包囲脱出
「……アフラ殿。起きて下され」
「何者……!」
「──っ!? ……驚いた。マナフ殿、ですか……?」
アルカイオスが跳ね起き、アフラとニーシュブルを背に隠す。月光に浮かび上がるのは、翼を収めたマナフの姿だった。
「驚かせて申し訳ありませぬ。麓に松明の列が見えております」
「松明の列……?」
「関所の先と内、山の裾をなぞるように列を成しております。何かお聞きになっておりますかな」
アフラの瞳孔が縮む。アフラの第六感が、邪眼の蛇よりも遥かに危険なものを感じ取った。
「……兄様だ」
「なんと。どちらの……」
「セリオン殿です。理由は分かりませんがアフラ様を斬り、追っています」
「……え……」
消え入りそうなその声にアルカイオスが振り向くと、青い顔をしたニーシュブルが口元を押さえていた。
「っ、ニーシュブル」
「ど……どういうこと、ですか……? どうして、セリオンさま……アフラさまのお兄さま、ですよね……? どうしてっ……」
「ニーシュブル、落ち着くんだ。今は……」
「アフラさまっ……!」
「……黙っていて、ごめん。けれど今は、逃げる事を考えないといけない。必ず話すと約束するよ。だから……」
苦しげに眉根を寄せるアフラに、ニーシュブルは手をきつく握りこくりと頷いた。
「恐らく陛下にも余裕はございません。キリクともまた一悶着があったと聞き及んでおりますし、陛下が独断で動くことができるのにも限界が近いのでしょう」
「ティール、起きていたなら早く言え」
「俺に小言を言うよりも、お前は己の迂闊さを省みるべきだろう。殿下、誰よりも貴方様がお分かりになられているでしょうが、陛下は貴方だけを追っています。殿下を眼前で庇えば間違いなく斬られるでしょうが、殿下の伴をする者は眼中に無いでしょう」
辛辣にアルカイオスの図星を突きつつ、ティールは鞄を探りながら言葉を続ける。
「手は二つ。全員で包囲を抜けるか、二手に分かれるかです。私は二手に分かれるべきだと思います。私とニーシュブルは包囲の外から下山し、そのままグラシャのフランメントへ。その間に殿下とアルカイオスには包囲を破り、フランメントへ逃げ込むのはいかがかと。グラシャのモース辺境伯に伝手がありますので、そこまで逃げ切れば陛下といえども手は出せません」
ティールは地図を広げた。フランメントはザグロス山脈の向こう、関所を超えた先にある国グラシャの町だ。しかし淡々と話を進めるティールに、ニーシュブルが待ったをかけた。
「ちょっとティール! それってどういうこと……!?」
「ニーシュブル、お前が怒るのは分かるよ。けれどこれはアフラ様と陛下の問題だ。陛下は殿下を逃がさない。正面から越えなければならない時がいつかは訪れる」
「だからって!」
「ニーシュブル……」
「……う〜〜っ!」
ニーシュブルの大きな瞳に涙が溜まる。アフラの胸に飛び込むと、力いっぱいに抱きついた。
「ずるい、ずるい、ずるい! アフラさまはずるっこです!」
「うん、うん。ごめんね、ニーシュブル」
「ぜったい、ぜったいに捕まっちゃいやです! いっしょに旅にでるんですから!」
「分かっている。捕まらないよ。それも約束だ」
「う〜〜……」
「指切りをしよう。だからニーシュブルは、私達を待つと約束して」
べそをかきながらニーシュブルは小指を出した。それを結び、ほどくとアルカイオスがアフラの剣を差し出す。
「ありがとう。包囲を抜ける方法だが、ティールのやり方を少し変えたらどうかと思う」
「と、言いますと?」
「兄様に正面から向かうのは私だけ。アルカイオスは──」
──────────
松明の光が夜闇を斥けるように煌々と輝いている。
グラシャ側へ下りる山道の出口を、その火が囲んでいた。
「…………」
深く、大きく息を吐いて心臓を落ち着ける。アフラはゆったりとした足取りでその中心へと進み出た。
「……な……」
「あれは……アフラ殿下、なのか……?」
「殿下は黒髪のはずだ。一体何が……」
兵士がざわざわとどよめく。しかしアフラが口を開くと、ぴたりと静まり返った。
「兄様」
炎に照らされ、端正なその貌がアフラへと向く。いつもの不遜さは無く、ただ一つ、揺るがないものを腹に据えたセリオンの美貌は、恐ろしいまでに完成されていた。
「ここで死ぬか、親父のところで死ぬか、選ばせてやる」
肌が引き攣れるような覇気がセリオンから放たれる。後ろの火が幾つか倒れるが、セリオンがそれを気に留めることは無い。
「……わけを話してはくれないのですか」
「お前には要らねえものだ」
(……ああ、やはり)
アフラの胸中に悲愴が杯を倒したように広がる。涙は出ないが、ただ、悲しかった。
「選ばせてやると、兄様は言うけれど」
しかし、広がったのは悲しみだけではない。それだけならアフラはセリオンの妹をやっていない。
「それを『はい』って言うわけが無いよ」
「!」
アフラはセリオンに向かって走り出した。片手を背に隠し、姿勢を低くする。
「陛下!」
「手ぇ出すな。殺すぞ」
「ひっ……」
弓に矢をつがえた兵士をセリオンが睨む。その殺意にあてられた兵士は泡を吹いて気絶した。
セリオンは剣を抜けるよう柄に手をかける。しかしその時──予想だにしなかった光景に目を見開いた。
「スエン!!」
アフラが跳んだ。そしてその影から、天馬と見まごう白銀の駿馬が飛び出す。
「おま……」
スエンはアフラを背に乗せると、そのままセリオンを飛び越し駆け出した。
「兄様、それでは! どうか御達者で!」
「あ゛ぁ゛!? 影潜みの鞍じゃねえか! てめえ! 待ちやがれ!!」
セリオンは指笛を吹き赤い馬──セリオンの愛馬、マルトを呼び出した。飛び乗ると猛然とアフラを追うが、アフラは皆が呆気にとられている隙に悠々と包囲を抜けた。
「巫山戯んな! 俺の鞍だろうがそれは!」
「一度しか使っていない兄様に言われたくありません!」
先の恐々たる緊張はどこへやら、しかし速さは落とさずに追い追われる。だが二人の間は縮まらず、それどころか徐々に開こうとしていた。
マルトはセリオンに相応しく、非常に優れた馬だ。駆ける速さも相当なものである。だが純粋に、スエンの方が速いのだ。
「っ!」
白い外套のアフラと白銀のスエンは夜闇でもよく見える。だがある地点でセリオンはマルトを止めた。アフラもスエンを止め、その間を振り返る。
「……頼む」
「御意にございます、アフラ様」
蹄の音がセリオンに向かう。それによって、セリオンはその「間」にいる男が見えた。
黒い甲冑に黒い兜、マルトと遜色無い隆々たる軍馬。歴戦の戦士であることは疑いようがない。セリオンは口端を吊り上げた。
「お前か」
あの一夜、僅かな剣戟で確信した相手。己と同格の男が、セリオンの前に立ちはだかっていた。




