、私の手のひらの上で、
淡い黒がひと粒だけ揺れていた。
──光、ではなかった。
インクを水に落としたみたいな、薄くて不安定な黒。
けれど昨日みたいな禍々しさはなく、
ただそこに小さく震えている。
「おお……!」
テオが目を輝かせる。
「できたじゃん! すごっ!」
その声に、胸が少しだけ浮いた。
けれど次の瞬間、
黒い粒がふっと揺らいで、
嫌な冷たさが手のひらから腕へ這い上がる。
怖い。
そう思った瞬間、
それは霧みたいに掻き消えた。
「…………」
「大丈夫、大丈夫」
私が息を詰めるより早く、テオが明るい声で言った。
「消えたなら成功のうち!
暴走しなかったし、ちゃんと止められたってことだから」
「でも……」
昨日のことが脳裏によぎる。
あの黒は、やっぱり普通じゃないのではないか。
また誰かを傷つけるんじゃないか。
そう思うと最後まで言葉が続かなかった。
そんな不安が顔に出ていたのだろう。
少し離れたところにいたノルンとアッシュが、
こちらへ足を向ける気配がした。
「怯えなくていい。誰も怪我なんてしてないだろ」
ひんやりとした声が、強ばった空気に落ちる。
アッシュの低い声は、不思議と胸のざわつきを少しだけ和らげた。
けれど、その直後。
私のすぐ横に、もう一つ影が差した。
黒髪──ノルン。
その瞬間、私の周りの空気が、一気に弾けた。
「っ、あぶねぇ!」
テオの声が飛ぶ。
ばち、と黒い火花みたいなものが散る。
その刹那、目の前を淡い光が走った。
何かに弾かれるみたいに、黒がぶれる。
同時に、テオが咄嗟に私の腕を引いた。
足元の草がざわりと揺れ、空気が一気に冷たくなる。
「るな!」
透き通ったノルンの声が聞こえる。
呼ばれているのに、身体が勝手に震えた。
違う。
違うのに。
何もされてない。
何もされてないのに。
目の前にある黒髪が、あの時の記憶とまた重なる。
──息が、できない。
「……っ、ぁ……」
視界がぐらりと揺れた。
その時だった。
「ノルン、下がれ!」
アッシュの鋭い声が飛ぶ。
同時に、彼が一歩前へ出て、
私とノルンのあいだを遮るように立った。
ノルンは一瞬だけ目を見開いて、
すぐに一歩、二歩と距離を取った。
それだけで、
張りつめていた空気が少しだけ緩む。
私の周りでざわついていた黒も、
行き場を失ったみたいにゆらゆら揺れて、
やがて霧のように薄れていった。
「はぁ……っ、は……っ……」
荒い呼吸だけが残る。
最悪だ。




