後追いの鏡
スウィに手を引かれて向かったのは村を出て更に登った所にある高台だった。
「マナフ殿、何かありましたか」
「おお、アフラ殿……! まずは、ご無事でなによりです。翼人族の長として、心からの感謝を」
「いえ。私達も貴方がたに助けていただきました。皆の助力がなければ、とてもあの蛇を倒すことなどできませんでした」
「ほう、ほう。しかしアフラ殿、貴方は王族でありながら身を呈された。その髪も、その証でしょう」
「……失礼、マナフ殿。先に、あの事をお伝えいただけますかな」
ティールがやんわりとマナフを遮るとややばつが悪そうに軽く咳払いをする。マナフがその手のひらに載せて見せたのは、あの歪んでしまった耳飾りだった。
「残っていたのですか? あの死睨を受けて、よく……」
「気になることがございまして、回収して参りました。マナフ殿に魔法の残滓を辿っていただいたのです」
「気になること?」
ええ、とマナフは難しい表情で頷く。
「アフラ殿、この鏡はどなたからか譲り受けたものですかな」
「はい。上の兄から、己の容を見失うのは辛いことだから、と」
「上の兄……というと、イザナ、という方ですかな」
「ええ。ですが、それが何か……?」
マナフは思案したが、やがて重く口を開いた。
「この鏡には、後追いの魔法がかかっておりました。心当たりはありますかな?」
「後追いの魔法……?」
「古い魔法の一つですが、今はこれを元にした新たな魔法が使われています。その魔法をかけた相手、もしくは物が、どこにあるかを見聞きする魔法です」
「遠見の魔法の元、か。だが、どうしてそのような魔法が……」
「イザナ殿は、どのような方でしょうか。噂では魔道具の精製に長けていると聞きますが」
アフラは咄嗟に反論したくなる衝動を堪えた。疑念が湧かないといえば嘘になるが、アフラは兄を疑うことなど思いもしなかったのだ。
「上兄様は優しく誠実な人です。訳もなく、ましてや何も言わずに人の行動を覗き見るような方ではありません。魔道具を作る技術も、見惚れるくらいに見事な腕の持ち主です。上兄様が私に黙ってしたとは……!」
「ああ、いえ。ご無礼をしました、アフラ殿。貴方がそこまで言うのであれば、イザナ殿では無いでしょう。そうなると……考えられることは二つ。ですが、それよりもこれからに注意を向けなければなりません」
語気を強めるアフラと眉を下げて困るマナフを取り持つようにティールが間に立った。アフラは自分が恥ずかしくなり、目線をじわりと下げる。
「殿下。私がこの懸念に気がついたのは、邪眼の蛇が知性を持って他の蛇を統率していたことにあります。確かに結界は我々を守っていますが、完全ではありません。弱い魔物であれば抜けることができます」
「ああ……」
「統率する程の知性を持ち、あの様な強力な邪眼を持つ魔物が、何故あそこに堂々と留まっていたのかを考えたのです。私は……我々の誰も知らぬ何者かが、殿下を害する為にあの蛇を差し向けたのではないかと。そう疑いました」
「……その何者、というのは……」
「分かりません。ですが、殿下の行き先が誰かに洩れているのは疑いようがありません。殿下だけでなく、イザナ様をも欺くことのできる何者かがいるのではないか、と。……荒唐無稽な考えであることは承知しております。ですがどうか、頭の片隅に置いていただきたく存じます」
ティールの緑眼が深い色をもってアフラを見つめる。ティールは根拠の無いことは口にせず、言うべきことを得心させる知識をもって言う人物であることは、まだ短い付き合いではあるが明らかだった。
しかし今は、ティール自身も得体の知れない予感によって言葉を口にしている。それはティールにとっても不本意なものでありながら、言わなければならないことだからこそ伝えてくれたのだとアフラは感じ取った。
「分かった。お主にも言い難いことだっただろう、ティール。ありがとう」
「いえ。殿下の信を得た身として、当然のことでございます」
そう言いながらもティールは安堵の表情を見せた。こういう人間味もあるのだから不思議な人だ、とアフラは心の内で思う。
「マナフ殿にも申し訳ないことをしました。感情に任せてあのようなことを……」
「いえ、いえ。己の身内、ましてや肉親が悪しく疑われれば気が昂るのは当たり前のことです。アフラ殿は兄君のことが大切なのですな」
「はい。私には兄達も、亡くなった父も……大切な家族です」
マナフは目を細めてにこりと笑った。そしてごそごそとその輪郭が動くと、おもむろに裾から翼が広がる。
「ほう、ほう。では、私は空を見回ってから村に戻ります。お二人は先に戻っていてくだされ。今夜は宴ですぞ」
「はい。それではまた、後で」
マナフは一切の音を立てずに高台から飛び立った。平静を装っていたアフラだが、マナフが離れるとぽそりと呟く。
「……いや……こう……なんだろうな、輪郭が丸いなとは思っていたが……あれは、全部翼だったのか」
「音が全くしなかったことも驚きですね。恐らく、彼は梟か木菟の翼人なのでしょうな」
「世界は広いな……ここはまだマハ国なのに、知らないことが沢山ある」
「それが旅の醍醐味ですよ、殿下」
楽しそうにティールは笑う。しかしふと真顔になると、表情だけは遠慮がちに口を開いた。
「殿下、一つ伺ってもよろしいでしょうか」
「うん、何だ?」
「殿下はセリオン陛下を恨んではいないのですか?」
率直な物言いにアフラは一つ瞬きをした。ティールは至極真剣な表情で、自分も以前同じようなことをした事があるので怒りは湧かないものの、困ったな、ともう一つ瞬きをする。
「そうだな……うん、恨んでないよ。憎んでもいない」
「いくら殿下が死なずであるとはいえ、傷付けられたのは確かです。確実に命を奪うおつもりで陛下は剣を振るわれた。それなのに、ですか?」
「ああ。確かに……痛かったし、辛かったし、悲しかった。兄様に剣を向けられるなんて思いもしていなかったから」
三度目の瞬きをすると、瞳の裏にあの夜を思い出す。月が欠け、父が死に、セリオンが剣を抜く──。
「けれど、兄様からは、私を嫌ったり憎んでいる気持ちが感じられなかったんだ」
「……」
「私が鈍いだけだったのかもしれない。私がそう思いたいだけなのかもしれない。けれど……」
死ななければならない、と。その言葉を口にした兄のことを思い出す。
「十八年。離れていた時期もあったけれど、赤子が成年を迎えるまでの時間を共に育ったんだ。兄様の感情の動きは、よく分かるよ。だから知りたいんだ」
「……左様でございましたか」
「あまり普通ではないのだろうな、とは思うよ。私は結局生きているからこのようなことが言えるんだ」
「ああ、ご自覚はあったのですね」
この会話がもしアルカイオスに聞かれていれば間違いなくティールに雷が落ちていただろう。戦い以外で暴力を振るわないアルカイオスだが、もしかしたら拳骨の一つでも降ってくるかもしれない。それほどまでにティールの一連の発言はかなり攻めたものだったが、アフラはそれが心地良かった。
「さて、流石に戻ろうか。もう鼠は出ないだろうけれど、ちゃんと残さず食べた方が良いぞ」
「ええ。分かっております」
以前の昼食の席で鼠の煮付けを食べることができたのはアフラだけだった。関係が良くなったとはいえ、ここで翼人族の心象を下げるのは良くないだろう。ティールは腹を空かせて夜を待つことにした。




