本当の敵
夜明け前の闇にアフラはいた。星の光もふつりと切れ、自分が今どこにいるのかも分からない。
(帝星が見えない……)
帝星はいつの時期も北に輝く星だ。旅人を導く星であり、晴れた夜空で帝星が見えないということは有り得ない。
「……」
「スエン?」
それまでぴんと立っていたスエンの耳が伏せ、一、二歩後退する。只事ではない気配にアフラはその背から降りるとスエンを座らせた。
「大丈夫だよ、スエン。そう、いい子だね。よしよし……」
「……」
スエンはアフラに鼻面をすり寄せるが、伏せた耳は何かを警戒するように細かく震えている。気付けば闇は一寸先も見えないほどに濃くなり、アフラは丹田に意識を集中させた。気を抜けば、呑み込まれてしまうような気がしたのだ。
『やっぱり抜けてきたなぁ』
「!?」
振り返るがそこには何もいない。だが、アフラの耳元でその「声」は喋り続けた。
『おまえは味方が沢山いるものなぁ』
「何者だ……!」
『おまえの敵だよぉ。おまえを苦しめるための存在だなぁ』
唐突に現れたその「声」は、瘴気が音に変じたようなおぞましい存在だった。アフラは剣を抜くが、その首に「声」が絡み付く。
「っ、か……!」
『おまえから出てきてくれてうれしいなぁ。ずっと待ってたんだぁ』
「────離、せッ!!」
アフラは足に魔力を溜めると全力を振り絞り大地を踏み付けた。瞬間、閃光のような魔力が広がり『ぎゃっ』とその「声」が弾き飛ばされる。
「はっ……はっ……」
『……うぅん。まだ、駄目かぁ』
気付けば近くの闇は薄れ、その先に「声」の姿が見えた。
それは「声」の毒々しさに違わず、瘴気そのものと形容すべきものだった。重く、粘度のあるその「声」は、うごうごと拗ねたようにどろりと体積を広げている。
『ちょっと早かったかぁ』
「……お前……お前は、一体、何なんだ」
アフラの声が一段と低くなる。首を傾げるように「声」がぐにゃりと曲がった。
(何だ、これは? 何故、私はこれを見たことがあるような気がしている? いや、それもだが、何故だ。──何故、私は、これを消し去らなければならないと思っている……!?)
アフラの内側に、生まれてから今まで一度として感じたことの無いものが噴出していた。嚇怒、というのが最も近いが、すぐさま「それではない」と己自身が否定する。溶岩の如く熱を持ち嵐のように荒れ狂うものが、堰を越えようとしている。
『おれは、おまえの敵だよぉ。ずっと、ずぅーっと昔から、そういうものだぁ』
「私の敵……!?」
『セリオンもイザナなんかもメじゃない、本当の敵。あいつらのはお遊びだが、おれは違う』
瘴気がアフラをぐるりと取り囲む。そしてその眼前に、初めて「顔」が浮かび上がった。
『また会えるよぉ、アフラ。おれたちはそういうものだからさぁ』
それは逆立った髪と、額に縦に裂けた眼を持つ童子のような形をしていた。肌の表面がちりちりとひりつき、堪え難い感情に絶叫しそうになる。
「お前は──」
だがその時、その闇を嘶きが裂いた。
「!!」
『えぇ? なんでだぁ……──』
瘴気がみるみるうちに掻き消え、「声」もその形を保てなくなる。
「越影号か……?」
「ブルッ」
いつの間にかしゃんと立ち上がったスエンがアフラに寄り添う。アフラはそこから動く気にはなれず、アルカイオスと越影号の姿が見えるまでスエンに背を預けることにした。




