1933年2月 ベルリン株式市場の崩壊 大阪経済会議と横須賀軍事会議 中華解放戦線 ニコラ・テスラの日本移住 イタリア分裂 アカ共の蜂起からの謎の自爆 スペイン王党派クーデター インド混沌へ進む
趣味で書いているので温かい目で見守ってください。
1933年2月3日 世界にとって氾濫を超えた先を迎える出来事が起きた。「ベルリン株式市場」の崩壊である。
この緊急事態に日本政府とドイツ政府は早急に対応を起こし、属国、保護国、影響国を巻き込むことになる。
そしてこの経済危機に誤った判断をしたことにより崩壊する国も現れるようになる。
1933年2月4日 日本政府が日本影響国の国々を集め、大阪にて「経済会議」、横須賀にて「軍事会議」を行った。
大阪の経済会議では、影響国に対する無利子無担保の融資(金は返してもらえますぜ)、撤退した外資企業に変わって日本企業が変わりを担う、日本にて行われてる積極財政を日本影響国もやる。
そして日本政府は自国でやっている積極財政を超積極財政に切り替える判断をした。
横須賀の軍事会議では、ベルリン株式市場の崩壊によって起きる周辺諸国の崩壊に備え、日本と日本影響国が軍事同盟『東亜連盟』の結成を宣言した。(リーダーには日本が選ばれ、サブリーダーにはオスマンが選ばれた)
1933年2月5日 ドイツ政府も日本を見習い、ワルシャワにて「経済会議」、ベルリンにて「軍事会議」を行った。
ワルシャワの経済会議ではドイツと影響国すべてを繋ぐ国際高速道路「ヨーロッパ・アウトバーンプラン」、本国と影響国にて投資を増やす「シャハトプラン」が決定された。
ベルリンの軍事会議では軍事同盟の結成を宣言し、現在の同盟である中央同盟を前身組織としする新たなる軍事同盟「帝国協定」が成立した。
1933年2月6日 無政府状態に陥ってた中原の南部地域を「段祺瑞」が収め、「済南国民政府」の成立を宣言した。
そして大原国民政府の「閻錫山」と済南国民政府の「段祺瑞」、そして漢民族救済委員会の朱徳が会談し、三者の組織の代表が話し合った結果、漢民族の解放と日本鬼子(小日本)に対する対抗で一致し、「中華解放戦線」が成立し、解放軍も作られた。
1933年2月7日 アメリカ崩壊の影響と現官房長官有田権士氏からの招待で「ニコラ・テスラ」が来日、帝国大学、研究機関などを見て回り、有田権士氏から研究費を自費で出すと言われ、突然の提案にニコラ・テスラは戸惑うが、アメリカも崩壊し、金も困ってたこともあり、答えは「イエス」
史実と違い、ニコラ・テスラは晩年でも自分のやりたい研究を行い、金に関しては有田権士氏から「金に関しては何も考えるな」と言われ張り切ることになる。(後にニコラ・テスラ財団ができるきっかけである)(あと言うとニコラ・テスラ財団は有田権士の息子が作った会社の傘下である)
それとともに史実より長生きすることになる。(史実では1943年に86歳に亡くなるという十分長生きしてはいるがこれを超えて長生きするということである)
1933年2月10日 イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が突如としてドゥーチェであるムッソリーニを解任(それもファシスト大評議会をスルーして)、臨時首班に軍人の「ピエトロ・バドリオ」が就任した。
これに対してベニート・ムッソリーニはイタリア北部にて「イタリア執政府」を成立させ、イタリア王国から追放された旧ファシスト政権幹部やムッソリーニ支持者などが集まり、そしてこれはイタリア王国を一枚岩に固まることになる。
イタリア執政府が成立したあと、ガブリエーレ・ダンヌンツィオの政治的影響力が高まり、ムッソリーニは国王に解任されたことで精神的にヤバいことになったことでダンヌンツィオを「国家最高指導者」に任命した。
その直後にムッソリーニは病院に入院し、そして国家最高指導者になったダンヌンツィオを「ドゥーチェ代理」を地位をあげ、すべての実権を差し上げた(とはいってもすべてとは言ってるが軍事に関する権限は曖昧であり、これが後にある出来事を引き起こす原因になる)
イタリアはイタリア王国とイタリア執政府に分裂したが、このとき戦闘は起きず、ドイツ国境にいたイタリア王国軍はベネチアに撤退し、そこを北イタリア奪還の作戦本部とした。
(軍の一部はイタリア執政府に寝返ったがほとんどがイタリア王国に残り、イタリア執政府の軍は寝返った旧イタリア王国軍と国防義勇軍で担うことになった)(国防義勇軍は後に『国防国民軍』に改名する)
(補足 イタリアはベルリン恐慌によって崩壊したというよりはこの混乱に乗じてクーデターを起こしたようなものなので勘違いしないように)
1933年2月11日 このイタリア分裂に漁夫の利を得ようとシチリア島を牛耳ってる地中海共産連邦が侵攻しようとし、シチリア半島で共産主義者による蜂起を起こさせた。
だが南イタリアは王党派が多いことで有名であり、結果この蜂起は失敗に終わる。
そしてシチリア島では逆に反共蜂起が起き、陥落してしまうことになる。(シチリア島を失った地中海共産連邦は旧ギリシャの首都アテネに移転する)
1933年2月15日 軍に視察中のフランシス・フランコ将軍の元に衝撃的な出来事が寄せられた。それは………
「王党派がクーデターを行い、政府が転覆しました!」
統制派の軍人などが元々最前線に赴いていたことで、フランコ将軍は即刻その場で「スペイン執政府」の樹立を宣言、王党派は『フランス』の文字を外し「スペイン王国暫定軍事政府」の樹立を宣言した。
1933年2月20日 休戦していたインドでハイデラバード連合国がベルリン恐慌の煽りが影響し崩壊、君主も行方不明なるなど混沌が進んだ。
日本のテレビ放送とラジオ放送での緊急速報
臨時ニュースお届けします。臨時ニュースをお届けします。たった今から衝撃な出来事を報告します。
「エジプト国王フアード1世が暗殺され、復古運動とムスリム同胞団が蜂起を起こし、エジプト王国は内戦となりました!」
恐慌が起きたってぇ?日本の経済はそんなヤワじゃねえぞ、成長して強靭化してるんだ、だがそれでもヤワなら金を投入して、経済の専門家に任せよう、財務官僚のことではないぞ、民間企業などの生粋の商人どものことだ。 有田権士(ベルリン恐慌が起きた時に言った言葉)




