カナダ王国の成立とイギリスとカナダの一体化
趣味で書いているので温かい目で見守ってください。
まずカナダ王国が誕生する前の話をしよう
カナダは1867年の英領北アメリカ法により誕生した国家であり、カナダ植民地は名前を英領北アメリカ法の成立で「カナダ自治領」と名を改めた。
(ある話によると、カナダ人はカナダの国名に「自治領」ではなく、「王国」の文字を望んでいた話があり、アメリカ人より王室に対して忠誠が強かったのがよく分かる『というかアメリカ独立戦争でアメリカの王党派がカナダに逃れて、王党派だらけになっただけだと思うが……』)
そして本来なら1931年のウェストミンスター憲章で事実上独立することになるが、それがイギリスで起きた革命によりおじゃん、その結果ウェストミンスター憲章は実現せずにいる。(だがカナダ政府は事実上の独立を諦めておらず、亡命イギリス政府と話し合いで実現しなかったウェストミンスター憲章の制定に向けて動いていたが…)
実現しなかったウェストミンスター憲章だったが、亡命イギリス政府はある提案をする、それは「イギリスとカナダを合体しませんか?」という話である。要するに「イギリスとカナダの連合王国化」である。
この話にカナダの当時の首相リチャード・ベッドフォード・ベネットは「イギリスとカナダの一体化!?良いですね」と即答で賛成し、ウェストミンスター憲章賛成派から「は?」と困惑することになり、カナダ政治が大混乱になるが閑話休題、当時のカナダの首相が王党派だったこともあり、亡命イギリス政府は瞬時に行動を開始、イギリスとカナダの一体化を宣言し、亡命イギリス政府とカナダ政府は合体し、政府としては「連合王国暫定政府」が成立、選挙も早期に行い、新しい政府に政権交代させることで一致した。(まぁこの選挙も王党派が勝利し、暫定政府の閣僚がそっくりそのまま残る形になった)
長々と話をしたが、結果史実と違う歩みをしたカナダは本土と同じ立場となったことで、史実より王室に対する忠誠や尊敬、崇拝が増し、そしてカナダが国旗をユニオンジャックからメープルに変えるのも阻止することとなった。
新しい政府の閣僚はこちら
首相 デビッド・ロイド・ジョージ
副首相 リチャード・ベッドフォード・ベネット
財務大臣 ネヴィル・チェンバレン
法務長官 クレメント・アトリー
外務大臣 アンソニー・イーデン
自治領大臣 マルコム・マグドナルド
植民地大臣 マルコム・マグドナルド
内務大臣 ハーバート・サミュエル
国土交通大臣 ジョージ・ヒックス
経済産業大臣 スタンリー・ボールドウィン
農林水産大臣 ロバート・ハドソン
保健大臣 クレメント・アトリー
労働大臣 アーネスト・ベヴィン
国防大臣 マックス・エイトケン
国家公安大臣 ハーバート・モリソン
あまり変わってないのはわかってると思うが副首相というところに注目してほしい、副首相にはカナダの首相だったリチャード・ベッドフォード・ベネット氏が就任しており、結果首相にイギリス本土からの人、副首相にはカナダからの人と選んでるのがわかる。
これは「もし首相が本土からの場合、副首相にはカナダの人を、逆に首相がカナダの場合は、副首相には本土からの人を」という暗黙の了解が成立し、そして副首相は首相の同じ権限を持つほどの権力を手にし、本来であれば財務大臣と兼務であるはずの副首相が独立して、一点集中する役職になる出来事である。
あと言うと上のような感じで、副大臣にもカナダの人を積極的に採用している(有能であればの話でなかったらイギリスから)(逆にカナダからの人が大臣なら、副大臣にイギリスをという暗黙の了解も成立する)
(ラムゼイ・マグドナルド氏は高齢ということもあり、外務大臣の地位をロバート・アンソニー・イーデン氏に譲った)




